5 黒猫と鈴
チリンと鈴の音が聞こえた気がして、わたしは目を開けた。黒猫が前を歩いているのが見える。そこは、前に夢でみた世界のようだったが、少し様子が違った。
黒猫と一緒に少女が歩いていた。腰まである長い栗色の髪、フリルの付いた黒いドレス。衣装はアイレンさんが着ていた物によく似ている。
わたしは彼女たちの方に駆け寄って、声をかけた。
「あの、ここは……」
振り返った少女の顔を見て、わたしははっとした。自分にあまりにそっくりだったからだ。彼女はわたしと目が合うと、緊張した様子でお辞儀をした。
「あなたは?」
「わたしは、話者のフィオナです」
高い声で答えた彼女は、わたしがあまりに見つめすぎたせいか、少し恥ずかしそうにうつむいた。
「失礼だけれど、ラスターハート王家に縁のある方かしら」
「えっ……」
彼女は目を泳がせて、言葉に詰まっている。背丈はわたしより少し低く、年下のように見える。親族に話者がいるという話は聞いたことはない。
「ふふ、遠い親戚ですから、ご存じないのは仕方ないですよ」
どこからか、フィオナとは別の女性の声がした。声の主は、足元の黒猫。喋る猫と会うのは二度目なので、さほど驚かない。
黒猫は光を放つと、銀髪の女性の姿に変わった。
「わたしはナディア。心の世界へようこそ、王女」
神秘的な銀髪もさることながら、優雅な空気感をまとった美しい女性。わたしは少し見惚れてしまった。
彼女はニコッと笑うと、右手を差し出した。その手を取った瞬間、脳裏に映像が浮かんでくる。青い花が一面に咲く花畑と、その中を歩く日傘を差した女性の後ろ姿。
「……何が見えたかしら」
女性の声で我に返る。
「青い可愛らしい花が咲く花畑です。見たことがない花だったけれど」
「それは、これから出会う風景ですね。やはり、あなたは特別な魂を持っているみたい」
そう言うと、彼女は隣のフィオナの頭に手を置いた。
「話者の試験を受けるのでしょう。この子と共に励むといいわ」
フィオナが慌てたように、わたしにまたお辞儀をしてくる。
「試験って、何をすればいいんですか?」
「そうですね、まずは、お空の散歩に行きましょうか」
ナディアさんは空を指さした。
幼い頃、自分の力で空を飛ぶことに憧れていた。物語などで疑似体験をしても、心が満たされることはない。流石のブラウンでも、その願いだけは叶えられない。その代わりに、肩車をしてもらって、城の物見台からよく空を眺めていた。
眼下にライトグリーンの大地が広がる。わたしはフィオナに手を引かれて、空に浮かんでいた。
「リシェット様、手を離しますよ」
「ええ」
フィオナが繋いだ手をそっと離す。わたしの身体は宙に留まり、ふわふわと漂っていた。
「そう、その感覚です」
フィオナは嬉しそうに笑っている。無邪気な笑顔は幼く見え、先程までとは随分と印象が異なった。
「そのまま、空中を進めますか?」
わたしはカナさんに魔法をかけて貰ったときの感覚を思い出していた。一度体験していたから、空に浮かぶことはさほど難しいと思わなかった。こちらの世界では、自分の意識や感覚が重要なようだ。
次に必要なイメージは、空中に浮かんだ自分の身体をどうやって動かすかだ。目を閉じて、世界の中心にいる自分を俯瞰してみる。
客観的に自分を見つめる。わたしはチェスの駒だ。上から摘んで動かすイメージで。わたしの身体はゆっくりと空中を移動していく。
「すごいすごい!」
フィオナが手を叩いて喜んでいる。わたし自身も、興奮が収まらなくなって、フィオナと手を取っていた。
「どうですか? 自分の力で空を飛んでみて」
ナディアさんがわたしを見ながら微笑んだ。
「思ったより簡単でした。もう、いつでも飛べる自身がありますわ」
「それは良かった」
そう言うと、ナディアさんはわたしの手に何かを握らせた。手を開くと、中から光沢のある小さな鈴が現れた。薄いピンク色で可愛らしい。
「それを持っていれば、いつでもこちらに来れるでしょう。またお待ちしていますよ」
わたしが顔を上げると、遠くの空で沈む夕日が目に入った。さわさわと枝葉の揺れる音がする。わたしは、高台の大樹の下にひとり座っていた。
「お目覚めですか、王女」
木の陰からブラウンが現れて、小さくあくびをした。
「わたし……寝ていたの?」
「ええ、口元をお拭きになった方がよろしいかと」
わたしは慌てて溢れしものを拭った。