4 試験
「失礼だけど、あなたはおいくつなの?」
わたしは空中に浮かぶ少女に聞いた。
「少なくとも王女よりは長く生きておるよ」
彼女はそう言うと、わたしの向かい側の席にふわりと座った。
「他にご質問はあるかな」
わたしはちらりとブラウンを見た。これは向こうから質問を促されたのだ。わたしはそのスタンスを意識しつつ、口を開いた。
「じゃあ、聞かせてもらうけれど、あなたはどうして少女の姿をしているの?」
「この姿が、我の『自己認識』だからじゃ。これについては説明が長くなるから、機会があればそのうちな」
わたしはこういう小難しい話は苦手だ。視界の端っこで、ブラウンがニヤついているのがわかる。わたしは咳払いをして、話題を変えることにした。
「話者のお二人が、わたしたちを助けてくれるのはなぜ?」
「我々の魔法は、人の困難を解決する為にあるべきじゃと思っておる。魔法を人の為に使うことに、深い理由はいらぬのじゃ」
「でも、あなたたちまで、王家に追われる危険があるのに」
「なあに、我らが関わっておることは王家にはわかるまい」
予想しない答えに、ついブラウンの方を見てしまう。彼は柱時計に目をやった。
「実は、王女は今、フレアランスへ向かう船上にいらっしゃることになっています」
「……どういうこと?」
わたしが問い返すと、アイレンさんが答えた。
「エルドリック王子から相談を受けたのじゃ。王女が結婚を望んでおられぬようだから、何とか出来ないかとな」
わたしが眠っている間に起こった出来事は、次の通りだ。
アイレンさんは魔法でわたしの姿になりすました。お父様たちを欺きつつ、フレアランスから迎えに来た王家の船に乗る。港から十分に離れた洋上で魔法を使い、この家に帰ってきた。
今いる土地はフレアランスの外れにある森の中。ついでに言うと、食卓に並ぶ料理の材料は、出発するわたしへの餞の品らしい。お父様はわたしがフレアランス王家に迎えられたと思っているわけだ。
自由の身になれたのはいいが、少し胸が傷んだ。わたしは知らないうちに王子を傷つけてしまったのではないか。それを察したブラウンが、ゆっくりと首を振った。
「……そういう顔はなさらない方が。これは王子のご厚意であると同時に、ご希望でもあるのですから」
「希望?」
「フレアランスにも似たような風習があるわけです。王子は、出生に関わらず、自由を重んじるべきだというお考えの持ち主ですから」
そんな風に言われてしまうと、わたしとしては、王子に会いに行かないと気が済まなくなる。
「ブラウン、挨拶に伺いましょう」
「構いませんが、せめて船が着いてからにしませんか」
「船っていつ着くの?」
「今朝方出発したばかりですから、早くても明日の昼ですね」
確かに、船より先にわたしが着いてしまうのも変かもしれない。わたしは何だか興が削がれた気持ちになって、スープを一口飲んだ。
「正式な婚儀が行われるのは一年後です。その間は国賓として王女を迎えて頂けるとのことでした。それまでに今後の事をお考えになられればよろしいかと」
「良かったではないか。しばらくここでのんびりと過ごすがよい」
アイレンさんは優しいまなざしでわたしを見た。青味がかった、不思議な色の瞳だ。
「……ねえ、魔法ってわたしでも使えるの?」
「それは修練次第じゃの」
「修練って何をするの?」
「瞑想に始まり瞑想に終わる。ひたすら、自分を探す旅じゃ」
わたしが首をひねっていると、ニヤつくブラウンと目があった。
「十五分と持ちませんでしたね」
悔しいが、こうなったら遠慮する必要もない。わたしは開き直ることにした。
「わたしに魔法を教えてくださらない?」
アイレンさんはしばらく黙って、わたしを品定めするように観察した。
「教えてもよいが、話者としての資格があるか、見極める必要がある。試験を受けて頂くが、よいかな?」
「ええ、もちろん」
わたしは内心興奮していたが、ブラウンに悟られないように努めた。
「よかろう。ならば、大樹の丘に行くとしようかの」
森を見渡せる小高い丘の上に、大きな木が生えている。その枝葉が作る木陰の中に入ると、大樹に抱かれているような気持ちになる。どこか浮世離れした空気感が漂う、心地よい場所だ。
「少し話したが、話者になるには、自分を認識する事が重要になる。己が何者なのかを正確に知るほど、魔法の精度も上がっていく訳じゃ」
アイレンさんはわたしの為に説明してくれているのだろうが、頭が理解することを拒絶している。わたしは嫌な顔をしないように気をつける。
アイレンさんは空間から本を取り出して、わたしに差し出した。「よく分かる呪文入門」と表紙に書かれている。
「その本の二十五頁を開いてみるのじゃ」
言われるままに頁をめくる。難しそうな内容だが、手書きの文字がやたら可愛らしいのが気になる。
「そこにある呪文を唱えて、カナのように瞑想をしてみるのじゃ」
カナさんが大樹に背をつけて胡座をかき、目を閉じている。わたしは彼女の隣に座って、同じ姿勢をとった。膝の上に置いた入門書に視線を落とすと、確かに呪文らしきものが書かれている。
「ぞのくとらこ……」
「もっと流れるように唱えよ」
わたしの読み方がたどたどしかったのか、途中でアイレンさんに注意されてしまう。書かれている文字を読むだけではあるのだが、昔から音読が苦手なのだ。
「ぞのくとらこんとれわるしゅ」
「やり直しじゃ」
今度は読み間違えた。呪文はただの文字の羅列なので、余計に読みにくい。
「ゾノクトラコントレワルシェアカータワーパ」
「区切りも意識するのじゃ」
こんな調子で何回か失敗した後、やっと呪文を唱える事が出来た。
『ゾノクトラコント レワ ルシェアカータ ワーパ』
一瞬、誰かに話しかけられたような気がしたが、ここにはアイレンさんとカナさんしかいない。わたしは言われた通りに目を閉じた。