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2 話者

 わたしはだだっ広い草原に立っていた。周りを見渡しても、人どころか、木すら一本も生えていない。果てしなく続いていそうな地平線に、意識が吸い込まれそうな感覚に陥る。

 わたしはこれが夢だとすぐに理解した。芝生の上に寝転がって、流れる雲を見つめると、世界と一つになったような気がする。わたしはこの世界に生まれた一個の人間だ。わたしにだって、自由を得る権利はあるはずだ。

 チリンと鈴の音がして、わたしは体を起こした。黒猫がこちらに近づいてくるのが見える。黒猫はわたしの側まで来ると、前足を揃えて座った。

「どこから来たの?」

 わたしが聞くと、黒猫はにゃんと一声鳴いてわたしを見た。宝石のような青い瞳に見惚れてしまう。毛艶もよく、首輪に着けたピンク色の鈴が可愛らしい。撫でようと手を伸ばしたとき、身体が揺れる感覚があって、意識が飛んだ。


 カタカタと車輪が回る音が聞こえる。わたしはぼうっとする頭を振って、顔を上げた。心地よく馬車に揺られているうちに眠ってしまったらしい。前で手綱を握るブラウンの背中が見える。わたしは今、馬車で移動しているのだ。


 * * *


「わたしと逃げるって言うの?」

 差し出されたブラウンの手を見たまま、わたしは聞いた。

「お望みであれば」

 ブラウンは澄ました顔で答えた。

「……わたしを試してない?」

 わたしが睨むと、ブラウンの口元が緩んだ。

「ほら、やっぱり」

 ブラウンはいつもこうして、わたしのことを小馬鹿にして弄ぶのだ。

「私は本気ですよ、リシェット様。馬車もご用意しております」

 そう言って、ブラウンは森の方を指さした。

「いいわ、そこまで言うのなら、お父様の目が届かないところまで、連れ出してよ」

 今度はわたしがブラウンを試す番だ。いつも涼しい顔をしているので、たまには困った顔をさせてみたい。しかし、ブラウンはわたしの企みなどどこ吹く風で、胸から手袋を取り出してはめた。

「では、失礼」

 一言断って、ブラウンはわたしを抱え上げた。

「えっ、ちょっとっ」

「舌を噛まないようにお気をつけください」

 慌てるわたしに構わず、ブラウンはすごい速さで走り出した。そのまま森の中に入っていく。ブラウンはわたしが揺れないようにしっかりと支えているようだが、怖いものは怖い。

 ブラウンはどんどん奥へと進んでいく。遊歩道が途中で切れて、道なき道を縫うように駆けていく。わたしは途中で目を開けていられなくなってしまった。


「着きましたよ、リシェット様。目をお開けください」

 どのぐらい運ばれたのかわからなくなった頃、ブラウンがようやく立ち止まった。そっと目を開けると、いつの間にか森を抜けていて、道脇に馬車が置いてあった。

「急ぎましょう。そろそろ、城にも気づかれる頃でしょうから」

 ブラウンはわたしを降ろすと、客車のドアを開けた。

「待って、捕まったらあなたは処罰されるかも知れないのよ」

「ご心配には及びません。この先に頼れる方がおりますので」

「……頼れる方? 誰なの?」

 ブラウンはそれ以上は何も語らず、わたしに客車に乗るように促した。


 * * *


 どのぐらい眠っていたのだろう。うたた寝をしているうちに、すっかり外は闇夜になっていた。幸い今日は満月で、月明かりとランプの灯りで馬車を走らせることは出来そうだ。

 少し走ったところで、ブラウンは馬車を停めて客車のドアを開けた。

「リシェット様、到着しました」

 ブラウンに手を引かれて馬車を降りる。そこには煙突の付いた小さな小屋があって、窓から暖かい明かりが漏れていた。

「誰の家?」

「わたしたちの協力者が住んでいます」

 ブラウンが扉をノックすると、中から女性の声がして、扉が開いた。

「お待ちしていました。どうぞ中へ」

 顔を出したのは、フリルのついた黒いドレスを着た、金髪の女性だった。

「失礼します。さあ、王女も」

 ブラウンに続いて家の中に入ると、正面の暖炉に目に止まる。その前にロッキングチェアが置いてあって、黒猫が丸くなって寝ていた。

「先生、お客様がお見えですよ」

 女性がその黒猫に向かって声をかけたように見えた。黒猫は耳を動かして反応すると、起き上がって体を伸ばした。音もなく床に降り立ち、わたしの方へ歩いてくる。夢に出てきた猫にそっくりだが、こちらは鈴の代わりに赤いリボンをつけている。黒猫はわたしの顔を大きな瞳で見上げた。

「こちらが噂のお姫様じゃな」

 黒猫が急に流暢に喋りだしたので、わたしは驚いて咄嗟に反応できなかった。

「アイレン先生、急な依頼をお聞き頂いてありがとうございます」

 ブラウンが黒猫に頭を下げている。

「そんなにかしこまらなくてもよい」

 そう言うと、猫は身体から光を放った。ムクムクと身体が大きくなり、少女の姿に変わった。

「王女、お初にお目にかかる。我は話者トーカーのアイレンと申すもの」

 少女は丁寧にお辞儀をして、わたしを見た。さっきの女性とお揃いの黒ドレスに、セミロングの金髪。顔もそっくりなので、二人は親子のように見える。しかし少女の方が先生と呼ばれているし、関係性がよくわからない。

「あなたは本物の話者トーカーなの?」

「いかにも」

 話者トーカーとは、呪文スペルを唱えて魔法を操る人達。書物で読んだことはあったが、実際に会ったのは初めてだ。そもそも実在するのかも半信半疑だった。目の前で猫から姿を変えるところを見せられては、信じるしかない。

「アイレン先生、すぐに身を隠したいのですが」

 ブラウンが窓の方を気にしながら急かした。

「うむ。カナ、引っ越しを始めるぞ」

「それでは、馬車を収納して来ますね」

 そう言って、カナと呼ばれた女性が外に出ていった。停めてある馬車に前に立って、両手を合わせているのが窓から見える。口が動いているので、呪文スペルを唱えているのだろうか。彼女が両手をかざした瞬間、馬も客車もみるみる小さくなっていく。わたしは胸がときめくのを感じた。

 彼女は仔猫ほどのサイズになった馬と客車を、カゴに入れて持ってきた。

「では、今から移動します。ほんの少しだけ揺れるかも知れないので、気をつけてくださいね」

 彼女はわたしにそう告げてから、再び手を合わせた。


『デルケアピークス レワラ ポール アドベス レワ ミアージ』


 一瞬だけ、ガタンと建物が揺れた気がした。さっきまで窓から見えていた月がどこにもない。

「到着しました」

 わたしは窓をそっと開けて、外の様子を眺めた。そこは、青い月の光が幾筋も差し込む、森の中だった。

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