ホーン・ブーブス①
戸を開けると、がらんどうのクローゼット。
木の壁はうっすら透けていて、プリンみたいにふるふる揺れる。
「っしゃ! 行きますよ臣下さん! っしゃ!」
ポータルを前に、詩怨がぴょんぴょん跳ねた。
「元気じゃん」
「めちゃめちゃ復調しました。目指せ収益化!」
サメに食われたり、サメ台風に巻き込まれたり、世界が滅びかけたり、龍に食われたり、冥王ヴェルガシオンに体を乗っ取られたり、世界が滅びかけたり、ここのところけっこう色々あった。
さすがの詩怨もちょっと疲れたのか、ここのところV稼業をお休みしていた。
人間、ぶっ壊れる前にたっぷり休むべきだよな。
そんなわけで、ぶっ壊れかけた詩怨は、昼間からだらだら飲酒したり、ミル姉さんとボードゲームカフェに行ったり、ルールーとリンヴァース観光したり――手厚いセルフケアで元気になったという次第だ。
「ふー……緊張しますね。ふー……」
詩怨は何度も深呼吸した。
迷宮行く度に世界が崩壊しかけてるんだから、そりゃそうもなるよ。
「ふー……」
「まだ無理そうじゃない?」
「いやいや行けますって。なにしろ朕は……くーぜんぜつごのー」
あまりにもいきなりだったので、何か考える前にちょっと笑ってしまった。
「急だなー」
「知りもしないサンシャイン池崎を小声で急に擦ったら面白いかなって」
「俺は好き」
「んへへ! 自分から取りに行くことも覚えたいので!」
その姿勢は買うけど、最初に選んだのが知りもしないサンシャイン池崎を小声で急に擦ることなのか。
笑っちゃったから何も言えないけど。
「朕もとうとう気づいたんですよ。甘やかされてんなってことに。ここからはお姉さん感も打ち出していきたいんです」
「キャラ変ね。大きな決断だ」
「それ! 臣下さんのそういうやつ! いじらないことで結果いじるみたいなやつ!」
「こっちの問題としても扱っていくんだ」
「違います。臣下さんのそういうのに甘んじて、何やってもおいしくしてくれるのかな? って思ってるフシがありますからね朕には。泳がされてたまるか!」
なんだなんだ、反抗期か?
「つまるところ、お姉さん感とは?」
「こう、展開を作っていくというか」
知りもしないサンシャイン池崎を小声で急に擦ることで、どんな展開を作っていく想定だったんだろう。
もう少し泳がすべきだったな。
なんにせよ元気になったみたいだし、なんらかの意識変化が起こったみたいでよかったよ。
「ほんなら行こうかね」
「空っ前っ絶っ後の!」
詩怨は知りもしないサンシャイン池崎を元気よく擦りながらポータルに突進した。
そこしか知らないの、本当に知りもしないな。
詩怨に続いて、ポータルに歩み寄る。
腕を突っ込むと、指先に冷たい風。
直進する。
「どひゃああああああ!」
詩怨が、ヘッドスライディングみたいな恰好でポータルから飛び出して来た。
インパラみたいなねじれ角が俺の軸足をすぱーんと刈った。
俺は前のめりに倒れた。
暗転。
眼前には、どこまでも続く原っぱ。
そして頬にべったりくっついた詩怨のケツ。
俺たちは、互い違いみたいな恰好で半身を異世界と地球に置いていた。
今日の詩怨の恰好が、さらっとしたワンピースにうっすいペチコートみたいな感じで、体温がかなりダイレクトに伝わってくる。
ケツの思わぬ冷たさで、意外に脂肪あるんだ……という思いが生じた。
なんだろうこう、分かるかな、うわこれ女性の体だっていう生々しさを受け取ってしまうひんやり感で、なんかもう自分が嫌いになりそうだ。
いやいやいや。
詩怨のケツがぬるかろうと冷たかろうとどうでもいいし、なんなら向こうは向こうでうわこれおっさんの体だ……みたいな生々しさを今まさに受け取ってるだろうからいってこいだ。
とりあえずリンヴァース側に抜けちゃおう。
こっちの脚動かすよ、みたいな大げさな身振りをしてみる。
その途端、なんかが脛に突き刺さってめちゃくちゃ痛い。
「臣下さん!」
「おお?」
ポータルを挟んで、詩怨の声が聞こえてきた。
「ごめんなさい足をぷすってしちゃいました! 急いでたので!」
「いいよいいよ。ごめんね、蹴っちゃった?」
「今、臣下さんに“血の遠耳”を付与しました。急いでたので!」
「あ、そうなの?」
脛に角で穴を開けて、そこに詩怨の血を注いだのか。
「はい! 急いでたので!」
「なんか急ぐことがあったわけね。聞こうじゃないか」
「やばいです!」
「急ぐんだからやばいんだろうね」
「はい!」
(動くな)
詩怨とは別の声が、頭の中に響いた。
(オマエを呪詛術で狙っている、地獄川詩怨)
おやまあ。




