エンター・ザ・ドラゴン・イマジナリー⑲
ほんで俺の前に、下処理を終えた白龍ヨーカのすね肉がある。
うろこを取り、一キロぐらいのブロックに切り分け、塩を当ててドリップを出す。
そしたら、ローリエ、ホールのブラックペッパー、青プリッキーヌ、にんにく、クローブ、ローズマリー入りの塩・砂糖水に浸けること一週間。
保存効果と、あとなんか、清めたい気持ちを満たすための塩漬けだ。
ユニークモンスターのすね肉を調理したことはないので、スパイスは勘で入れた。
白い皮にぐるっと取り囲まれた肉は赤茶けて、ぴょこっと突き出したなんらかの骨のせいで漫画肉っぽい。
こうなっちゃうと完全に食材だな……とはさすがにならないよ今回ばかりは。
だって俺この人、人じゃない、この龍と殴り合った仲だし。
だめだ、考えると倫理の深い沼に落ち込んでいく、もうやめよう、これはあらゆる意味で食材、そういうことにしよう。
これを二時間ぐらい水に沈めて塩抜きする。
端っこを切り落としてフライパンで焼き、食べて……食べるのか。食べよう。食べた、食べて、しょっぱさが勝ちすぎてなかったら塩抜きおしまい。
「うーん……すね肉だわ。完全にすね肉」
噛むとぎょりぎょりして筋っぽく、奥歯の隙間にニチャニチャするものが挟まり、食ってあんまりうれしい感じはしない。
スパイスは当たり引いたかな、にんにくとローリエとローズマリーはやっぱ外さないな。
プリッキーヌもいいね。東南アジアの、死ぬほど辛くてむせる香りの唐辛子。ヒリヒリ苦辛い感じと、青唐辛子のシャキっとするような草の香りが肉に合ってる。
ためしに突っ込んてみたんだけど、こういう、ふだん絶対使わないスパイスがガチっとハマるのブチ上がるよな。
うちで一番ばかでかい鍋に水を張り、たまねぎとかセロリとか適当な香味野菜をぼんぼんぶち込み、肉塊も放り込み、火にかける。
低温調理でもいいんだけどね、なんとなくじっくり煮込みに付き合いたい気分だ。
ふつふつ沸騰してくると、まずは肉の蒸れたような臭い。にんにく筆頭にスパイスのおなか減る匂い。セロリとにんじんの土っぽい香り、そのうち、あったまったたまねぎの甘いにおい。
沸かないぐらいの弱火にして、あとはひたすらあくを取る。
厨房が湯気と熱で満ちて、ぽやぽやしてくる。
二時間ぐらいことことやって、煮汁が澄んできたら、付け合わせにするジャガイモでも放り込んでおこう。
「臣下さん! ただいま!」
からららら、と引き戸が開いて、詩怨が入ってきた。
「お邪魔します」
「こんにちはー」
ミル姉さんとアルセーが、後から続く。ミル姉さんが、アルセーのお迎えで駅まで車を出してくれたのだ。
「お疲れーお疲れ。遠かったでしょアルセー。わざわざありがとね」
「いえ、羽田までの直行便が飛んでますから」
遠いの感覚がかなり違うな。博物館の学芸員って、けっこう世界中飛び回る仕事だろうしな。ましてアルセーは迷宮にも行ってるわけだし。
「まーまー、座ってて。なんか突き出し用意するわ」
三名様をテーブル席にご案内して、白髪ねぎどっさり乗せた竜ウデ肉のチャーシューを出す。
「わー! これ! 懐かしいなあ!」
アルセーは一口食べて嬉しそうにした。やったね。
「これ、この味ですよね! 思い出しては食べたくなってたんです!」
「実は最近さー、おみやげチャーシュー始めたんだよね。冷凍のやつ今度送るわ。あとで住所教えて」
「え! わー! あ、でも、いや、そんな! 国際便は! うおおおお……お願いします」
よし、うまいが遠慮に打ち勝った。最高に嬉しいわ。
「お酒もらっちゃいますね」
詩怨は調理場の冷蔵庫を開けて人数分の本麒麟を取り出し、テーブルに持っていった。
「かんぱーい!」
ぺこぺこと缶をぶつけ合う音。喉を鳴らす音。
「んはー! これですね! 本麒麟はやばい!」
詩怨がでかい声を出した。本麒麟がやばいのはたしかな事実だ。
「あーこれ、ほんとっ……あーもう、日本だなあ」
アルセーはなんかしみじみした。向こうじゃ本場のドイツビール呑んでるだろうからなあ、第三のビールは久しぶりだろう。
「ストゼロもあるわよ、アルセー」
「わー! そうでした! 日本には! ストゼロ!」
「はーいはい、ちょい待ってて。ツマミも出すから」
ニラ納豆とパプリカのおひたし、そしてストロングゼロ。
宅呑みっぽい取り合わせを、テーブルに並べてやる。
「うわーもう、あっ、う、これ、そうそうそうそう、この、納豆に、お砂糖の」
アルセーはニラ納豆をストゼロで流し込むと、ふにゃふにゃになって顎を机に乗せた。
「帰りたい……」
どこに?
「帰りたいとこごめんなんだけど、実は今日ドイツ料理なんだよね」
鍋からざばーっと引き上げた骨付き肉は、よく水気を切ったら、でかい皿にでーんと置く。
付け合わせのじゃがいもも、ゆで上がったのを皮ごと皿にぽん。
成城石井で買ってきた、ぎっちぎちに目の詰まった茶褐色のライ麦パンをバスケットに盛る。
「はいお待たせ。アイスバイン」
すね肉と言えばこれでしょ。
「うっわー! でか! 肉! でか! うおー!」
大興奮した詩怨が椅子の上で跳ねた。
じっくり煮込んでぷりんぷりんになった皮が、いかにもほろほろそうな肉を包む、見ただけでうまいやつ。それがアイスバインだ。
「そんでさー、ちょっと見てほしいんだけどさー」
俺は冷蔵庫から、ステンレス製の樽っぽい物体を取り出した。
「買っちゃったのね」
ミル姉さんが呆れ笑いを浮かべた。
「買っちゃったんすよ。意外に安くて」
「なんですかそれ?」
詩怨はきょっとーんとしている。これに似たものけっこう見てるはずなんだけどね君は。厨房で。
「これね、ビールの樽。五リットル入り」
「樽! え? でも樽って、木みたいな」
「いやこういうのを樽って呼んでるんだよ」
「そうなんですか? なんでですか?」
「ご主人、どこのビールなんですか?」
なんかもだもだしそうな予感をおぼえたのか、アルセーが割って入った。
「えー? 分かんない。雰囲気で買っちゃった。ゾラホフって書いてある。知ってる?」
「いえ、分かりませんけど」
「たしかドイツのだったと思うな。雰囲気で買っちゃったけどそれだけは覚えてる」
「飲みます! 朕は!」
なんかもだもだしそうな予感をおぼえたのか、詩怨が割って入った。
「飲も飲も。ジョッキ冷やしてあるから」
樽をでーんとテーブルに乗せる。
「えーと、待って。たしかなんか、入れ方の動画みたいのYouTubeにあったから」
iPadで動画を再生して、あっちのレバーを引いたり起こしたりすると、注ぎ口からしゃわわわっとビールが流れ出た。
かすかに白濁した金色の液体が、ジョッキを満たしていく。
「おほほほほほ! すご!」
樽に引っかかっていた詩怨も、ビールが出てくる説得力に一瞬で腹を見せた。
「それじゃあ改めて、かんぱい!」
ミル姉さんが音頭を取って、四つのジョッキが空中で元気よくぶつかった。
「これ分かる、分かります! 口に入れる前からすでにうまい!」
ジョッキを顔に寄せた詩怨が軽く跳ねた。
「あーこれヴァイツェンだったんだ、小麦のビール。甘い香りするわ。どれどれ」
一口、すすりこむ。
「おっ、おー……想定の五倍ぐらいうまい」
小麦ビールっていう小麦ビールだ。甘くてふんわかする香りに、するする飲めちゃうおとなしい味、後味はしんみりと苦い。
「ゾラホフの、ヘーフェヴァイツェンね。ジクマリンゲンにブルワリーがあるらしいわ」
右手にジョッキ、左手にスマホのミル姉さんが言った。
「アルセーは知ってる?」
「スイスのすぐ上あたりでしたっけ、行ったことはないです。はー……おいし」
アルセーはビールをくぴっと呑んで、鼻からゆっくり息を吐いた。
「お肉!」
詩怨が過不足のない言葉で要求を伝えた。えー、まだ甘えんぼうの気分なの? 要求を全て高精度で満たしてあげたくなっちゃうじゃん。
「ちょっと待ってなね」
肉塊にナイフを入れる。皮がむちっと切れて、肉は押すだけではらはらと繊維が分離して、骨からするりと剥がれた。
「ほい、肉」
「わーい! はぶっぅおっほほほほほ!」
肉を咥えたまま詩怨は爆笑した。
「ぶぁっはははは!」
肉を飲み込んでのけぞって笑った。
「最強!」
最強ならそれが一番だな。
俺も食ってみた。
「最強じゃん」
むっちむちの、粘りつくような歯ごたえの皮。ほろっほろの肉。ぶわぶわ香ってしょっぱくて、ぴりっと辛い。
ほどけた繊維を奥歯でむぎむぎ噛みしめると、じんわり、舌がきゅっとなるような肉の味が出てくる。
「となるとビールか」
ヴァイツェンをがーっと入れて、再び肉。ああこれ最強だな。
「あ! ばかほどおいしい!」
やっと本分を思い出した?
Vチューバーだよね君。
「まあもはやカメラも無いけど」
「甘いですよ臣下さん。朕が昨日アップロードした動画、観ました?」
「見てないな。いつの間に?」
「三時です。夜の」
「その時間にアップしてるのエガちゃんぐらいじゃない?」
スマホを取り出すと、たしかに新着動画があった。
『最強冒険者と勇者がガチで試合してみた Full fight:アルセー・ナイデスvsミルガルデヴャルド・ギョリンモルデル』
アップされていたのは、ミル姉さんとアルセーの試合だった。
「実はプロトンさんというユーチューバーからDMがあって、この動画をいただいたんです。すごいんですよプロトンさんは! 登録者数二万人のトップユーチューバーなんです!」
また価値観がハイパーデフレ起こしてるし、プロトンさんって、もしかしてあのプロトン?
「わー!」
スマホを見ていたアルセーが絶叫した。
「ほ、ほ、ほんとだ! プロトンのゴロ巻きチャンネルって……登録しなきゃ。わー! “さみだれ”ファザナとガチスパーしてます!」
なんの話題から拾っていけばいいのかなこれ。
「見てください、臣下さん。ド深夜のアップにも関わらず、再生数が五千を越えてるんですよ! これは、急上昇いっちゃうのでは!?」
まだなにも拾えてないのにどんどん要素が散乱していく。
「ええと、まず……プロトンさんは、なんでDMを」
「え? 分かんないです。なんかURLと、『悪いことした。謝罪は追い追い。許可取れたら好きに使ってくれ』って文章だけで」
「それでURL踏んじゃったの?」
「そしたら動画でした。すぐアップしました!」
かつて登録者数六万人のVだったのにどうしてここまでネットリテラシーが壊滅的なんだ。
「詩怨。まず、知らない人からのDMを受け付けない」
「え? はい」
「次に、知らない人から来たDMに貼られていたURLを踏まない」
「そうなんですか?」
「それから、ちゃんと事前に、映像に映っている人とか試合の権利者の許可を取る」
「はあ……」
だめだ、これっぽっちも心に響いてない。いつかとんでもない大炎上を起こすぞ。前の運営、もしかして権利関係だけはちゃんとしてたのかな。
「私は構わないわよ。いつものことだもの」
「わたしも気にはしませんけど、きちんと許可は取るべきでしょうね。詩怨さん、あなたはあなたにとっての炎上リスクであると同時に、ご主人の炎上リスクでもあるんですよ」
「あ……は、はい。そっか、そうですね。考えてませんでした。ごめんなさい、臣下さん」
アルセーがぴしゃっと言ってくれて、詩怨はたちまちしおしおになった。
「痛くない失敗でよかったと思いましょう。詩怨さん、次からは権利関係に気を配れますか?」
「はいっ」
また就活生の返事だ。
「それでは、この話はおしまいです。はー……おいしっ。染みてますね」
アルセーはじゃがいもをぽくぽくほおばってビールをぐいぐいやり、スマホを眺めた。ゴロ巻きチャンネルにもう夢中だ。
「それで、詩怨はなに、これから格闘技を推してく感じなの?」
「はい! これからは街の喧嘩自慢にスパーリングを申し込んだりタバコのポイ捨てを注意したりする動画で勝っていきます!」
「それ朝倉兄弟の勝ち方じゃない?」
路上の伝説作るつもりなの? Vチューバーが?
「分かった、言いたいこと自体は分かった。じゃあもう今日はゆるゆる食って飲んで終わりのオフコラボってことね」
「お、オフコラボ! それ! やりたかったやつ! そうそうそうそうそうそう! それです臣下さんそれ! オフコラボ! ミル、オフコラボ!」
過剰反応した詩怨がガタガタ揺れた。
「そうねえ、たまにはいいわよね、オフコラボ」
ミル姉さんも甘やかすねえ。
「んっへへへへ! いやーこれは、いよいよVの者ですか! 朕も! んっへへへへへへ!」
めっちゃ嬉しそうにしてくれるじゃん詩怨。芯食った発言できたみたいでうれしいよ俺。
「わたしも、詩怨さんに協力できそうですよ」
スマホを置いたアルセーが、なんか、鋭い目つきで言った。
「実は明日から迷宮調査がありまして、前入りするのに、ご主人のポータルをお借りできないかなって思っていたんですけど」
視線が、ミル姉さんに向く。
「どうですか、勇者様。大イスタリ宮でのガチスパー」
ゴロ巻きチャンネルにすぐさま影響されてるじゃん。
「あら、アルセー。あなた変わってるのね」
ミル姉さんは、たまらない笑みを浮かべた。
「仕事前に殴られて泣きべそかきたいなんて」
二人のあいだで、空気が歪む。
「これは……撮れ高ですね! やったー!」
詩怨は無邪気にきゃっきゃした。
いやまあ、まあまあまあまあ。
詩怨の命とか迷宮崩壊の危機とか、なんもかかってない状況で純粋に白黒つけたいってのはね。
まあまあまあまあ、分からなくもないよね。
「ご主人はどうされますか?」
「え、なんで俺? このあと片付けして寝るんだけど」
「そうですよね。わたしのセコンドが無ければ、ヨーカにもヴェルガシオンにも通じませんもんね」
あーあーもう、始まっちゃったよトラッシュトークが。
「そういうの、負けたときめっちゃださいよね」
んで俺もなんで付き合っちゃってんの。観てもないゴロ巻きチャンネルに影響されちゃったのかな。
「大人げないわよ、アルセー。サンマルイチ号さんみたいな素人をいじめて、楽しいと思う?」
「素人っすかね? 俺。一応ヴェルガシオンと闘ったんすけどね。二人をぼこった冥王と」
俺たちは立ち上がった。
「撮れ高やば! やば! 待っててください、カメラ持ってきます!」
詩怨はてててっと階段を駆け上がっていった。
「やりましょう」
「ええ」
「っす」
どじゃああああああああん。
エンター・ザ・ドラゴン・イマジナリー おしまい!




