エンター:地獄川詩怨
もんのすごい大振りの、フックとアッパーの不義の子みたいなパンチが飛んできた。
バックステップで大きくかわし、すり足でにじり寄って左のジャブを突く。
ヴェルガシオンはうっとうしそうに俺の前手を払うと、左手を振り上げ、立てた五本指の引っかきを繰り出した。
これは、スウェーでいけるな。
のけぞりながら、カウンターで左フックを引っかける。顎を俺のパンチに撃ち抜かれ、ヴェルガシオンは驚いたような顔で後ろに飛び跳ねた。
「痛い……なんで」
「効いてるね」
詩怨の顔してなくてよかったよ。
躊躇がないわけじゃないけど、まあ殴れないことはない。
「なんで! どこに! 死ね!」
突進をサイドステップでかわし、右カーフキックをぶん回す。左ふくらはぎに食らったヴェルガシオンはがくんとつんのめった。
「死ね! 死ね!」
両腕を突き出したヴェルガシオンの膝に、関節蹴り。ヴェルガシオンは痛みに顔をしかめた。
攻撃は、通っている。バフの残りは、あとどれぐらいだ? それまでになんとかしないと。
「ご主人! バフあと二分!」
アルセーがすかさずセコンドについてくれた。両腕と武器を失ってなおだよ、とんでもない精神力だわ。S級冒険者にして最強セコンドだ。
「詩怨、今どこにいると思う?」
俺は訊ねた。
「答えて! 混ぜたんだ! 死ね!」
体ごと前傾する右ストレートの外を取って、右フック。ヴェルガシオンの鼻が、拳の下で潰れる。
「そう、混ぜたんだよね。混ぜたっていうか、なんだろ……入れた?」
息を呑んだヴェルガシオンが、自分のおなかをさすった。
俺はすかさず飛び膝、のけぞって避けたヴェルガシオンの後頭部に両腕を回してロックする。
首相撲だ。
「あのっ、嫌いなっ、知らないのをっ」
腹に膝を食らいながら、ヴェルガシオンは歯ぎしりした。
「混ぜっ、たんだっ」
座標喪失をガードできるアルセーが、なんで両腕を吹っ飛ばされたのかというと、つまり防御しなかったからだ。
アルセーは身を護るのではなく、ポータルを開いた。ミル姉さんの必殺技で傷ついた、ヴェルガシオンの背中に。
で、ファザナが珊瑚衝でヴェルガシオンの注意を引いた瞬間、俺はあらかじめ開けてあったポータルに詩怨の生首を放り込んだ。
ポータルを通して、詩怨の頭がヴェルガシオンの体内に入った、という次第だ。
なんならこれで爆発四散ぐらいしてくれないかなーと期待してたんだけど、どうもうまくいかないね。
とはいえ愛の存在根の、効果はどうやらてきめんだ。バフがかかっているとはいえそこらの中年の打撃が、しっかりダメージを与えている。
「っああああ!」
ヴェルガシオンは首の力だけで俺の両手を振り払い、右回し蹴りを放った。
俺は左手を下に、右腕を上にして、噛みつくようにヴェルガシオンの蹴りをキャッチする。
「タックル行けます!」
蹴り足を引っ張って相手のバランスを崩し、腰に抱き着く。膝裏を押しながら振り回し、ヴェルガシオンを押し倒す。
俺たちは、ヴェルガシオンが短針で俺が長針だとすると、六時二十五分みたいな位置関係でもろともに倒れ込んだ。
「ナイッスゥー!」
アルセーの掛け声、毎回毎回本当にいいタイミングで来るんだよ。これが無かったら自分が正しいのか間違ってるのかすら分からん。セコンド、偉すぎる。もし格闘技の動画観ることあったらセコンドに注目していきたい。
「んんんんっ!」
ヴェルガシオンは下から左手を突きだし、顔を殴ってきた。一発こつんと目に当たって、意識がぶっ飛びそうになる。
「胸つけて! 左腋差して!」
アルセーの指示通り体を倒してべったりくっつき、ヴェルガシオンの首と、ばんざいするような格好の左腕を、俺の左腕でまとめる。
「顔で押さえて! そのまま首に腕を回しますよ!」
暴れようとする左腕に頭を押し付け、互いの顔で挟む形に持っていく。
左手を、ヴェルガシオンのうなじの下に滑り込ませる。
相手の首を、前腕と上腕で挟み潰すような態勢だ。
「死ねっ! 嫌い! 嫌い! 嫌い!」
ヴェルガシオンは自由な右手で俺の左肩を引っ掻いた。肉がいっぺんに抉れ、どういう神経の繋がりなのか、なぜか奥歯に激痛が走った。
「肩固めいけます! 右手と左手握手させて! クラッチです!」
うなじの下にある俺の左手を、右手で握る。これクラッチっていうんだ、またひとつ勉強だな。
「がまんですよご主人! ここからがまん比べです!」
ヴェルガシオンは両足を高々と振り上げ、振り下ろす勢いで肩固めから逃れようとした。クラッチが緩まないのが分かると、今度は踵で地面を引っ掻いて、時計回りに回った。
「がっふぁっ、がぁああ、がぁああ」
死にかけの豚みたいな嘶きは、絞めつけられた気管が必死になって空気を送り出す音だ。
「あと一分!」
やばい、時間ない。どこまでやればいいんだ? そもそも、ぼこったらなんとかなるもんなのか? ミル姉さん、めちゃめちゃ自信なさそうにしてたぞ。
「詩怨」
ためしに、呼びかけてみる。
「詩怨、聞こえてる?」
「死……ね……」
息といっしょに、ヴェルガシオンは憎悪を吐き出した。
「服ボロボロじゃん。ららぽに買いに行かないと」
「き、ら、い、死、ね、知ら、な……」
「がんばりどころですよご主人、ここがんばりどころです!」
体を回転させようと暴れまわるヴェルガシオンを、必死で抑え込む。少しでも力を緩めたら、一瞬でクラッチがほどけそうだ。
「もっと右腕引いて、ご主人! 体寄せて!」
右手を自分の体の下に入れる。ヴェルガシオンの右胸に、自分の左胸を横から押し付ける。そうすると、より深く、左腕がヴェルガシオンの首に食い込む。
「いよいよプリキュアの光るパジャマ買っちゃう?」
「ヴェ……ん……は……お、墓……」
締めつけられた首から、音のない声が漏れ出す。
「実は、さわやか一緒に行きたいんだよね。詩怨と」
「ヴぇ、ん、か、ち……」
「知ってる? 月の何日かフェアがあって、でかいジョッキのジュースがついてくるんだよセットで。でそのジョッキが、けっこう想定を上回ってでかいんだな。見たことないでしょ」
「お、は、か……ヴぇ、る……ん」
「さくらんぼカルピス飲みたくない? 今の時期限定のやつ。なんかさわやかってカルピスなんだよな。俺は」
「き、ら、い」
「お昼さわやかで食って、もうおなかいっぱいでなんもやる気ないから帰ってプライムビデオ漁って、なに見よっかーとか漫然としてる内にもう晩飯の時間だけど、動いてないからけっこうげんこつハンバーグがおなかに残っちゃってんだよね」
「し、ら、ない」
「米いっかーってなって、炭水化物抜いてみる? ぐらいの感じでさ、チマチマしたおかず並べて、でもけっきょく吞んじゃうから糖質めっちゃ摂ってんねって、なんかさ、いっしょに暮らすってそういうことでしょ、詩怨」
「ヴェ、ル……わ、わたっ、朕、は」
俺は笑った。
「一人称の建て付け、悪くなってきたんじゃない?」
腕に全力を込めて、引き絞る。
「しっ、臣下、さん……」
「聞こえてる?」
「し、し、死、ね」
「もう一押しかー」
「あと十秒です!」
歯を食いしばって、無感覚になり始めた腕で、ただ、絞める。
イビキみたいなヴェルガシオンの呼吸音が、次第に、細くなっていく。
ヴェルガシオンの全身が、いきなり、日向の猫みたいにくにゃっと柔らかくなった。
同時に、俺の体から力が抜けた。
「はあああああ……」
俺はごろんと横転し、失神したヴェルガシオンの隣で仰向けになった。
指先一つ動かないし、体中が痺れてる。痛みは、まだ感じない。アドレナリンが切れたら一気に襲ってくるんだろう。
横目に、ヴェルガシオンを見る。
「ごめん……は違うな。ごめんじゃないだろ。謝って済む問題じゃないし。ポケモン方式じゃなくて、いっぺん殺した後に起き上がって来るドラクエスタイルだったら、俺、たぶん殺してたよヴェルガシオンのこと」
山羊みたいな巻角が、ぐらっと揺れた。下から押し上げるように、インパラみたいなねじれ角が生えてきた。
赤いぼさぼさ髪が、毛先から紫銀のふわふわ髪に変化していった。
褐色だった肌が、すうっと、白くなった。
「うあ」
詩怨が、ぴょこんと身を起こした。
目があった。
「う、あ……」
白黒目と黒白目が、俺を見ていた。
きつく閉じて突っ張ったくちびるがぷるぷる震えて、まなじりが見る見るうちに涙でいっぱいになって、
「ふぇえええええ……」
詩怨は情けない声で泣くと、俺に覆いかぶさった。
肩固めじゃん。
「うぇええええええ」
悪い夢で飛び起きた子供みたいに、詩怨はわんわん泣いた。
「おーおー、甘えなせえ甘えなせえ」
泣きじゃくる詩怨を撫でるために、ほぼ死んでいる俺の体のどこかから、無限の力が湧いてきた。
「しっ、っく、しっ、しん、臣下さっ、しんかさん、んううううううう……」
「怖かったよなー。もう大丈夫。全部なんとかなった。なんもなし、世界まるごと平和そのもの。怖いこと一つもない」
「うぶぅううううう」
「腹減ったなー。帰ったらさわやか行く?」
「いっひっぐぅう、行ぎますぅううううううう」
詩怨はいつまでも泣き続けた。
ほんでまあ、冥王ヴェルガシオンfeat.ドラゴン・イマジナリーによる大イスタリ宮崩壊の危機は、どうにか食い止められた。
問題は事後処理だ。
アルセーは両腕ないし、ミル姉さんは両脚ないし、ファザナに至っては死んでいる。
「座標を失うということは、存在そのものを失うということです。奇跡での治癒には期待できません」
けろっとした調子でアルセーが言った。
「えっじゃあ一生?」
「そうなっては、詩怨さんの寝覚めが悪いですよね」
「はい、ええ、はい……」
ひとしきり泣いた詩怨は、ことの大きさにめちゃくちゃしょぼくれていた。悪いのはヨーカで、詩怨は被害者側だと思うんだけどなこの事件。
「そこで、詩怨さん。お願いがあります」
「はい」
詩怨は正座した。神妙すぎる。この局面で被害者ムーブできないの、誠実っちゃあ誠実だけど要領の悪さでもあるな。
「あなたの内側には、白龍ヨーカが残っているはずです。正鵠を得るならばドラゴン・イマジナリーの力ですね。半竜半人たる冥王の権能、強奪によって」
「はいっ」
詩怨は背筋をびしっと伸ばした。もう就活だよその居住まいの正し方は。
「その力があれば、失われた座標を復帰させることが可能でしょう。ただしそれは、呪詛返しに似た術となるはずです。一度使えば、ドラゴン・イマジナリーの権能はあなたから失われてしまうでしょう」
「承知いたしましたっ」
あまりにも返事が就活生だったからか、アルセーは面食らってしばし沈黙した。
「ええと、理解できましたか? せっかく手に入れた力を失うんですよ」
「承知いたしましたっ」
逆にもう返事だけ良いけどなんも分かってない新人みたいになっちゃってる。
「そうですか」
アルセーは、なんか、俺を見た。
「ご主人、覚えていますか? 憎悪は、愛よりも存在根を強化してしまうと言いましたよね」
「あーね」
アルセーが詩怨の生首を頭蓋ランタンにしてたときのことね。一年前ぐらいの話に思えるわ。
「すみません、あれは間違っていたようです」
え、そうなんだ? へー、アルセーでも間違えるんだね。
「ねえ、あなたたち、察しの悪いところが似てきたんじゃないかしら?」
ほげーっとしてたらミル姉さんがイジってきた。
分かってよ、照れ隠しだよ、どうしても額面通りに受け取りきれない中年の気持ちこそ察してよ。
「では、やらさせていただきますっ!」
緊張と申し訳なさと挽回のチャンスがごっちゃに押し寄せて、詩音はなんか、バイト敬語になっていた。
「んんんんんん……」
ズアッ! と漆黒のオーラが詩怨から噴き出した。
「あ……それっぽい雰囲気いりますか」
詩怨が卑屈な笑みを浮かべながら俺たちに訊ねた。
「いいよいいよ、やりやすい感じでいこうか詩怨の」
「はいっ」
だから加害者ムーブは大丈夫だって。
むしろひどい目に遭った人たちの精神を逆なでする結果にしかならないよそれ。
黒いオーラがどんどんでかくなり、龍の形象を採った。龍は煙のようにゆらゆらと立ち昇り、はるか上空で首をねじって俺たちを見下ろした。
「あの……」
まだなんかあるの?
「では、やらさせていただきますんで……」
やりやすい感じでいこうね。
宙でとぐろを巻いた黒龍が大口を開け、口からどす黒い火球を吐き出した。
数秒かけてゆっくり落ちてきた黒炎は、着弾するなり闇を振りまき、俺の視界は完全に閉ざされた。
暗闇の中で風が吹き、黒い炎が吹き散らされる。
「おお」
アルセーの両手が、ミル姉さんの両脚が、もとに戻っていた。
「は……! 冥王は!」
お、ファザナも無事に生き返ったね。
観客席のみなさんも、生き返ってざわざわしはじめた。
よーしよしよし、何もかも元通りだ。白龍ヨーカは死んじゃったみたいだけど……言ってしゃーなしだね。
「うぶっ」
詩怨が呻き、口を両手で抑えた。
「ぶぶぶぶぶっ」
おっとおっと?
「ぶぉえろろろろろろ」
抑えた両手を押しやって、詩怨の口から、白い鱗に覆われた腕がずるずるっと吐き出された。
「おー……?」
なにこれ。
「白龍ヨーカの存在根ですね」
アルセーが言った。
やっぱり存在根って肉体の一部に紐づけされてるものなんだ。
「詩怨さんがドラゴン・イマジナリーの権能を喪失したことで、拒絶反応が起きたのでしょう」
じゃあ残りは詩怨の中にあるってこと?
軽く想像してみたけど、ダルくなってきたのでやめた。
「待って」
俺は、だれかが何かを言い出す前に口を開いた。
もうだいたい分かっちゃってんのよこっちは。パターンが。
「調理はしないよ」
きっぱりと宣言する。
すると、みんな、その手があったか。の顔になった。
問題がありすぎるでしょ、これを食材とみなすのは。
まず、知性体だし。
リンヴァースの名士だし。
詩怨の口から出てきたものだし。
「でも、ここまで苦労させられたんだもの。少しは報いを受けてほしいものだわ」
ミル姉さんが異世界特有の懲罰感覚でものを言った。
「いや十分に受けてますって報いは。だって取り込まれちゃってるんすよ詩怨に」
これ以上は報いじゃなくて辱めでしょ。
「なに肉なんですか?」
嘔吐の直後で喉をぜろぜろ鳴らしながら、詩怨が訊ねた。
「東洋龍の肉を部位で捉えたことないよ俺。生きてて一回も」
山海経でもやってないでしょそんなこと。
「すね肉かしらねえ」
ミル姉さんはげんこつでヨーカの脚をごんごん叩いた。
死体から食材への気持ちの切り替えが早すぎる。
「いやだって……知性体……知性体って、なんだろ、わりと人類っていうか……」
クジラとかイルカは賢いから食うなって言ってる人たちの気持ちが、生まれてはじめて分かった気がする。
あれ、クジラを人類の枠に入れちゃってるんだろうね。
そりゃあどれほど白い目で見られようとクジラ食うなって言い張るよ、その気持ちめちゃくちゃ分かるよ。
どんなことでも明日は我が身だなあ。
ただひとり俺の味方をしてくれそうな、アルセーに目をやる。
アルセーは気まずそうにうつむいて半笑いを浮かべた。
「いえ、その……久しぶりに、ご主人のつくってくれたものが食べたいなーって」
おおもとの倫理観が違う。
そうだよ、喋れるドラゴンの肉を料理させられたことあったよメイズイーターに。
グレイトドラゴンの腕肉を低温調理したことあったよ俺。
かなりどうでもいい気分になってきた。
ごめんけど、俺はクジラを食えちゃうサイドの人間だわ。
「分かった。じゃあ祝勝会しよう。ファザナさんも来る?」
「はあ? 行くわけないです下らない。ファザナは群れないですよ」
「そりゃ残念だ。地球来ることあったらウチ寄ってね。ドリンクサービスするから」
ファザナは鼻を鳴らした。
「これから修行ですよ。絶対、絶対! 次はぶっ倒すですからね、くそばばあ!」
「いつでもどうぞ、かわいいたこちゃん」
「くたばれ!」
捨て台詞を残し、ファザナは去っていった。お客さん増やしそこねたな。
「すみません、わたし、ちょっと仕事があって……」
「いつならいける感じ?」
アルセーはローブからモレスキンの手帳を取り出し、ぺらぺらめくった。
「一週間後でしたら空いてます」
「あいよ、一週間後ね。仕込んどく」
「わあ! ありがとうございます! ありがとうございます! ご主人の料理、楽しみです!」
アルセーはぴょんぴょん跳ねた。
「やーとんでもない。何からなにまでやってもらって、料理ぐらいしかお返しできなくて」
「いえいえ! そんな! そんなです! けっきょくはご主人にお任せしちゃいましたし!」
俺とアルセーはぺこぺこ頭を下げあった。
「さーてさてさて。帰るかあ、詩怨」
呼びかけると、詩怨はてこてこ歩いてきて、俺の腰のあたりにひしっとしがみついた。
なるほど、今日は甘えたい感じか。
承知いたしました、そっちが根負けするまで甘やかさせていただきます。




