エンター:ヴェルガシオン
「まったく……」
アルセーはため息をついた。
「ご主人、覚えていますか? 虚界は迷宮の座標を確定させるため、大イスタリ宮にビルトインされた空間です。虚界を乗っ取るということは、大イスタリ宮の全てを思いのままにするということです」
「あんまり民主的じゃないね」
俺は、爪を立てられた詩怨から目を反らさず、相槌を打った。
「我こそルール! 我こそ司法! 大イスタリ宮の、全ての裁きは我に在り!」
「ふざけんなバカヤロー!」
観客の一人が叫んだ。
「はぐれた冒険者を罠にかけて殺して装備を剥ぐのが面白くて冒険者やってんだバカヤロー! 誰だろうと裁かれる筋合いはねえぞバカヤロー!」
「そ、そうだそうだ!」
冒険者に、観客たちが同調する。
「好きにやって勝手に死んで殺されて、それが迷宮だ、冒険者だ! それをなんだおまえは正しくしようとしやがって!」
「バカ! 独裁者!」
「全体主義的悪夢の擬人化!」
「未来世紀ブラジル!」「ジョージ・オーウェル!」「オルダス・ハクスリー!」「キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー!」
物凄い勢いで罵声と物が飛んでくる。
「よかろう。我が秩序を食らえッ!」
怒鳴っていた観客の体が、一時停止でもしたみたいにビタっと静止した。そいつの肉体は、ガラスが砕けるように、空間ごと粉々になって床に落ちた。
「これがドラゴン・イマジナリーの秩序の力! 無秩序なクズの座標そのものを消失させる! 座標を喪失すれば存在すら適わん!」
ヨーカは、声を上げた観客を片っ端から砕いていった。
「我がゲームのルールは一つ! ドラゴン・イマジナリーへの反逆は完全なる消滅!」
その背後で、やばいことが起こっていた。
刻まれつつあった詩怨の体、その腕が、びくっと跳ねて手錠を破壊した。
腹に食い込む骨の手首を掴んだ。ぐっと力を込めると、骨は粉々になった。
刺さった爪を引っこ抜き、投げ捨てる。足の戒めも外して、首無しの死体が地面を踏む。
詩怨は、無い頭でヨーカを見上げた。
首の断面からどす黒い霧が噴き出して、鯨みたいな形になった。
「ドラゴン・イマジナリーの裁きは全ての無秩序を解体するのだ!」
いやいやいやいやちょっともうそれどころじゃないよ勝ち誇るの一度やめて後にしよう、後ろ後ろ、やばいってやばいって。
きっと積年のなんかがとうとう叶ってハイになってるんだろうね、気持ちは分かるけどとにかくまずはクールダウンしてはやく気づいて……いやどうなんだ、え、これ判断が難しいね? 何がどうなってんの。
「冥王が……万年凌遅を破って……」
アルセーは顔面蒼白になっていた。
「さばっ」
大口を開けた黒い霧が、ヨーカの尾に食らいついた。
「なんだッ! 無秩序ッ!?」
麺でも啜るみたいに、詩怨はつるつるっとヨーカを飲んでいく。
「こんな……うわ!」
ごくん。
ヨーカを食らった霧は、詩怨の体内にするする戻っていった。
俺もアルセーも観客も、全員きれいに絶句し、詩怨に目を注いだ。
詩怨は十字架の掲げられていたステージを飛び降りて、観客席最上段の階段に着地した。
「え……ひぎゃっ!?」
最後列に座っていた観客が、一斉に砕け散る。
詩怨が、階段を一段降りた。
同列の観客が、空間ごと破裂する。
そこで詩音は立ち止まり、ちょっと周囲を見回した。戸惑っているようにも、自分のやったことをしっかり確かめているようにも見えた。
観客は、逃げようともしない。びびって硬直して、身じろぎしただけで死んじゃうんじゃないかと祈りながらガタガタ震えている。
「なんてこと……ヴェルガシオンは、ドラゴン・イマジナリーの力を得てしまったんです!」
「最強?」
「最悪です! 冥王が憎悪のままに力を使えば、大イスタリ宮の全てが座標を失い崩壊する……!」
気が遠くなってきた。大イスタリ宮の名士とコラボしてバズりたかっただけなのに、なぜか世界が滅びつつある。しかもこれ二度目なんだよ空飛ぶサメに続き。人生で二度もそんなこと起きる? バズろうとするのってそんなに罪?
詩怨が、また一つ階段を降りようと、足を振り出す。
「クガタチ!」
三日月型の水刃が直撃し、詩怨はぺたんと尻もちをついた。
「勇者様!」
ビキニアーマー姿のミル姉さんが、腰マントをなびかせながら空中きりもみ回転で詩怨に迫る。
「しお! ばかをさらして!」
ミル姉さんは、右手のクガタチをぶんぶん振り回しながら詩怨に急接近。
左わきに抱えているのは、詩怨の生首だった。
「はっ!」
ラグビー選手みたいに飛び込んで、詩怨の首に、頭を叩き込む。
閉じていた目が開いて、白黒目と黒白目が、ミル姉さんを見た。
「……しお?」
ミル姉さんは、おそるおそる、詩怨に声をかけた。
「死ね」
詩怨は冷たく言った。ミル姉さんの体が静止した。空間にぴしっと亀裂が走った。
「え、ちょっやばっ」
俺はがばっと身を起こした。
「詩怨やばい、それはやばいって絶対に」
俺が手を振ったり立ち上がろうとしてすっ転んだり、とにかくなんか大きい動きをしていたら、詩怨の目線がこっちに向いた。
ミル姉さんはがくっと膝を突き、肩で息をしながら血を吐いた。
ばっちり目があって、詩怨は、油の中でバチャバチャやってるジョセフ・ジョースターを見るときのリサリサ先生みたいなスーンとした表情だった。
これは死んだな俺。
と、詩怨は顔をしかめ、舌打ちすると、インパラみたいな巻角を掴んだ。
自分の頭を自分で引きちぎると、思いっきり振りかぶり、ぽーんと遠投した。
再び首無しとなった詩怨は足元に転がるミル姉さんに無い目を向け……そこにもう、ミル姉さんはいなかった。
じゃあどこにいるのかというと、俺の目の前だ。
「失敗しちゃったわ。かつての勇者が無様なものね」
ミル姉さんは吊るされながら自嘲した。
「冥王ごときに殺されかけるなんて、それでもファザナのライバルですか」
吊るしているのは、“さみだれ”ファザナの触腕だった。
「二度も助けられたのよ。ライバルは返上していいかしら」
「だーめーでーすー。オマエは絶対ファザナの手で殺すですよ、くそばばあ」
なにごと?
「ヰケラと妖艶オリュンポスに襲われたとき、助けてもらったのよ」
「ふん! あんな間抜けにむざむざ殺されるぐらいなら、放っておこうと思ったですよ!」
えー、知らないところでこっちより面白そうなことしてんじゃんあなたたち。
詩音が階段を下った。が、今度は観客席の誰も破裂しなかった。
「いいことじゃありませんよ、ご主人。ヴェルガシオンは、ドラゴン・イマジナリーの力を制御下に置き始めているんです」
ほっとした俺に、アルセーが釘を刺す。
「勇者様は、愛の存在根で憎悪の存在根を打ち破ろうとしたんですね」
「ええ、そうよ。しおに賭けたの。失敗だったけど」
「それでは、どうすれば?」
「……体力を、削れば、あるいは」
ミル姉さんは自信なさげに答えた。なるほどね、アンパンマンかと思ったらポケモンだったのね。
ぶん投げられたモンスターボールは……ナイター照明に引っかかって影絵になっている。
「アルセー、ファザナ、しおを連れてきて」
触腕から抜け出したミル姉さんが、二人に指示する。
「私は、ヴェルガシオンを足止めするわ」
「はい、勇者様」
「死ぬんじゃねえですよ。ファザナが殺すまで」
ファザナは、アルセーの装備一式を触腕の中から取り出した。
「ぼんくら。自分の装備は自分で管理しろよです、メイズイーターともあろうものが」
「す、すみません」
アルセーは恐縮しながら装備を受け取り、粘液まみれでぬとぬとのローブを身につけた。
三千世界大統一天球を、しゃらんと振る。
「としよりドラゴンとまいごのエルフ、終章より――エルフは雲の涙を拭いた」
地面がきらきらして、ズタボロだった体の傷と痛みが引いた。アルセーはエリアヒールを撒いてくれたらしい。
「行きましょう、ファザナ」
「命令すんなです! ミルに負けたザコが!」
「そうですね、あとでわたしとも戦ってみますか?」
「ぶちのめす! です!」
アルセーとファザナが、ナイター照明に向かって走り出す。
ミル姉さんは顔の前で腕をクロスした。
「我が名はミルガルデヴャルド・ギョリンモルデル!」
ビキニアーマーの肩パットがジャキン! と展開し、剣の柄が飛び出す。
「邪の象形たる半竜半人と誓せし冥約の勇者!」
ズアっ! と金色のオーラを出したミル姉さんに、詩怨が反応した。
「クガタチ!」
右手の剣を引き抜く。
「ヒギショウ!」
左手の剣を引き抜く。
「冥王ヴェルガシオン! 今一度……今一度、眠りなさい」
階段を蹴った詩怨の体が放物線を描き、ミル姉さんの前に着地した。
「ねむ……れ……?」
風みたいな声を詩怨は発した。
「ねむった、こと、はないよ」
首の断面にぼこぼこっと肉が盛り上がる。
「目を閉じるだけで」
肉塊に口が形成されて、クッキリした言葉をしゃべった。
「殺された、殺した、憎まれた、憎んだ、ぜんぶ、思い出すよ」
山羊みたいな巻角と真っ赤な長いボサボサ髪の、女の顔。
「眠れないよ。ヴェルは眠れない」
膚が、カフェオレでも流したように褐色へと変化していった。
「……懐かしい顔ね」
ミル姉さんは引きつり笑いを浮かべ、横っ飛びに跳んだ。直後、ミル姉さんのいた空間が粉々に割れた。
「お墓を作ってあげた」
遠ざかるミル姉さんを追いかけるように空間が裂けていく。
「ふたりのお墓を」
「ヒギショウ!」
ミル姉さんは炎の刃を飛ばしながら接近に転じる。
「さみしいから。ふたりきりは」
炎刃の直撃を受けながら、詩怨は……ヴェルガシオンは、ささやき続ける。
「みんなのお墓を作ってあげる」
「クガタチ!」
水刃に隠れて突進したミル姉さんが、クガタチでヴェルガシオンのみぞおちを突いた。切っ先は皮膚でぴたっと止まり、血の一滴すら流れない。
「そしたらヴェルは、やっと眠れるね?」
ヴェルガシオンは、にっこり笑った。
ミル姉さんはさっと後退したが、遅かった。
前に出していた左足の、膝から下が座標喪失に巻き込まれて砕け散った。
ヴェルガシオンが、尻もちをついたミル姉さんを笑いながら睨み、一秒、何も起きない。
「……混ぜた?」
冷たい表情を、ヴェルガシオンが俺に向ける。
「混ぜた?」
「ええとその、なんだろ、なにを?」
俺はとりあえず返事をした。時間稼ぎにはなるだろう。
「なにかを。ヴェルの知らないものを」
「やーちょっと、身に覚えが……あるっちゃあるんだけど、知らないってつまり、詩怨のことかな?」
「しおん」
ヴェルガシオンが瞑目した。いいねいいね、仕事できてるよ俺。数秒後には死んでるだろうけど。座標喪失したらどうなっちゃうのかな、蘇生してもらえるかな。
「しおんを、ヴェルは知らないよ」
「ああそうなの? 良い子だよほんとに。知り合えば仲良くなれるんじゃないかなーって思うんだけど」
「知らないけど、嫌い」
時間稼ぎ終わり。あとはがんばってくれ、できれば蘇生してくれ、できる範囲でかまわないから。
俺とヴェルガシオンは、けっこう長いこと、ばっちり見つめあった。
「……どうして?」
それからヴェルガシオンは、首をかしげた。
「死なない?」
おー?
これは、まさか、そういうことか?
「地球人はそもそも、リンヴァースの座標を持たない!」
ミル姉さんが時宜を完璧に得てくれた。
「だからドラゴン・イマジナリーの座標喪失が無意味なんだわ!」
きたな、効かないねえゴムだからのパターンが。
いいじゃんいいじゃん。
ミル姉さん、あれお願いします。
「もしかしてサンマルイチ号さんは……ヴェルガシオンにとって世界でただ一人の“天敵”!」
どうもどうも、どうもね。
「うーっし、やったろうかぶっ」
俺は腹パンされて膝を突いた。
内臓全部潰れたかと思った。
「おおお……」
なんの覚悟もないところにもらうボディブロー、しんどすぎる。
ぱかっと顎を蹴られ、仰向けにされた。
「混ぜた、混ぜた、混ぜた」
爪先で脇腹をドスドス蹴られまくる。肋骨が体の中でたわむのを感じる。バフあってこの痛み? 辛すぎない?
「また眠れなくした!」
力いっぱい蹴られた俺の体はごろんと反転して今度はうつぶせになった。
「ヴェルを眠れなくした!」
また蹴られてまた仰向けに。
「死ね」
ヴェルガシオンが足を振り上げる。踏みつけで頭を砕く気なのだ。いやまあ、予想外の奮戦だったんじゃないかな。
「ハイー!」
邪悪な七色の残光を曳いて、三千世界大統一天球が振るわれた。
直撃を受けたヴェルガシオンの体がわずかに傾ぎ、アルセーを見た。
「……知らない。けど。嫌い」
「そうでしょうね!」
アルセーはバックフリップで座標喪失を回避する。
「封印してあげたんですよ、あなたのこと。忘れてしまったんですか?」
「知らない。嫌い。死ね」
「ハイッ!」
モーニングスターの槌部が亀裂と衝突し、紫色の火花を上げる。
「三千世界大統一天球のアビリティはポータル生成! 思った通り、ジャストタイミングなら座標喪失も相殺できますね!」
あ、最初に出てきたとき自分でポータルこじ開けてたの、それ? こっちはいっつもあっちに空いただのこっちで消えただの、ポータルに振り回されてるのに。最近ようやくメイズイーターの規格外ぶりが分かってきたよ俺も。
「シィッ!」
“さみだれ”が奔って、ヴェルガシオンの胴をぴしゃっと打った。ヴェルガシオンは不快そうな表情でファザナを睨んだ。
「来いですよこのザコ! 冥王がどうした! 最強はファひゃあ!」
ミル姉さんに首根っこを掴まれ後ろに引っ張られ、ファザナは尻もちをついた。砕けた空間のカケラが、ファザナの顔に落ちかかった。
「強者は自分の強さをいちいち説いて回らないものよ、ファザナ」
「う、うっせえですよ! 説教すんなくそばばあ!」
ファザナは顔を真っ赤にした。できあがってんねえ。
「ご主人!」
アルセーが、詩怨の生首を放った。大事なモンスターボールを俺はしっかりキャッチした。
「後はお願いします!」
「はいよ」
モーニングスターを手に、アルセーは駆け出した。
「ハイッハイッ!」
座標喪失をジャストガードで相殺しながら突進する。
「クガタチ! ヒギショウ! 神明断刀!」
ミル姉さんが、炎と水を纏った二刀で背中を切りつける。
どうやら必殺技っぽい一撃が、肉にずずっと食い込む。
「珊瑚衝!」
がら空きの顔面に、右腕甲殻のバックハンドブローが叩き込まれる。
ヴェルガシオンは、殴られながらファザナを睨んだ。
「死ね」
割れ鏡のように、空間が裂けた。
三人はぶっ飛ばされて地面を転がった。
アルセーは両腕とモーニングスターを、ファザナは右半身を、ミル姉さんは残った右足を失っていた。
「あとは、一人と一つ」
ヴェルガシオンがこっちを見た。
「もう、混ぜさせない」
「アワワワワ」
俺はヴェルガシオンに背中を見せ、這うようにして逃げた。
「混ぜるものを、壊すよ。死ね」
一言一言が真に迫りすぎている。口にした以上はどうなろうと確実に遂行する意志力の塊としての言葉だ。こんなぶっぱなされたミサイルみたいな人相手によくクソデカ感情抱けたねミル姉さん。
ヴェルガシオンは俺の肩を掴み、ぐるんと乱暴にひっくり返した。
それから、眉根をひそめた。
「どこ?」
俺の手に、詩怨の生首はない。
「混ぜるもの、どこ?」
「俺はA連打派だったんだけど、今ってどうなのかな? ボールの揺れに合わせてプロコン振ったりしてんのかね、ジャイロで」
「どこ!」
踵踏みつけが腹に刺さって、俺の体はくの字に曲がった。腹の中が、じわっと熱い。いよいよもってなんか破裂した? 脾臓とか。
「モンスターボールが当たったあとの話なんだけど」
喋ったら喉の奥がめちゃくちゃ熱くなって、口いっぱいに鉄っぽい血の味が広がった。俺はヴェルガシオンを見上げながら、必死の思いでしたり顔を続けた。
「どこ!」
再度のスタンプを、転がって回避する。左手を前に出しながら立ち上がる。
「ぼこって吐かせなよ、ヴェルガシオン」
俺は左拳が前のオーソドックスに構えた。
「己が荒野は、己が拳で殴り拓くもの……ってアルセーが言ってたよ」




