エンター・ザ・ドラゴン・イマジナリー⑮
「“薙刀葉蜂”だってのか、これが! いつやった、アルセー!」
「さあ、いつでしょう?」
アルセーはクスクス笑った。
なんだっけ薙刀葉蜂って、はるか昔にどっかで聞いたことあるはずだよな。
――“薙刀葉蜂”と“鼈甲蜂”を見たかったわ
――取っておいてあげますよ、勇者様のために
そうそう、アルセーの一回戦が終わったあとだ。ミル姉さんの試合でついぞ出てこなかったからそのまま忘れてたわ。あんな煽っといて試合じゃけっきょくミル姉さんに完封されてるんだから、うかつなトラッシュトークって自分の首を絞めるよね。
とにかく、その必殺技がとうとう決まったのだ。
「柔らかな松の新芽を食い破る、蜂の一刺しです」
たぶんあのときか。ちょづいたプロトンが、壁をぶち抜きながら右、左ってパンチを出したとき。と、ストレートリードへのカウンター。
伏線が完璧じゃん、間柴対木村返しだ。
「こンのッッ」
プロトンは、右腕を鞭みたいに使った横殴りを仕掛けた。アルセーは深く屈んで回避すると、至近距離からの左ヴァレリーキックをプロトンの右カーフに見舞った。
「がっああッ!?」
神経に踵の直撃を受けたプロトンは、膝をがくがく震わせながら後退する。
「一本拳による、手根管への打撃ですよ」
アルセーは、前に出した左拳を威嚇するように振った。その拳をよく見ると、人差し指が突出している。
「肩から手首にかけて走る、正中神経をご存じですか?」
アルセーは左拳の五指を開いてから、薬指と小指を握り込んだ。
「この神経は前腕の回転や、手首の曲げ伸ばし、それから、親指と」
親指を折る。
「人差し指と」
人差し指を折る。
「中指の動きを司っています」
アルセーは、最後に残った中指を、ビッ! とプロトンに突き立てた。めっちゃキレイにファックサイン出す人が身近に二人もいる。
「この神経は、手首の中で手根管と呼ばれるトンネル様構造内部を通過します。骨と靭帯に囲まれた手根管はたいへん狭く、腱が九本ぎゅうぎゅう詰めになっているんですよ。そのため、内部のものは圧迫されやすいんです。どういうことか分かりやすく説明すると――」
アルセーがジャブのフェイントを入れる。反応したプロトンが右手を前に出そうとし、激痛に腕をひっこめた。
アルセーは嗤った。
「今のあなたの状態ですね」
指が動かないから拳を作れないし、腕を回転させられないからジャブも打てない。怖すぎるな薙刀葉蜂。
技がいちいち相手をできる限り苦しませつつ無力化する方向に洗練されすぎてない?
「だったらア!」
プロトンは飛び込むように距離を詰め、右のストレートリードを放った。アルセーは飛んでくる拳にすり足で接近し、左の一本拳をプロトンの右手首に叩き込んだ。
「ぐっくゥううううッ!?」
「そうですね、ストレートリードは縦拳ですから、打てはするでしょうね。辛うじて。でもそれ、普通のジャブと織り交ぜなくちゃ射程距離をごまかせませんよ」
後退したプロトンは、遠距離からの右ローサイドキック。アルセーは、長く伸びたプロトンの脚に飛び乗った。
「なっンっ!?」
プロトンが慌てて脚を引き戻す勢いを利用し、大きく跳躍する。見上げたプロトンは、目を刺す眩いナイター照明に、反射的に瞼を降ろした。
「鼈甲蜂ッッ」
アルセーは、プロトンの頭のてっぺんに右肘を叩きつけた。額を蹴ってとんぼを切り、二メートルほど離れたところに着地する。
悠然と構えるアルセーの前で、プロトンは、無防備に膝をついた。
「う……痛っ、ゔゔゔゔゔゔゔゔゔ!? あがァッ」
受け身も取らず前のめりに倒れたプロトンは、うめきながらけろっと嘔吐し、自分でぶちまけたゲロに顔を浸しながらびっくんびっくん痙攣しはじめた。
どうやらなんらかの技で、プロトンをできる限り苦しませつつ無力化したっぽい。
「ニンフは他種族を発情させますが、その作用機序についてはご存じですか?」
聞いちゃいないだろうプロトンに向かって、アルセーは余裕たっぷりで話しかける。
そうだそうだ、すっかり忘れてたけどアルセーってニンフだったっけ。前に俺も、あれ? アルセーって……いけんこともない……? みたいな気持ちになっちゃったことがあるもんな。
「脳の側坐核と体性感覚野に働きかけるんです。ごく簡単に言えば、対象を興奮させ、かつ、感覚を鋭敏にさせます」
え、感度三千倍ってこと? いやちょっと今メスガキノルマだけで手いっぱいだよ、対魔忍ノルマまでこなしていく自信はないよ。
「そしてこの力は、脳に近い部分へと強い衝撃を与えることで、最大限の効果を発揮するんですよ」
やーなるほど、“薙刀葉蜂”で神経をぶっ潰された痛みが、ニンフの種族特性で三千倍化しちゃうわけね。過去に類を見ない非道な感度三千倍だわ。同じ非道ならせめて気持ちよくするぐらいのホスピタリティがあってほしいよね感度三千倍には。
「これがわたしの“鼈甲蜂”(ベッコウバチ)です……もう聞こえていませんね」
アルセーはつかつか歩み寄っていき、プロトンの顔面にサッカーボールキックをぶちこんだ。プロトンは目を剥いて失神し、ごろんと仰向けになった。
「そこまでッッ!」
銅鑼が鳴り、いい声の人が叫んだ。
「勝者ッ! アルセー・ナイデス!」
どわーっ。
どわーっどわーっどわーっどわーっ。
観客は最高潮にエキサイティング、闘技場内に次から次へと物が投げ込まれる。アルセーは一顧だにせず、こっちに向かってふらふら歩いてきた。
「お疲れー、お疲れお疲れ。すごい試合だったね」
「ああ……ご主人」
アルセーは一言呟くと、くたっと倒れた。抱き留めようとした俺を押しのけて膝を突き、四つん這いになると、真っ赤な血を吐いた。
「うお」
「破れて、ますね、肺が」
「肺が」
俺はあほみたいにおうむ返しをした。目の前で人の肺が破れたの生まれて初めてだから、どうしたらいいのかまったく分からない。
「すみませんが……わたしの、装備を」
かすかすの声でそう言うと、アルセーは激しくむせてまた血を吐いた。
「そうだ、装備、ミル姉さんが、ミル姉さんなんかどっかいっちゃって」
吐いた血が広がり、アルセーは肘を滑らせ横転した。
「……そう、ですか」
やばいやばいやばいやばい死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ。
「エアーに、よる、福音書……三章……第、五節より、ささげ、もの、の、羊」
かすれ声で、アルセーは奇跡を唱えた。血だまりの中で背を丸めたアルセーは、どろっとした肉片みたいなものを吐くと、冬の風みたいな甲高い音を立てて呼吸した。
「すみません、手を……」
アルセーの手首を掴んで、引き起こす。チェストガードもショートパンツも肌も、海老茶色でどろどろで、錆びた臭い。
「奇跡、使えるんだ」
「最低限、ですけどね。致命傷が、深手になる程度の」
壁にもたれて座ったアルセーは、立てた両膝の間に頭を突っ込んだ。
「決勝が、残っていますから」
「いや決勝どころか次の試合がまず無理でしょ。ミル姉さんに任せなよ」
「あれを」
アルセーが通路の先を指さした。よくよく目を凝らすと、なんか白っぽいものが灯りにきらっと反射した。
「なんだろ……んん? さっぱり分からん」
「糸です」
「糸?」
「蜘蛛の」
「蜘蛛?」
「ヰケラの」
「ヰケラ? あ」
ここまで言われてようやく、参加選手の一人“女王蜘蛛”ヰケラ・ミズナラのことを俺は思い出した。
「うそじゃん、ミル姉さん闇討ちされちゃったの?」
「万全であれば、あるいは一対一であれば、遅れを取るはずのない相手ですが」
「なんも装備ないしたぶん囲まれてるもんね、妖艶オリュンポスだかの構成員に。いや、でも、こんなタイミングで?」
そもそもプロトンとアルセーの試合は、次にヰケラと戦うはずだった“爪獅子”ガルスの穴を埋めるためのリザーブマッチだ。闇討ちと言ったって相手は勇者、自分が傷つかないとは限らない。あんまり合理的な感じはしないな。
「ヨーカの、手の内、なのでしょう」
「えー?」
そうなるとどうなる? じゃあヰケラがすっごいがんばって、ミル姉さんをやっつけたとしよう。それで、元気よく次の試合に出られるならいいけど、逆にボコられたり、予想以上に食い下がられたりしたら?
「これよりお集まりの皆々様に、大変残念なお知らせを告げなければなりません」
良い声の人が沈痛な良い声で言った。
「第二回戦出場予定のヰケラ・ミズナラ選手ですが、本人の負傷による棄権が決定いたしまいた」
ほらー。ミル姉さん勇者よ?
となると、決勝は自動的にミル姉さんとアルセーの対決になるから、これはもうどう転んだって大勝利だ。
リザーブマッチから急転直下でことが進んだな。
「ああ、だから決勝が残ってるって言ったんだアルセー」
アルセーはにやっと笑ってうなずいた。
そうだよな、ミル姉さんだってそうそう負けないよな。
アルセーを完封したぐらいだしな。
よーしよしよし、巻いていこうぜ。
「また、先ほどのリザーブマッチにおいて反則行為が認められたため、アルセー・ナイデス選手を失格とします」
おお?
「なんだそりゃ」
観客席が、俺の気持ちを代弁するようにむちゃくちゃブーイングした。ものすごい勢いで物が飛んでくるが、良い声の人は堂々としたものだった。
「試合中、アルセー選手は自らの負傷を治癒する目的で奇跡を行使しました。試合中の魔法・奇跡について、神饗ルールでは一切認められておりません」
後頭部をがつんと壁にぶつけたアルセーは、へし折れそうなぐらい強く組んだ指を額に当て、ぎりぎり歯ぎしりした。
「くだらないミスを……あのときです。意識が飛んで、反射的に」
引っぱたかれてぶっ飛ばされて、記憶喪失に一瞬なったときか。
「いやでも言ってしゃーなしでしょ。冒険者としての生存本能だもん」
なんの慰めにもならないだろうけど、とりあえず俺は言った。アルセーは自嘲の笑みを浮かべてうなずいた。
「また……」
良い声の人が口を開いた。まだなんかあるのか。
「決勝戦進出予定のミルガルデヴャルド・ギョリンモルデル選手ですが、本人の負傷による棄権が決定いたしました」
おっとお?
「え、これなに、どうなっちゃうの?」
あっという間に参加選手が全員いなくなっちゃったんだけど。
巻きすぎじゃない?
観客席は、ひえっひえに静まり返っていた。
「さて、お集まりの皆様」
良い声の人が静かに良い声で口を開いた。
ナイター照明がぜんぶ消灯し、スポットライトが良い声の人を照らす。
「不幸ないくつかの事故によって、神饗ワンデイトーナメントの参加選手はゼロ人となってしまいました。そこで、リザーブマッチを提案したいと思います。参加選手は……」
良い声の人がジャケットを脱ぎ捨てた。
「もちろんこの私ッ! ヨーカだッッ!」
お、おおお……?
それはちょっと、予想してなかったぞ。
Gガンダムの最初に出てくる眼帯の人みたいな枠だと思ってたよあなたのこと。
ちらっとアルセーを見て安心しちゃったよね、ちゃんと呆気にとられた顔してくれてるんだもん。
どわーーーーーーーーっ。
観客が、沸いた。
今日一の沸きを見せた。
えー、ありなんだこれ? なんか急に疎外感だな、知らない内輪ノリを見せつけられてる。
「さあ、この私に挑む者は!? 白龍ヨーカを打倒せんとする者はッッ!? 我が顎を越えて冥王の躯を得んとする者はッッッ!?」
どわーっ。
ヨーカッヨーカッヨーカッヨーカッ。
今大会初のコールが主催者に向けられるとはね。
いやいやいや、皮肉言ってる場合じゃないぞ。
これは、ものすごくやばい。
「……仕方ありませんね」
アルセーが立ち上がった。
「無理だってアルセーは」
「わたしに権利はありませんよ」
アルセーはボストンバッグをじーっと開けて詩怨の生首を取り出すと、俺に差し向けた。
「詩怨さんは、輸血鬼の権能を残しているんですよね」
「ええと?」
「白龍ヨーカが、くだらないとんちを利かせてくるような想定はありました。何か起こったときのため、勝手ながらご主人を補欠登録していたんです」
あ、俺の出番が来るって、こういう……?
もっとこう、なんやかんやで暴走したヴェルガシオンを思い出語りで説得するとか、エモい方向性の出番だとばかり。
「ためらうことはありません。ルールの枠内です。初期のUFCではこういうこともありましたよ。リザーバーの忍者がトーナメントの決勝だけ戦って優勝したんです」
忍者の優勝が気になりすぎる。なんでここで追っかけたくなるようなトピックス一個足すの。
「あーそうか、そうだよなー。もうそうなってくるよな」
「はい。忍者は次のUFCにも出場し、一回戦を勝利で飾っています」
話した当人まで追っかけたくなっちゃってるじゃん。
あとで聞かせてね。
俺は生首と向き合った。
意識ないところから血を分けてもらうって倫理的によくない気はするよな、ちょっと昏睡レイプの感じしない?
これで嫌われたり、人格を否定されたりしたら……まあまあまあまあ、言ってしゃーなしか。
とにかく、詩怨を助ける。
じっとりしてる場合じゃない。
「詩怨死んじゃってるけど、権能使えるんだ?」
「輸血鬼の権能は当人の意志に関わらず発動しますから。とはいえ、どんなバフがかかるかは博打ですが」
なんか前ミル姉さんに、俺には強すぎてかけられないバフかけてなかったっけ?
どうなっちゃうんだろう。いきなり破裂したりするのかな、体が。
「ままよって感じだな。生きててままよって感じになったのはじめてだわ」
俺は生首を顎クイして唇を押し当て、舌を口内にずぼっと突っ込んだ。
甘くてしょっぱくて、鉄の味がした。
どくんと、心臓が一跳ねした。
血管を、冷たく粘ついた液体が素早く流れていくような感覚。
「すこしも躊躇しませんか。ご主人、しばらくお会いしない内に変わりましたね」
アルセーは、けっこう面食らっていた。
「そう? まあ店持っちゃったからね。自営業なんてその場の勢いだよ基本」
俺は適当にすっとぼけた。
「うーっし、やろうかい」
ほんで、腕をぐるぐる回して闘技場に向かった。
「っす、お願いしゃっす」
で、ぽかんとするヨーカに挨拶した。
「……おまえは、居酒屋の」
「先ほどはどうもお世話になりました」
「やるのか? おまえが?」
「まあその関係者なんで。冥王の」
ヨーカは俺の頭のてっぺんからつま先までをじっくり三度見した。
「冥い魔力を感じる。戯言ではないようだ」
ぱっと見てそんな雰囲気出てんの? 俺?
ジワジワ人間離れしてきちゃってんな。
「誰であれ、ルールの枠内だ。闘って決めるに如くはなし。UFC3におけるスティーブ・ジェナムの例もある」
それもしかしてアルセーがさっき言ってた忍者のこと?
世界をまたいで知れ渡ってるじゃん逸話が。
やっぱコンテンツとして強いなー忍者。
「我らを、神よ、照覧あれッ!」
ヨーカが良い声で叫んだ。
「互いに相い撲り神を饗せんと、我ら頓心のままにッ! ただいまよりッ! 神饗ワンデイトーナメントッッ! 決勝戦を行いますッッッ!」
どわーーーーーーっ。
「現れたのは強者か愚者かッ! 冥界王ヴェルガシオンの、別たれた愛の存在根を手に殴り込みをかけた地球人類の参戦だッ! さあ括目して見よ! 未だ零勝、而して無敗ッ! “外敵”ッ! 居ぃいいいいいいいい酒屋ぁあああああッ! さんまるいちぃいいいいいいいいッ!」
どわーーーーーーーーーっ。
リングネームが屋号になっちゃった。
ヨーカは、構えた。
右手右足を前にした、サウスポースタイル。
俺は、なんか、どうしたらいいか分かんないのでとりあえずミル姉さんっぽく左足を前に出した。
どじゃあああああん。




