エンター・ザ・ドラゴン・イマジナリー⑭
プロトンが起き上がるのと、アルセーが着地するのは、ほぼ同時。
両者が相手に向かって走り出したのも、ほぼ同時。
プロトンは前手の右でジャブを走らせた。アルセーは突き出した左拳でジャブを弾き、前進。目突きを警戒したプロトンがガードを高く上げるや、
「ハイッ!」
左踵踏みつけを、プロトンの右足親指に叩きつけた。食い込んだかかとの下で爪が割れて肉が爆ぜ、血が噴き出した。
プロトンはボールでも蹴るように右足を振り出した。サイドステップでプロトンの体の外側に避けたアルセーは、横に振り出した右足を、鎌でも振るうように走らせた。
戻って来るプロトンのアキレス腱と、走ったアルセーの踵が、真っ向から衝突する。
「下段踵蹴り! すご!」
ミル姉さんは、我を忘れた感じの悲鳴をあげた。
蹴り足を刈られたプロトンはバランスを崩し、片足立ちで数歩下がった。追いかけたアルセーは、跳んだ。体重と慣性の全てを乗せた前蹴りが、プロトンの軸足、その膝にクリーンヒットした。
一瞬、プロトンの膝がふだん曲がらない方向に曲がりかけた。
「んがア!」
プロトンは吼え、膝を正しく曲がる方向に曲げる。アルセーは一瞬だけ水平になったプロトンの腿を蹴って跳び上がると、
「ハイッ!」
空中後ろ回し蹴りを、プロトンのこめかみに叩き込んだ。
「トばした……ッッ!」
ミル姉さんが息を呑む。プロトンの目が、ぐるんと上を向いたのだ。
「ハイッハイッ!」
アルセーは空中で体を回転させ、再度、後ろ回し蹴りを敢行。踵でこめかみを繰り返し撃ち抜く。
「あれによく勝てたっすね、ミル姉さん」
「あれをやらせなかったのよ。します、させます、させません、ね」
なんかぼんやり見たことあるなその言い回し。往年のニコニコ動画で。
「ハイーッ!」
トドメとなるだろう、無慈悲な蹴り込み。
「らアアアア!」
意識が飛んでいたはずのプロトンが、吠えた。
体に止まった蚊でも叩き潰すような張り手を放った。
ばかでかい手とプロトンの筋肉に、アルセーの体が挟み込まれる。
「がっ」
短い悲鳴を上げたアルセーが、頭を下に落下する。
「そらア!」
打ち下ろすようなパンチを無防備に食らったアルセーは、斜め下にすっ飛んでいくと、地面をガリガリ抉りながら滑走して壁に激突した。
「あ……あ?」
起き上がりながら、アルセーは首を回して辺りを見回した。
「アルセー! まずい、記憶が飛んでるわ! アルセー、敵! 目の前に!」
「え……あ……より……」
ミル姉さんの呼びかけに、アルセーはかすかなぼそぼそ声で応じる。機を逃さず、プロトンが突っ込んでくる。
「て、き」
ガードを上げたアルセーに、プロトンの、掬い上げるような右アッパーが突き刺さった。打ち上げられたアルセーはまたも壁にぶつかり、ボールみたいに弾んだ。
「まアだまだア!」
左の打ち下ろし。アルセーは辛うじて、プロトンの手首を打った。わずかに軌道の逸れた拳が、壁をビスケットみたいに粉砕する。
「さア!」
左を戻しながら、今度は右。またもアルセーはプロトンの手首を打った。プロトンの腕が勢いよく右に跳ねる。アルセーの体に、力が戻ってきたらしい。
「え? 待ってください、なんで“ゴロ巻き”プロトンが?」
「しゃア!」
「わー!」
左回し蹴りを、アルセーはしゃがんで回避。ころころっと転がって、プロトンから離れる。
「ちょっと……思い出してきました」
「そうかい!」
荒々しく突っ込んできたプロトンは、右のダブルから左ストレートを放った。アルセーはステップバックし、構え直す。
「クレバーね、プロトンは。畳みかけるタイミングと、冷静に立ち回るタイミングをよく分かっているわ」
プロトンは、アルセーの状態を確かめるようなサークリング。一方のアルセーは、例のコンパスでプロトンに相対する。
「振り出しに戻るって感じっすね」
「でも、お互い距離設定は終わっているわ。プロトンの一撃が決まるか、アルセーのカウンターが刺さるか……」
あんなの何発ももらったら、アルセーの体は粉々に砕け散るだろう。今立ってるのがちょっと信じられないぐらいだ。
時間はタールが垂れ落ちる速度で流れる。
動いた。プロトンが。
前に出した右を、鋭く突く。アルセーはスウェーしながら、左拳でプロトンの手首を打つ。
止まるはずの拳が、止まらなかった。
プロトンの拳が額に突き刺さり、アルセーは棒みたいに倒れた。
倒れたアルセーに、プロトンはサッカーボールキックをぶちかました。アルセーは手足をばらばらに動かしながら飛んでいき、観客席に落下した。
「ストレートリード!」
ミル姉さんが悲鳴を上げる。
「ジークンドーの打ち方よ」
聞いたことあるぞジークンドー。
「ブルース・リーのやつっすか?」
「ええ。ストレートリードは、肩を開いて打つパンチね」
ミル姉さんは、きょとんとしている俺の右腕を取って、パンチの形に伸ばした。
「このまま、左腕を肩ごとめいっぱい後ろに引いてみて」
言われるがままにすると、右腕の到達距離が伸びた。
「はーなるほど、リーチが伸びるんすね」
「これが肩を開くということよ。射程距離が変化するの。まったく同じモーションで、ジャブとストレートリードを使い分けるなんて……」
ただでさえデカくてごついオーガが、繊細な技術まで身に着けてるのか。
「アルセーのカウンターは、パンチの到達点を見極めて放つものよ。プロトンはジャブを何度も見せて、アルセーの距離設定が終わるのを待っていたんだわ」
「伏線が完璧だ」
間柴vs木村じゃん。
「終わりでいいかい、アルセー」
アルセーは床に肘をつき、震えながら上体を起こした。
「冗談でしょう?」
「練れてンなあ」
プロトンはたまらない笑みを浮かべた。
「サイドキックに、コンバーテッドサウスポー……JKD使いであることを、警戒すべきでした」
アルセーはよたよたと階段を降り、転がり落ちるようにして、闘技場に戻った。
JKDはなんとなくジークンドーのことだろうなーって分かるけど、コンバーテッドサウスポーって何?
解説が来ないなーと思ってチラっと横を見たら、なぜかミル姉さんがいなかった。
「あれ? トイレかな?」
この局面で? もしかしてずっと我慢してたのに、解説のためにいてくれたのかな。だとしたら悪いことしちゃったな。
「続けるつもりなら、アルセー・ナイデス。死んじゃってもしょうがねえよなア?」
「できると思いますか? 地上でどぶ浚いをしてきたちんぴらに?」
プロトンは右腕を持ち上げ、顔を引きつらせた。
煽りが効いたのかな? と思ったけど、そうじゃなかった。
「……なんだア」
プロトンが、右手に目を落とした。肘から先を回転させようとして、うめき、歯を食いしばった。
「なんだア!」
怯えたように怒鳴るプロトンめがけ、アルセーがすり足で前進する。




