エンター・ザ・ドラゴン・イマジナリー⑧
彼我の距離、なお三メートル。
ファザナが触腕の長射程ジャブ“さみだれ”を散らし、ミル姉さんはその周辺をのそのそ周り続けた。
「アグレッシブに! 両者アグレッシブに!」
良い声の人が警告を入れた。
「あっははは! 勇者様って、冥王とも塩試合してたんですかァ!?」
ファザナが嗤いながら“さみだれ”を振った。ミル姉さんは上体を反らして避けると、再びのそのそ歩き。
「それともおばあちゃんになっちゃったから? 激しい動きが膝に来ちゃうのかなあ!」
「めっちゃ煽るじゃん」
意外なところでメスガキノルマ達成してきたな。
「これ、ミル姉さん詰んでない?」
俺は後方腕組みセコンド面のアルセーに声をかけた。
「ご主人にはそう見えますか」
「おっと久々に出たね、こいつなんも分かってねーな。の顔」
「今、勇者様は“さみだれ”をスウェーで回避しました。つまり、射程距離を完全に掴んだということです」
「スウェーって、こう、のけぞるやつ?」
ミル姉さんがやったような背を反る動きをしてみると、アルセーはうなずいてくれた。正解だったらしい。
「だったらこのまま、勇者様! 削り殺してあげますよ!」
“さみだれ”が放たれた瞬間、ミル姉さんは右斜め前に――“さみだれ”の軌道の内側に、飛んだ。触腕の戻りに合わせて猛然と突進し、ファザナの眼前で飛び跳ねた。
「スーパーマンパンチ! でもそれはッ!」
アルセーが叫ぶ。
「再びようこそいらっしゃいです、勇者様ッッ!」
ファザナはミル姉さんに背を向けていた。下半身、腰から下を一周する八本の触腕が、絞った雑巾のようにねじれていた。
「“珊瑚衝”!」
触腕のねじれを解き放ちながら、積層構造の石灰鎧に覆われた右腕を思い切り振りぬくバックハンドブロー。
ちぎれた頭が観客席まですっ飛んでいきそうな、とんでもない勢いの一撃だった。
「おばかちゃん」
嘲笑。
ミル姉さんの頭上数センチを、“珊瑚衝”はむなしく横切っていた。
腰を深く落としたミル姉さんが、右腕をまっすぐ突き出す。ファザナのみぞおちに、拳が食い込む。
「どっぶぇ」
ミル姉さんは一発左フックのフェイントを入れると、切り上げるように繰り出した右足をファザナの脇腹にぶっ刺した。ファザナは後退しながら甲殻の右腕をぶん回し、ミル姉さんはステップバック。
「かわいいたこちゃん。フェイント全部ひっかかってくれるのね」
今度は、ミル姉さんが嗤う番だった。
どわーっ。
観客は沸きに沸いた。アルセーもどわーっ。ってなりながら拍手していた。
「ご主人! これは……ご主人!」
「聞いてるよ聞いてる、大丈夫だから」
肩を掴まれ揺さぶられながら俺は返事をした。
「そう、つまりこれはこの……射程が長いということは、戻りも長いということ! 大きいステップインから触腕の戻りに合わせてスーパーマンパンチ! を、フェイントにしたボディストレート! すかさず右の三日月蹴り! 女はボディを狙えのセオリー通りです!」
「待って、そんなセオリーがあるの?」
「一般論ですが、女性は腹筋が薄いですからね。ボディが効きやすいんです。わたしもやっぱり、あっ子宮……ってちょっと思っちゃいますもん」
アルセーは笑った。あっ子宮……って思うのはね、男性が笑っていいものかどうか迷っちゃうところあるよね。
「“さみだれ”を突破した相手に“珊瑚衝”をぶつける。これがファザナの勝ちパターンです」
「崩されちゃったわけだね」
「ええ。勇者様らしい、とても美しい対処法です」
「アルセーだったら?」
「“さみだれ”が来たところを掴んで、手刀か噛みつきですね。引きちぎってしまえば、二度と飛んできませんから」
相手がミル姉さんでよかったねファザナ。
「ここからが、ファザナの真価を問う戦いになるでしょう」
ファザナは半身になり、甲殻右腕のガードを高く上げ、左手を腰のあたりで構えた。
サークリングするミル姉さんに常に相対するよう、触腕をねじっている。両者の動きは、ファザナが針でミル姉さんが鉛筆のコンパスみたいだ。
「これは……うまいなあ! ああ、もうッ! わたしが闘りたいッ……!」
アルセーが身をよじってじたばたした。なんも分からん。俺が分かっているのは、どいつもこいつも完全に詩怨を忘れているということだけだ。多分ミル姉さんも忘れてるよこれ。めっちゃ楽しそうに戦ってるもん。
「見てください、ファザナの、高く上げた前手を。分厚い甲殻で、勇者様の拳を捌くためです」
「まああんなコンクリートみたいなもん殴りたくはないよね」
「そして、低くした左手。ああいう位置から出てくるパンチって、向き合ってると見えにくいんですよ。攻防一体、ご主人に分かりやすく説明しますと、天地魔闘の構えです」
「ありがとね、ダイの大冒険はけっこう好きだよ俺」
『天』と『地』はともかく、『魔』要素がどこにあるかは分かんないけど。
「さすがは“さみだれ”ファザナと言ったところですね。さあ、勇者様は……動いた!」
ミル姉さんは踏み込みながら左のダブルを放った。ファザナは右腕甲殻で防ぐと、ミル姉さんの右ストレートに、外からかぶせるような左フック。ミル姉さんは素早く引き戻した右手でファザナの左をはたき落すと、右足を低く走らせて触腕を蹴った。
ばちゅん、と、触腕表面を覆う粘液の弾ける音。
ファザナは痛みに顔をしかめながら、甲殻腕の右ストレートを放った。ミル姉さんはヘッドスリップで拳を避け、再び低い蹴り。さっきとは別の触腕を蹴る。ファザナは打ち上げるような左のパンチを放つが、ミル姉さんはとっくにステップバックしている。
「こっのッ……くそばばあ!」
「老獪でごめんね、たこちゃん」
ファザナの顔色が、明らかに変わっていた。
いや、動きもだ。サークリングするミル姉さんを正面に捉え続ける動作は、変わっていない。だが、ミル姉さんに蹴られた二本の触腕は地面にだらっと垂れたまま。
解説を求めて、横目でアルセーを伺う。
「はわわわわ……」
アルセーは両手で口を覆い、はわわわわ……になっていた。たぶん、なんか、スーパープレイだったんだろう。
「か、か、カーフキック……! 天才です! 勇者様は天才です!」




