エンター・ザ・ドラゴン・イマジナリー③
どす黒い海に立つ波頭は多腕生物の触手のように、ぬるついて生物的だった。
波をかきわけて、小舟が軟体の海を進む。
舳先に片足を掛けたアルセーが掲げる詩怨の生首から、船を導くように、光の粒子が漂い流れた。
闇の中にあって、その暖色の光はまさに標だ。
無辺の黒い海が広がる、虚界。
ここではなにもかもが光を拒絶して黒い。
「すっごいとこだね」
三角帆の、なんか綱みたいなもんを言われるがままに引っぱったりゆるめたりしながら、俺は言った。
「虚界は迷宮の座標を確定させるため、大イスタリ宮にビルトインされた空間です。隔絶された場所ですが、存在根を持つ者にとってはアクセスが容易ですから」
「なるほど」
「それゆえ、白龍ヨーカはこの地を塒としています。詩怨さんの存在根も、ひとたびヨーカの権能に囚われれば無力でしょう。往時の冥王ヴェルガシオンであれば、容易くはね除けることもできた筈ですが……愛と憎悪であれば、後者がより存在根を強化してしまうという事実は、既知のあらゆる広義人類にとって究極の皮肉ですね、ご主人」
「なるほど」
同じ言語を使ってるのにこんなにわかり合えないこともあるんだな。
「とにかく、白龍ヨーカを見つけて、叩きのめせばいいんだね」
俺はおそるおそる要約した。
「その通りです。多くの困難と試練を伴うことでしょうが」
アルセーは、光の流れる先を凝視しながら静かに頷いた。
「乗り込んだ瞬間にバレたりしない?」
「問題ありません。魂のアドレスを匿名化していますから。ご主人に分かりやすいようそちらの世界で説明すると、Torのようなものです」
「ダークウェブじゃん」
ふと水平線に、まっしろな光の粒が点った。
見まちがいのようにかすかな点は、またたくように点滅するたび大きく膨れあがり、やがて月ほどの大きさになる。
光は水平に走る円柱となって闇を薙ぎ、俺たちをわずかのあいだ強く照らした。
灯台の灯りだった。
「見えましたね」
闇の中に、横たわる龍の影が現れた。
と、龍の背中に、ぽつり、ぽつりと、光が生じる。
光は闇を食い散らかすように広がって、影の全体を浮かび上がらせた。
俺たちの前にあるのは、闇の海に浮かぶ孤島だった。
存在を誇示するような圧倒的光量に、俺は目をすがめる。
島の中央から矢のように放たれた光が、空に龍の形の切り絵を描いた。
「ヨーカの権能は、もう行使されているようです。ご主人、これを」
アルセーが生首を俺に投げ渡した。
キャッチすると、ずっしり重い。
意思なき肉体って、頭だけでもめちゃくちゃ重く感じるんだな。
「しまっておいて下さい。他人の手に、決して渡らないように。私たちの切り札です」
俺はリュックに生首を収納した。
「白龍ヨーカの島。上陸すれば、もう後戻りはできません。いまさら覚悟も問いません。己が荒野は、己が拳で殴り拓くものですから」
アルセーは、開いた手の指を、小指から順にゆっくりと力強く握り込んでいった。
固められた四本の拳に、閂でもかけるみたいに、親指を押し当てる。
虚界のことも権能のことも分かんないけど、ぶん殴っちゃえばいいんだな。
明快でよろしい。
いよいよ全容の見えてきた島は、影のような黒い木々と岩肌の間に、大理石の堡塁が無数に刻まれ、要塞化していた。
一軒家ぐらいあるサーチライトやドバイのビルぐらいでかい灯台、木々の梢を這いまわるぎらつく電飾が、虚界の闇を品の無い光で吹き払っている。
小舟をこぎ寄せた船着き場は、多くの先客で賑わっていた。
なんか屋台みたいのが並んでて、ソースの焦げる匂いがする。
人混みを縫いながら、アルセーの先導に従って俺は歩いた。
「お祭りでもやってんの?」
「そう捉えることは可能でしょうね」
ぼんやりした答えが返ってきたので問い直そうとしたら、なにかにぶつかって俺は尻餅をついた。
「おっと、すまねェな!」
ばかでかい手が差し伸べられたので、すがって立ち上がる。
身長三メートルぐらいあるオーガのおっさんだった。
「やーこちらこそ、すんません。ぶつかっちゃって」
「気にすンな! 祭りだぜ! ヨーカの祭りだ!」
オーガのおっさんはガハハと笑い、腰に吊っていたうさぎっぽいシルエットの燻製肉を頭からボリボリかじった。
「はー、お祭りなんすねえ」
「ちっこいお兄ちゃんも祭りに出ンのかい? そっちのますますちっこいお姉ちゃんも?」
「そんなところです」
アルセーが応えると、オーガのおっさんはあごをさすった。
「……練られてンな、ますますちっこいお姉ちゃん。ヤるのが楽しみだぜ」
「こちらこそ」
オーガのおっさんは腰を曲げ、アルセーと握手した。
「じゃあな! 機会があったら、また!」
おっさんがずしんずしん去って行くと、アルセーはふうっと息を吐いた。
「驚きました。騒擾オケアノスのプロトン・ペルークスが参加しているなんて……ゴロ巻きプロトンは、ヨーカに招待されたんでしょうね」
「なになになになに? いっぺんになに?」
「騒擾オケアノスはリンヴァースにおける非合法組織の一つです。が、同時にA級冒険者パーティでもあります。プロトン・“ゴロ巻き”・ペルークスは、素手喧嘩ならリンヴァース最強と目されているんですよ」
「へぇー……ステゴロの文化あるんだ、リンヴァース」
「わー!」
アルセーは出し抜けにはしゃぎ声をあげた。
「どしたどした」
「す、すごい! “さみだれ”・ファザナ! “爪獅子”・ガルス! わー! “鉄拳孤児”のギルグラン! リンヴァース格闘界の至宝が一同に!」
「えっなに? RIZINでもはじまんの?」
「ああもう! いち観客としてじっくり眺めたいカードばかりです!」
「興奮してるとこ悪いけどもう一回聞くね。 えっなに? RIZINでもはじまんの?」
アルセーは我に返り、ぴょんぴょんするのをやめた。
「恐らくは冥王の存在根目当てに、これだけの人数が集まったのでしょう」
こほんと咳払いひとつ、まじめな口調でアルセーが言った。
「今から始まるのは、どうやらワンデイトーナメントみたいですね」
なるほどですねー。




