シルフの照り焼き⑤
気づく余地は、思い返せばちょっとだけあった。
ワイバーンにぶちのめされて、むちゃくちゃ意気消沈してるところとか。
でもこっちは数秒後の生存が怪しい状況だったんだよ。
生きたまま喰われそうなときに、知り合ったばっかりの幼女が強がってるかどうかなんて分かるわけないだろ。
あー。
うわー。
そうかー。
強がりかー。
「はー……」
俺がため息をつくと、詩怨はびくってした。
「だめだ、ぜんっぜん体力回復しない。そもそもHPが地球人にあるかも知らんし。体感であと二十分はかかるね。回復に」
俺は岩を枕に横たわった。
「えっ? えっえっ?」
戸惑うなよ、察しろよ。
「間違いなく二十分はかかるな。これはもう二十分かかる。そうしたら大変だ」
「二十分って、あと五分でポータル消えちゃいますけど」
そんな正論ここで君の口から出てきていいと思う?
「ポータルの話はもういいよ」
「でも、あと五分ですよ」
俺はがばっと身を起こした。
詩怨はちょっとびくってなった。
「シルフ蜜だかなんだか、食うんでしょ?」
詩怨は、ぽかんとした。
それから、こう言った。
「なんでポータルの話はもういいんですか?」
嘘でしょ。
その粘り腰なんなの。
いくらなんでも察しが悪すぎない?
「ごめん、俺が悪かった。今ちゃんと説明する」
「はい」
詩怨は起き上がって正座した。
「シルフの巣だかなんだかを目指そう。襲ってくるやつは全員やつざきにしよう。で、シルフ蜜を手に入れて調理して動画を撮り、バズろう」
「あ、ああー! あー! そういう!」
ようやく脳に情報が届いたのか、詩怨はぱーんと手を打った。
「やっと分かりました! 照れ隠しだったんですねっ! いや失礼失礼!」
あのねえ君、本当に君……もういいや。
「巣の位置は分かる?」
「方向ぐらいは」
「そんならぎりぎりまで徒歩だね。バフ切れたらそこで終わりだから」
「……はい!」
「っしゃ、行くかね」
俺たちは、地獄めがけて歩き出した。
◇
「消えました」
いくらも歩かないうち、詩怨が言った。
「ポータルが?」
「はい。いま一番近いのは……んんー、おおむね三十キロぐらい東?」
「ま、そのとき考えりゃいいでしょ」
疎林のあらゆる物音に耳をそばだてながら、俺たちは進んだ。
あのクッソ忌々しい鳴き声が聞こえた瞬間、血のバフを発動しなくちゃならない。
判断が遅れたら、たぶん粉みじんになって死ぬ。
死地も二度目なら慣れるもんだ。
迷宮でモンスター狩りなんてごめんだと思ってたけど、この緊張感に順応しつつある自分がいる。
ワイバーンやらアルラウネやら、もうぐっちゃぐちゃになりすぎて元がなんだか分からない肉片やら、ありとあらゆるモンスターの死骸が散らばっていた。
「いくらなんでも凶暴すぎない? 生態系ぶっ壊れてそう」
「階層なんとかかんとかです」
「えっなに?」
「なんとかなんとかです」
「言えてたとこまで曖昧になってない?」
こういうとき、スラスラ答えてくれそうな異世界人の友達がいるんだけどな。
いまミュンヘンの博物館で研究職に就いてるんだよな、ダンジョン生態学だかなんだかの。
「あの、ふだん生きてるとこじゃないとこに来ちゃって、むちゃくちゃ暴れるやつです」
「あー、なんだろ。侵略的外来種?」
「それです! それそれ! 階層間外来種! ポータルで移動したり、冒険者に寄生したりで階層をまたいじゃうんです。シルフはもともと百層以深のモンスターだったはずです」
「怖すぎる」
「人類どもはギルドに討伐依頼を出して対応するみたいですが」
詩怨がちらっと目を向けた先には、辛うじて形を残した、ヒトの屍。
「優秀な冒険者が足りていませんね」
「あーね。人材流出なんかあるだろうしね」
苦悶の表情が目に焼き付かないうち、目を背ける。
死体が放つ異臭にもすっかり鼻が慣れてきた。
木々は深く、地形は険しくなっていく。
樹冠が陽光を遮って、薄暗く、湿っぽい。
うっかり踏みつけた枝は、分解する微生物もいないのか、水を吸ってぶよぶよだった。
人跡未踏だ。
「近いですよ」
詩怨が声をひそめた。
「秘匿されてはいますが、しょせんは下等種族ですね。女王シルフの魔力は隠しようがありません」
「なんか俺でも分かるわ」
空気が、どろりと重たく、奇妙に優しい。
蜜の中にいるみたいだ。
ふと、前を行く詩怨が足を止めた。
「はー……」
深いため息。
「どした? どした?」
「臣下さん。朕はシルフが大嫌いなんですよ」
「さっき言ってたね。なんで?」
「正しいからです。正しいだけだからです」
四方八方から、なまぬるい風が吹き付けた。
木々の隙間の薄暗がりが、一斉に発光した。
「うっわ」
待ち伏せされてんじゃん俺たち。
「ね?」
「ちょっと分かってきた」
敵と味方を瞬時に分け、一切合切容赦しない。
生存に必要な戦術を的確に選んで、全集団で即座に実行する。
巣と女王を守るためなら、個体の死は厭わない。
ぶったまげるほど清く正しく、真社会性の生き物だ。
「朕は! 好きなことだけして! そのうえでチヤホヤされたいんです!」
舌を噛んだ詩怨が、俺に飛びついて押し倒した。
致死の魔法が解き放たれて、俺たちの頭上を通過した。
馬乗りの詩怨は、口からだらだら血を垂らし、息を荒げていた。
「正しいやつらは! 勝手に正しく生きてろ!」
詩怨は体を倒して密着し、腕を俺の首に回すと、思いっきりくちびるを押しつけてきた。
「もがががっ」
舌が俺の唇を割り、にゅるっと口内に侵入した。
ずたずたに裂けたぬるつく温かいかたまりが、歯を撫でる。
上の歯茎に触れ、下の歯茎に触れる。
ちぢこまった俺の舌を、誘うようにめくりあげる。
アスファルトをほじくる小鳥みたいに、舌裏をつつき回る。
甘くてしょっぱくて、鉄の味がした。
俺の口内をむっちゃくちゃに蹂躙した詩怨が、身を起こした。
顔をまっかにして、まゆ毛をハの字にして、下まぶたを⌒のかたちに持ち上げて、口の端を嗜虐的に吊り上げて、なんかもう今にも『フー♡フー♡』みたいな手描きの擬音が顔の横に浮かんできそうだった。
「メスガキノルマ達成じゃん」
俺が言うと、詩怨はくちびるを親指でぬぐい、からから笑った。
「がんばれ♡ざこ臣下♡」




