シルフの照り焼き③
暗転。
直後、俺は岩がちな疎林にいた。
ちょっとした丘がどまん前にあって、視程は取れない。
「えっ? 臭っ、くっさっ」
いきなり異臭に鼻をぶん殴られ、俺は吐き気をこらえた。
なんか、ありえないぐらい臭い。
「これは!」
後からやってきた詩怨が、なんだか深刻そうな声。
「臣下さん、見てください」
横に立って、指さしたのは眼前の丘。
いや、丘じゃない。
あまりにもでかすぎて、認識がおかしくなっていた。
目の前には、数トンの、腐りかけた肉塊があった。
「……やばー」
俺は素直な気持ちを口にした。
詩怨が、撮影用のスマホとリングライトをそっとしまった。
「考えづらいことですが」
肉塊にてこてこ近づいていった詩怨は、お辞儀みたいに体を折ると、インパラみたいなねじれ角を腐敗物にずぼーっと突っこんだ。
「えっなにしてんの。なにしてんの」
「しっ!」
「たしなめるのはいいしちゃんと黙るけど、理由を話してからにしてよ」
「朕の角はセンサーなんです」
紫苑は両こめかみに人差し指を当て、目を閉じ、んむむむむとかうなった。
「魔力の残滓が……やっぱり。シルフですね。はー、大っ嫌いなモンスターです」
シルフ。
ほーん、シルフね。
なんか聞き覚えのある名前だな。
「あっあー、あー」
そうだそうだ、タイリクオオカミの獣人のお客さんが言ってたわ。
シルフが十五層に出てきたから逃げ帰ってきたって。
え?
まあまあ手練れの冒険者が即座に逃げ出すような魔物なの?
やばくない?
「シルフは四大元素の象形です。A級冒険者の領域ですね。まったく、ゲロ吐きそうなぐらい不愉快です」
肉から角を引っこ抜いた詩怨が近づいててすっげえ臭い。
「A級冒険者って、アーティファクト装備してるような連中でしょ。どうすんの」
「当然! 食べます!」
「嘘じゃん、自分で恐怖を煽っといてその結論に到る? ふつう」
「朕は冥王ですよ? モンスターなんかには絶対屈しない!」
「屈するじゃんそれ言っちゃったら。八ページ後には絶対に屈してる確率百パー越えの予言じゃん」
「やってやりますよ! シルフ蜜を巣の蜜シルフから強奪しましょう! ざまあミルタンク!」
「シルフ蜜」
あまりにも聞いたことないんだけど。
「あ、シルフ蜜はですね――」
ばたたたたっと、羽音。
目を向けると、うずら大の、緑色にキラキラ輝く鳥がホバリングしていた。
「シルフ?」
「シルフです」
詩怨はジト目で舌を突き出し、全力で不快感を表明していた。
「大イスタリ宮きってのクソゴミですよ」
「食おうとしてるんだよね」
「味は別です」
しかし、なんだろうな。
もうめちゃくちゃに鳥だな。
もっとなんかこう……妖精みたいなイメージだったわ、シルフ。
きょけっけっけっけっ!
変な声で鳴いたシルフが、八の字の軌跡を描いて飛んだ。
「えっなんだろう。すごく危ないんじゃないこの動き」
きょけっけっけっけっけっ!
きょけっけっけっけっ!
きょけっけっけっけっけっけっ!
疎林のあっちこっちで、鳴き声。
ああもう取り囲まれてんのねこれ。
「どうやら生息域に踏み込んでしまったみたいですね」
「帰ろう」
「最寄りのポータルは五キロ先ですよ。三十分後には消滅しちゃいますけど」
なんで一方通行なうえにランダム出現なんだよ。
いや摂理に憤ってる場合じゃない、所与の条件内でなんとかするしかない。
きょけっけっけっけっけ!
きょけっけっけっけっけっけ!
鳴き声の包囲網が、どんどん狭まっている。
「……本当にいけると思う? 俺には判断つかないんだけど」
「無理かもですね。巣に近すぎるみたいです」
詩怨はため息をつき、がりっと音を立てて舌を噛んだ。
「臣下さん」
唾液まじりの血を乗せたてのひらが、差し出される。
「まあね。もうそれしかないよね」
俺は片膝をつき、詩怨のてのひらに手を添え、血をなめた。
甘くてしょっぱくて、鉄の味がした。
「“血の疾風”です。AGIとDEXが爆発的に向上しますよ」
「ありがとね」
「ん」
ばんざいした詩怨の腋に手を差し入れ、だっこする。
木々を揺らして、無数のシルフが矢のように突っこんでくる。
俺は地面を蹴る。
あっという間に景色が流れた。
開いた目が風で乾き、涙があふれる。
「あこれきつい、風の壁がきっつい」
「西に向かってください!」
「ねえ一応確認するけど、ポータルの方角だよね? 巣じゃなくて」
「そうですよ」
「逃げるってことでいいんだよね」
「はい、大丈夫です」
数秒間浮きっぱなしだった足が地面を捉える。
強く蹴る。
岩を砕きながら、俺の体は前めがけて跳ぶ。
ブゥウウウウウウ……みたいな音がして、直後、爆発。
数メートル横の地面が、岩やら木やら土砂やらを高々と吹き上げた。
「シルフの風魔法です!」
礫片がビュンビュン飛んできて、腕で顔をかばいながら詩怨が叫んだ。
「当たったらどうなるかはね、まあ想像つくよね」
魔法が次から次へと飛んできて、あたり一面の地形を変えはじめた。
あっちこっちから吹き付ける爆風によろけながら、走る。
「うぇっ」
いきなりシルフが進路上にぴゅっと現れ、俺はつんのめった。
とっとっとっと数メートル間隔でたたらを踏み、どうにか転ばず姿勢を直し、至近距離でシルフがぼんやり発光している。
誰がどう見ても、やばすぎる魔法の予備動作だった。




