伝統の消滅
私、アネスティア・カーネイルは、カーネイル家の長女、のはずである。なぜ、はず、なのかというと、自分の格好を見てしまうとどうしても女の子には見えないからだ。
まずは顔。カーネイル家が王直属の密偵だった頃は、地味で目立たない顔をしていたらしい。諜報活動をしているときに目立つ顔だとどうしようもない。それがいつのまにか、顔面偏差値が貴族社会でも上の中から上に位置するくらいに良くなってしまった。それも中性的な顔立ちなのだ。余談だが、顔が目立つようになってしまったため、王の密偵という格好よさげな役職は解任されている。今では領地経営に力を入れていて、父はそれなりの役職にいる。
そして次に服装。これが最大のネックである。私は女の子のはずである。せめて町娘が着るようなワンピースでも着ていたなら、女の子に見えるはずなのである。それが、伯爵家に相応しく、肌触りの良い生地に繊細な刺繍をしていて、貴公子然とした格好をしていると、まるで女の子に見えないのだ。
幼い頃には何とも思わなかった。しかし、四つ上の兄が学園に入学してからというもの、長期休みになって帰ってくるたびにげんなり度が上がって、愚痴も増えていくものだから、我が家のこの、"成人するまでは性別を偽る"という伝統が普通じゃないことを悟ったのだった。まあ、こんなイケメンと美少女たちが排出される家系の伝統が露見しないはずはなかった。
今日は兄の卒業式の日である。来年に入れば、私も学園に入学することになる。憂鬱でしかない。
「アネスロード様、旦那様方がお帰りになられました。」
もんもんと考え事をしていると、我が家の執事がそう話しかけてきた。アネスロードというのは、私が男装しているときの名前である。アネスティアっていう見るからに女の子の名前だと性別を隠すも何もなくなるからだ。
兄の卒業式が終わった後は、父と母と兄が一旦家に帰った後、家族全員で外食に行く約束をしていた。だからきっちり正装しているのだ。
玄関まで駆けていくと、兄が死んだ魚の目をして立っていた。
「兄上、おかえりなさい!」
兄は私の方を見ると、みるみるうちに目に輝きを取り戻し、両手を広げて笑顔になった。
「アネスティア、ただいま!」
ひしっと抱きしめ合う。兄様はいつも私に優しいから大好きだ。そして、兄のハロルドは私のことを一度もアネスロードと呼んだことは無い。男の子扱いしたことがないのだ。その点も大好きだった。ちなみに兄は成人の16歳になっていたので、女装は解除してある。少しの休憩を挟んだ後、私たちは外食に出かけた。
豪華な食事が並ぶ中で、和やかな会話が続く。こないだプレゼントしてくれた髪飾りがどうだったとか、今話題の観劇をみんなで行かないかとか、兄の学園生活のことには一切触れていない。母も私も兄に気を使っているのだ。現時点では、まだ兄の表情は明るい。しかし、そんな中、少し緊張気味の父の発言によって、この場は氷点下の空気に包まれた。
「ハロルド、学園生活はどうだった…?」
全員が無言になる。兄の目が死んでいく。兄はため息を吐いて、ゆっくりと口を開いた。
「ええ、ためになりましたよ。女装だとみんなわかっていて女扱いしたり、気を使ったり、周りの方の優しさが身にしみる思いでした。僕の平和は最終学年の最後半年間だけでしたけどね。あ、卒業式は別です。掘り返してほしくない女装時代をあいつらはとことん掘り返してきましたから。」
無表情棒読みでそんなことを言う兄は、一息にそう言い切ると、ワインを一気に飲み干した。それだけ学園生活、もとい女装生活はストレスの溜まるものだったのだろう。兄以外は全員冷や汗をかいていた。
しばらく無言の食事会が続いた後、ふと、兄と目が合った。ハイライトが無くて、いつもの優しくて明るい兄とは雲泥の差だなと現実逃避していると、兄の顔はだんだん青くなっていった。そして、いきなり立ち上がる。
「父上、このくだらない伝統にいつまで拘っているつもりですか?可愛い妹にまでこんな思いをしてほしくはありません。」
兄は目を鋭くさせて父を見た。父は困った顔をしている。
「確かに、この伝統は、王の密偵と呼ばれたときの名残で、今の時代にしているのは正直意味があるのかはわからない。ただなぁ、やめるにしても、先祖代々してきた伝統だしなぁ…」
「即刻無くしましょう。この忌まわしき伝統を。これ以上ティアに男の格好をさせておくのは、俺が耐えられない。」
被せ気味に言った兄の目は本気だった。
この兄の発言の次の日から、私は男装を解除することになった。私は兄に感謝してもしきれない。