化け猫 リンネ
元来、新しいことが好きだった。炭酸飲料を口にする瞬間に少し似た、煩いくらいに鳴り響く音が頭の奥から聞こえるのだ。
でも今回ばかりは失敗したな、と僕は心の中で呟いた。
「あらあら、珍しいお客さんが来たね。今日は君でしまいにしようかね」
店主、だと思う。顔に数えきれないほどの皴を刻んだ老婆がそう言った。好奇心に負けて立ち寄ってみ
た、路地裏の雑貨屋。この老婆は一体‥‥。戸惑う僕をよそに老婆は続けた。
「なに、おどおどしてるんだい。意外だよ、猫にしては長生きしてるだろうに」
そう、僕は俗に言う化け猫なのである。もう2ケタは軽く越して生きている、はずだ。ただ逆に言えば、見た目はただの猫。当然、その正体に気付くものなんていなかったのに。
「私が何者なのか気になってしょうがないといったところかね」
「そりゃ、猫と普通に会話して、さらには心まで読まれたら気になります」
「私はしがない、雑貨屋の店主さ。ただし、売ってるものはちょっと変わってるけどね」
そういって老婆は目を細め、にかっと笑う。僕はたまらず聞き返した。
「変わってるって、例えば?」
「もう売ってあげたさ、きっと気に入るよ。私には分かる。ちなみに、ラストのお客さんってことで特別に安くしておいたよ」
「ちょっと待ってください! 僕は何一つ払って‥‥」
「外に出れば分かるさ。さぁさぁ、早く帰りなさい。もう本当に店を閉めるからね」
老婆に追い立てられるように外に出たところで気付いた。
「空が、近い?」
ほんの数十分ぐらい前のことだろうと言うのに、夕焼けに染まった空が目の前に広がり、地面がその分遠く見える。ばっと振り返った先には、雑貨屋の姿はなく、代わりに民家が建っていた。そして恐る恐る、手を顔の前に持ってきて疑惑は確信に変わった。
僕はどうやら『人間』になってしまったようだ。
輪廻転生。対価は、僕の化け猫としての命だっということか。これで安くしておいたとか信じたくない。それに老婆がここまで見抜いていたことになるのは癪だ。けれど、まだまだ知らない世界は広がっていることも教えてもらえたわけだし、対価としては見合ってるのかもしれない。
──とりあえず、リンネとでも名乗っておこう。
全身の細胞がぱちぱちと音をたてていた。
なろう出戻りです。異世界ファンタジーじゃないけど2014年に書いたものを発掘してきました。