3章 第29話 神月家のひととき(4/4)
お風呂に入って体を温めしかもお腹が満腹になると眠たくなるのは
必然で気がつくと俺はお布団に包まれて寝ていた。
既に時計の針も24時を回っている。
「しまった~、お兄さんにニュートラルまで連れて行って
貰う約束をするのをすっかりと忘れていたって。
これはかなりの誤算だぁっーーーー」
俺は直ぐに布団から飛び起きて、お兄さんを探そうとする。
俺の寝ていたお布団の隣でアンシャとあゆむは俺の気苦労も考えないで
のんきに熟睡していた。
「むにゃむにゃ……お母さんさん大好き……」
寝言を叫んであゆむは回転して布団を元気に蹴り飛ばす。
「まったくあゆむは仕方ないヤツだなぁ」
そっとあゆむに布団をかけ直して、2人を起こさないように
差し足抜き足忍び足でゆっくりと俺は畳を歩いて行く。
静かに部屋にあるふすまを開けてそのまま渡り廊下に出る俺。
月が雲がかかって微かな光が屋敷を照らしている。
俺は月明かりを頼りにしてお兄さんの寝ている部屋を探した。
少し屋敷の中を少し徘徊したところで結果は灯台もと暗しで
拍子抜けをくらう俺であった。
俺たちが寝ていた逆方向のふすま1枚遮られていた場所に
すやすやと寝ているお兄さん。
無理に起こすのはかわいそうだけどお兄さんにこのまま会社に
出社されるとアキエル救出の日がまた1日と送れてしまう。
俺はこんなところで温々と幸せに足踏みしている場合じゃないんだ。
今頃アキエルは暗い牢獄に捕らわれて……
「起きてよ、ねぇ起きてよーーー。
大事な話をするのを忘れていたんだよ、起きてってお兄さん」
無我夢中で俺はお兄さんに馬乗りになって体を揺らす。
「僕はもう食べられないんだ~、むにゃむにゃむにゃ……」
「お兄さんだけしか頼れるヒトはいないんだよ。
だから起きてよーーーー」
俺の心の叫びと嘆きがお兄さんの体を揺らす手が止まらない。
スゥー………スタン。
「どうしたの? 兄さん。
部屋から奈緒さんの声が聞こえてくるけど……」
奥にあるふすまが自動ドアのように開きクマのプリントされた
パジャマの春美さんが顔を出す。
「…………」
「…………」
お互いの見つめ合う長い沈黙がお兄さん部屋の空間を支配する。
痺れを切らして春美さんに俺は口を開いた。
「……おはよう、今宵もいい天気ですね」
「この、今宵もいい天気じゃないわよ。誰が兄さんのことは好きじゃないよ。
こそこそと兄さんの部屋に夜這して、この尻軽奈緒がっーーー」
先に動いてきた春美さん。
「違うよ、落ち着いてって……春美さん」
俺の言葉も春美さんには届くはずもなくて。
お兄さんの寝相で外れていた枕を掴み、ブーンブーンと風を切り
豪快に振り回してくる春美さん。
「早く、早くわたしの兄さんから離れなさい。この尻軽女がっ」
ブンブン……ブンブン……
「その当たったら、危ないって」
「フワフワの枕だから大丈夫っ!」
「そんな問題じゃないってっ」
春美さんはどんどんとヒートアップして枕の振りが加速していく。
俺は上半身を前後左右に振り、怒って単調になった春美さんの
枕攻撃の軌道を先読みしてかわす。
「この軟体尻軽女がっーーー、この、この逃げるなって」
「逃げるなって言われましてもわたしが困るんだって……」
「そんなこと、わたしが知るもんですかっ」
連続コンボのように枕を振りかざす春美さん。
ダメだ。興奮した春美さんに何もしゃべっても言い訳にしか聞こえない。
「わたしは一度お布団に戻ってから、また出直して来るよ。
じゃあ、おやすみなさい春美さん」
この場から立ち去り、春美さんのあら熱を少しでも
冷ますために一時撤退を決意する俺。
「逃げてもムダよ、奈緒。天誅っーーーー!」
春美さんの豪快な投球フォームから放たれた枕が
うねりを上げて俺に向かって飛んでくる。
「こんな真夜中にいったい何ごとだい?」
お兄さんが不運にも上半身を起こすと。
「お兄さん危ないっーーー、避けてっ」
「……はい?」
俺の言葉も間に合わず、春美さんの投げた枕がお兄さんの頭に
クリティカルヒットする。
「ぐはぁ……いきなり何をするんだい? 春美。
酷いじゃないかい」
頭に枕がぶつけながらもお兄さんは口を動かす。
「……だって、だって、奈緒さんが兄さんのことを
夜這いして襲おうとしていたのよ?」
「わたしがお兄さんを襲うなんて、人聞きが悪いよ。
ただ兄さんに大事な用事があって、ただお話をしようと
思っていただけなのに」
「僕に用事あるなら、こんな真夜中じゃなくても明日にしてよ。
奈緒ちゃん」
「それは……ごもっともな意見なんですがその急用で……
大事なヒトの命がかかっているのっ。その……だから」
「また奈緒さんの男友達だの? いやらしい、いやらしい」
「違うよ、アキエルは……」
「春美も奈緒ちゃんのしゃべることにいちいちリアクションをするなって。
女の子が男の部屋に入って来るってとても勇気がいることだと思うよ」
「だから、兄さん。奈緒さんは特別な存在で複数の男と付き合って、
その……男の扱いに手慣れているんだって」
「それが仮に本当のことだったとしても僕たちが信じないで
誰が奈緒ちゃんを信じてあげるんだい? 春美」
「……お兄さん」
「だから兄さんは甘すぎるよ」
「僕たちに事情を聞かせてくれるかい? 奈緒ちゃん」
「本当に話してもいいんですか?」
俺はまだ未だ信じられずにお兄さんに聞き返すが……
「うん。いいよ」
お兄さんは笑顔で返事してくれた。
「はい、ではよろしくお願いします。お兄さん」
俺はそのお兄さんの優しさに甘え、なるべく天界の事情は
言葉を置き換え兄さんたちに全てを打ち明けた。
アキエルの名前をアキに変えて、誘拐されたアキを助けるために
富士の樹海に行かなければならいないことを2人に説明した。
「アキさんが謎の組織に拉致されたって?
この話がもし本当なら、もうわたしたちの手で終えないよね。
普通に警察にでも相談するしか方法はないんじゃないの?」
無情にも春美さんの言葉が俺に突き刺さる。
「……でもそうするとアキが殺されてしまうんだ」
警察に相談したところで俺が中二病と思われるだけで何も解決しない。
それに天の加護をまとった天使に自衛隊が応戦しても勝てるわけがない。
「どうする? 兄さん。奈緒さんってきっと男と肉体関係を
持ちまくってヤクザたちと揉めているのよ。
これ以上奈緒さんに深入りするとわたしたちまでも危ないって」
「そうだ、奈緒さんの男友達にでも頼めばいいんじゃないの?
両手で数えても足りないぐらいにアッシーくんがいるんでしょ?」
「はい? わたしと出会った時から何か勘違いしているようだけど
そんな男友達いるわけないじゃん? わたしには友達がいないんだよ」
自分で言っておきながら心が痛む。
「でもあゆむくんが奈緒さんのことをビッチ、ビッチだって……」
「それはあゆむが何も意味も知らないで勝手に連呼しているだけだよ。
もう頼めるのは兄さんと春美さんしかいないの。
だからこの通りわたしたちを助けて下さい」
俺は正座して太ももに頭をつけた。いわゆる土下座だ。
ここまで誠意を見せないともう口だけでは伝わらない。
それまで口を閉ざしていたお兄さんが俺に優しく……
「話は十分に僕たちに伝わったよ。顔を上げてくれるかい? 奈緒ちゃん。
僕にも守らなければならない家族がいるからね。
富士の樹海近くまでなら明日いやもう今日か? 車で送ってあげるよ」
「本当にいいですか? お兄さん」
「うん、男に二言はない。まだ春美にも言っていなかったけど
実は体調不良が酷かったのでもう一日だけ休暇を取っていたんだよ」
「それに奈緒ちゃんは僕の命の恩人だからね、
困った時はお互い様だよ。春美もそれでいいかな?」
春美さんは険悪な顔をして悩んでいる様子だけど。
「ここでわたしが反対しても兄さんはこっそりと奈緒さんたちを車に
乗せて主発する気でしょ。なら、わたしは賛成するしかないじゃん」
「ありがとう、お兄さん、春美さん」
「礼なら、兄さんとアンシャお兄様そしてあゆむくんに言いなさいよ。
奈緒1人だけだったら、わたしは断固反対して車のタイヤに穴を開けて
意地でも妨害していたんだからね」
春美さんなら、本気でやりそうで少し怖い。
「なら、わたしの最後の仕事でみんなのお弁当を作るわね。
兄さんも奈緒ももう一度寝て少しでも体を休めるように。
分かった、2人とも。返事は?」
「はーい」
「相変わらず春美は優しいな」
「兄さん。わたしを褒めてもお弁当のおかずは一品たりとも増えませんからね。
もう朝まで時間はないよ。とっとと2人ともお布団に戻って寝なさい」
「はーい。ありがとう春美さん」
俺が礼を言って兄さんの部屋から立ち去ろうとすると。
「それと奈緒。奈緒の方が年上の先輩なんだから、
これからは春美でいいわよ。わたしも奈緒って呼ばして貰うから?」
どうしたんだろう? 春美さんの心の心境は?
「春美、これでいいのかな?」
「うん、それでいいよ。奈緒」
最後の方の会話から春美はずっと奈緒って呼んでいたと思う。
それはわたしの誤解も解けて春美の信頼を勝ち取ったと思っていいのかな?
「春美もようやく奈緒ちゃんの優しさを理解してくれて
僕は嬉しいよ」
「もう兄さん、そんなんいじゃないだからね。
これはそう……社交辞令よ。兄さん」
「あはは、春美。さすがに社交辞令はないだろって」
「もう、兄さんのいじわるっ」
春美の照れくさそうな顔が拝めたので、今回はよしとしますか?
俺はお兄さんに相づちを打ってお互いの温かいお布団の元へと戻っていく。
布団に潜って目を閉じると包丁のトントンって音が
リズミカルに聞こえてくる。
春美は俺たちのために寝ないで頑張ってくれているんだ。
愛情が込めた料理はアキエルのことを思い出す。
俺はアキエルと約束したんだ。愛情が込めた料理で
愛川のみんなでまた玲音の退院祝いをやり直すって。
そしてそこには奈緒もいて……
こんな神月家のひとときが愛川家でも続くように俺は願うのだった。




