衝撃
ボモア村の雰囲気は確かに異常と言えた。中に人がいるであろう事は分かるのだが、生活感というものがからっきしで無くなっている。そして、村全体には暗く陰鬱な空気が纏わり付いていた。
現在、村長の元を訪れた5人は、話を聞くためにお邪魔になっている。
村長宅といっても、気にして見物すれば他の家々よりも若干広いくらいの大きさで、内装も特に豪華というわけではない。
黒銀の薔薇の4人が、村長と何やら話している間、討伐者でないあぶれ者である自分は、隅っこで椅子に座ってぼけーっと聞き耳を立てている。
「討伐者の方々ですか……!」
何やら、村長が大きな声を出した。ちなみに、村長は例に漏れず老婆だった。
「ええ、我々は討伐者ですが……」
リティスがそう言うと、村長は急に立ち上がり、リティスの腰にしがみ付くようにして、懇願を始めた。
「お願いです……! どうか村の男達を助けていただきたいのです……!」
村長の目から涙がこぼれていた。どうやらかなり状況は切迫しているようである。
「まずは話を聞かないことにはどうしようも……落ち着いてください」
リィテスの言葉に諭され、徐々に平常心を取り戻した村長は、つらつらと村の現状を語り始めた。
曰く、この村には、何人かの男がいたのだが、何日か前に、森の方からゴブリンの集団が村にやってきて、男達を根こそぎ連れていってしまったらしい。
ゴブリン程度なら何とか追い返せるものなのだが、そのゴブリンの集団は何故か高度な統率力を持ち合わせていて、村の女達の抵抗為す術もなくしてやられたという。
「今頃どんな目にあっていることやら……」
村長は目を伏せ、また泣き出しそうな表情を浮かべている。
黒銀の薔薇の皆は、お互いに目配せをし、どうしたものかと思案しているようだった。
ここまで聞いていて思ったのだが、この世界では攫われのお姫様ではなく攫われの王子様が標準なのだろうか。狙われやすいのが男だとすると、仮に自分が強くなったとしても、救出に向かった先にいるのは男ではないか。
勝手に想像を膨らませて、勝手にこれからに萎えてしまった。男とバラ色の空間に浸る趣味はないのだ。
こんな世界に来てしまった以上、好き勝手に女の子とイチャイチャするのが男の夢というものだ。
そこまで考えると、何故黒銀の薔薇のメンバーにもっとアタックしなかったのかと後悔する。
あの雰囲気であれば、少しこちらが誘っただけで、あんな事やこんな事が出来た可能性だって十分だったではないか。
この世界では男が下に見られているのだ。つまり、裏を返せば誘い受けならぬ、誘い攻めをやりたい放題なのではないか。
ここまで、足腰の疲労や空腹で考える暇がなかったが、よくよく考えたらこの世界、素晴らしきものである。
「……ところで」
これからの人生についての重大な考え事をしていたところ、ヴィーシャが口を開いた。
その顔には、いつもとは違った真剣さと懐疑心が交わった表情がさらされている。
「他の村人はどうしたにゃ? ここにくるまでに、目にしなかったにゃ」
村長、悲痛な面もちのままで答える。
「今は、男どもの捜索に出ております……直に帰ってくるかと」
次に口を開いたのは、ミエリーだった。
「にしては、生活感が無さ過ぎる気がしますねー。井戸には蜘蛛の巣が張っていましたよー」
続いてミーアが口を開く。
「そもそも、この夕食時に、女ども全員が捜索に行ったというのは不自然ではないか?」
確かにその通りだ、一人残らず出ていってしまったとうのは、明らかに不自然さが残る。
「……それににゃあ」
ヴィーシャが村長の顔をしっかりと捉える。
そして、その続きを代弁するかのように、リティスが宣言する。
「あなたからは人の匂いがしない、村長」
ここまで聞いていたが、4人が何を言いたいのかが全く分からない。村長は幽霊だった、とかそういうオチだろうか。そして、この村は人のいなくなったゴーストタウンだったのだ……という結末なら少しおもしろいかもしれない。
村長は、リティスの断言に、驚きに満ちた顔を浮かべた後、顔を俯かせた。
「アッハッハッハッハッハッハ!」
しばらくすると、村長はいきなり顔を上げ、大きな笑い声を発する。
何事かと思ったが、黒銀の薔薇の4人は各々既に得物を取り出している。まさか戦闘が始めるのか。
巻き込まれては敵わないので、いつでも逃げ出せるように椅子からおいそれと立ち上がり、村長と4人の動向を窺う。
「アタシも耄碌したもんだねぇ! あんたら、結構強い討伐者だろう?」
村長は、その身なりからは想像できないほど俊敏に立ち上がり、後ろへステップを踏むと、4人に話しかける。
「貴方は何者ですか?」
そんな問いかけは無視し、リティスは剣を構え、臨戦態勢に入っていた。他の3人も同様だ。
「アタシが何者か、なんていうのはどうでもいい……重要なのは」
村長が途中で言葉を切り、静寂が場を支配する。おそらく、村長の言葉が放たれると同時に戦いの火蓋が切って落とされるのだろう。
「ここに来た時点で、アンタらの負けってことだよ!」
目の前にいた、老婆の姿が一瞬でかき消える。
「どこへ――」
――衝撃が身体に奔る。
瞬時、閃光。轟音。
視界が一瞬で奪われた。風を切る音だけがやけに大きく聞こえる。
身体には、何かが纏わり付いている感触がある。
ゆっくりと目を開ける。すると、視界に飛び込んできたのは、家々が豆粒ほどになったボモア村だった。
「なんだこれ……!」
そう思わず呟くと、上から村長の声が聞こえた。
「くひゃひゃひゃ! アタシは男攫いさ! あいつらはどうでもいい、最初からアンタが目的だったんだからね!」
目が慣れてくると、現状が痛いほどに分かった。
どうやってかは知らないが、村長の腕に身体をがっしりと掴まれており、自分は空を運ばれているようだった。
「暴れるんじゃないよ! 落ちたらどうなるかわかってるんだろうね!」
下を見ると、背筋が凍るくらいに地面が遠くに感じる。黒銀の薔薇のメンバーの助けは期待できない。
信じられない速度で空を飛翔している。
自分はこれからどうなるのだろうか。
こういうピンチの時にこそ、物凄い力に覚醒するものなのだろうが、生憎とそんな気配はサラサラ無かった。
「お前はこれから奴隷になるんだ……たっぷりと働いて貰うよ!」
奴隷。奴隷か。それは是非とも拒絶したい。
しかし、今の自分には為す術などない。
折角、この世界に来たのに、奴隷になるなどまっぴら御免だ。
しかし、どうすることもできない。
諦観の念で頭が支配されようとした時だった。
下方から、森の中から、何やら緑色の光が放たれたのが見えた。
光は大きさを増し、こちらに急速度で近づいてくる。
俺を抱きかかえている村長は、そちらに気づく様子はない。
光がさらに近付く。このままではぶつかるであろう。
思わず目を瞑った。
――落下、暗転。