遭遇エルフ
何故だか夢を見ていたような気がする。
子供の頃の夢だ。田舎に帰省した少女達が、森の抜け道を通ると、不思議な生物と出くわし、忘れられぬひと夏を経験する、そんな映画を見た日の夜に見たように思う。
頭には靄がかかったように思考が不明瞭だった。
ぼんやりとしたまま、目を開ける。
まず先程から気になっていた青臭さの正体は、そのまま草木の匂いだった。辺り一面には、木々が生い茂り、自分は木の根っこ部分に横たえられていたようだ。
もう一度辺りを見渡す。溢れんばかりの、草木、落ち葉、植物――圧倒的森の中である。自然豊か。
「どこだここ」
いつの間に回復したのかは分からないが、体の調子は普段通り、とまではいかないものの、歩ける程度にはなっていた。
しかしながら、景色に違和感を感じる。というよりも、森の中ではあるが山の中ではないように思う。まさか、遂に遭難状態から脱出したのか。
だがしかし、自分が登山したいたのは確か秋だったはずだが、青々とした葉っぱのついた木々が立ち並んでいるのはどういった事か。
更なる現状把握に努めようと立ち上がると、身体からハラリと紙切れが落ちた。
「……なんだこれ」
メモ用紙のようだが、それにしては時を重ねた羊皮紙のような高級感を感じる。
何処の誰のかは分からないが、とりあえず読んでみることにした。
『メモ:真の男を目指すのじゃ! 後は自分で何とかしてくれ!
追記:キミには神の祝福、ギフテッドを一つ授けたよ。クオリアだけじゃ頼りないからね。女の子と親密になればなるほど、人数が増えるほど、キミは強くなる。幸運を祈るよ、若き英雄。』
何が何だか分からない。解読しようと様々な読み方を試してみたものの、一向に何が言いたいメモなのかが分からない。そもそも何者が用意したのか。クオリアとは何か。
神の祝福、若き英雄――そんなフレーズから、一瞬とある考えが頭をよぎったが、そんなはずはないと頭の中で否定する。
一先ずメモ用紙をポケットにしまおうとしたところ、信じられない現象が起こった。メモ用紙がサラサラと砂のように崩れて消えてしまったのだ。これでは、解読しようにも永遠の謎のままで終わってしまう。
謎の場所に謎のメモ書き。二度あることは三度あると言う。一体今度は――
「そこで何をしている!」
声は若い女の声だった。凛とした存在感のある声質から、御伽噺に出てくるような騎士を彷彿とさせる。
明確な警戒と敵意の篭った発言であるからか、自然と両手を挙げてしまう。声がどこから聞こえているのか、こちらに敵意が無いことを示しながら探る。
「ゆっくりとこちらを向け」
再びの声は、上方から聞こえてくるようだった。
ゆっくりと後ろを振り向く。
声の発生源は意外な所にあった。いや、それよりも。
黄金色の毛髪が、日差しに当てられて輝いている。格好は軽装。動きやすいように長い髪をポニーテイルに纏めあげ、その手にはこちらに向けられたままの弓矢があった。紺碧の瞳は、弓矢と共にこちらを射抜くような鋭い眼光を湛えている。
美しい。素直にそう感じた。まるで漫画や小説に出てくるエルフのような――
「エルフ?」
そこまで考えて思考を中断する。美しさに見惚れていたためか、肝心な所を見落としていた。彼女の、枝分かれした木の先に器用に立っている彼女の耳である。
人間のものとは思えない長く尖った耳なのである。
ジロジロと彼女の事を見ていると、不躾な視線が癇に障ったのか、目を細め、負けじと睨みつけられる。
しばらくの膠着状態が続くと、先に口を開いたのは彼女だった。
「……男、か? こんなところで何をしている?」
男、と口に出した途端、こちらを射止めんとばかりに差し向けられていた弓矢を持つ腕が緩まる。警戒の色というよりも、純粋な疑問を浮かべている顔に変わった。
何故かは分からない。そんなことよりも重要な事がある。
彼女は何者なのか。そもそも、あの彼女は本当にエルフなのか。もしそうであるとしたら、自分の今置かれている状態は、アレなのではないか。
思考が今までにないほど回転する。まず何をすべきか。
「あの、質問をしてもいいでしょうか?」
もし、彼女がエルフであるのなら。ここはもしかすると、自分の元いた世界とは違う異世界である可能性が高い。何故なら、現代日本にエルフなどという珍妙な存在はいないからである。日本に限らず、世界レベルでも言えることなのだが。
嗜む程度にファンタジー小説を読んでいた自分としては、この状況は疲れ切った身体をフルに使うに十分な機会である。もしも推測が当たっているのだとしたら、現代社会とは似ても似つかない剣と魔法の異世界での人生をスタートさせられるかもしれない。山で遭難して、気づいたら異世界にいるという誰もが憧れるシチュエーション。心が躍る。
「……なんだ?」
彼女は弓矢を完全に待機状態に戻していた。何はともあれ、敵意がないことを知らせることができたのは僥倖である。
「あなたはエルフでしょうか?」
彼女はキョトンとした顔になると、再び元通りの険しい顔に戻った。何を言っているのかコイツは、とでも思われているのだろうか。
「……見て分からないか?」
次になんという質問をしようか。いきなり証拠を出せ、は失礼が過ぎる。第一コミュニケーションは重要なのだ。慎重に、丁寧に事を運ぶ必要がある。
静寂が場を包む。
すると、近くの茂みから物音が聞こえる。何事かと顔を向けた瞬間だった。
目が合う。
彼女とではない。
それは醜悪な顔をした餓鬼だった。何やら喚いているが、そちらには顔が向かない。
自分のごく近くにいるソイツは、手に持った白光りする得物――血のこびり付いた剣――を振り上げている。
やけに視界がスローに映った。
このまま振り下ろされる鋼は、いとも簡単に身体を切り裂き、血飛沫を撒き散らすことになるだろう。
避けなければならない、しかし身体が言うことを聞かなかった。
疲労困憊であるからか、あまりの状況転換に脳が追いついていないのか。
こうしている間にも、刻一刻と刃を迫ってきている。
思わず目を瞑ろうとした。
「避けろ! 【風刃】!」
突風が吹き荒れ、眼の前の餓鬼に着弾、爆発する。鮮血が迸る。
無論、自分も衝撃に巻き込まれる。
「……やっぱり、魔法……よかっ……た……」
エルフはエルフで、魔法があった。つまりここは異世界だった。
安堵し、再び意識を手放す。
――暗転。
次話から本番なはず