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第五章 深層 そして真相へ


 いつの間にか、空は暗くなりはじめていた。パッ、パッという音と共に、病院の廊下が蛍光灯の光に照らされた。ソファで蹲っていた俺には、少し眩しいものであった。

 あの時、冷静さを失っていた俺は、バスもタクシーも使わず、ただただ走り続けていた。途中、坂刑事が手配してくれたパトカーに拾われなければ、俺は未だにこの病院には辿り着いていなかったであろう。俺は本当にアホだ。

 坂刑事が俺に電話をくれた時、瑞希の容態はかなり深刻なものであった。それこそ命にかかわるようなものであった。しかし幸いなことに、俺が病院に辿り着いた頃には、峠を越えて一命は取りとめた。未だ意識は戻らないままだが。

 瑞希が一命を取りとめたと聞き、冷静になったところで事の顛末を坂刑事から聞かされた。

 坂刑事ら県警捜査本部は、事件に桂城一族が絡んでいると睨み、午前中は県内の桂城一族を回っていたそうである。そして午後から飯橋の殺害現場を調べるため「うらら」にやってきた。その時、門扉と玄関の扉が開け放しになっていることに気付き、中へ入ってみると世話人の居室で加奈美さんが頭から血を流して倒れていた。坂刑事らに介抱されて意識を取り戻した加奈美さんは、何者かにいきなり襲われたと話し、二階に瑞希がいることを伝えた。坂刑事らが二階の飯橋の部屋へ行くと、部屋には鍵がかかっていた。瑞希を呼んでも応答がなかったため、ドアを蹴破って室内へと踏み込んだ。するとそこには頭から血を流して倒れている瑞希を発見したとのことである。因みに加奈美さんの息子である蓮君は加奈美さんが襲われた隣の居室のクローゼット内に隠れており無事であった。坂刑事が蓮君にその時の様子を尋ねたが、パニック状態なのか、何も話せなかったそうである。

<面会謝絶>

 瑞希がいる部屋の扉にこの札が掲げられていた。峠は越えたといっても、意識が戻るまでは何が起こるか判らない。容態が悪い方に急変する含みも持っている。今の俺はそんな悪い方向にしか先の見通しを立てられずにいた。

 瑞希の家族へは坂刑事が連絡してくれた。坂刑事によると、ご両親はかなり取り乱していたそうである。ご両親は明日の早朝こちらへ到着することになっている。その時、俺はここにいていいのだろうか?正直、会わせる顔がない。こんなことになって、一体どの面下げて謝ればいいのだ。

 ゴツン

 俺は自分の頭に拳をめり込ませた。

 俺がいけなかった。俺が瑞希を一人きりにしてしまったばっかりに……。あの時、俺も部屋に残ればよかった。あの時、瑞希を無理矢理にでも引っ張って、一緒に老人ホームへ行けばよかった。悔やんでも悔やみきれない。俺は瑞希を守ると誓ったのに、結局瑞希を危険な目に遭わせてしまった。薄っぺらな好奇心と正義感で動いてしまった俺への罰か? それとも、鬼の一族に触れてしまったがための呪いなのか? 考えても考えても、前向きにはなれない。自己嫌悪という鎖が俺をじわじわと締め上げ続けていた。

「そう、自分を責めるな」

 ふと声が聞こえたような気がした。最初は現実から逃げたいがための幻聴かと思った。だから最初は無視していた。しかしその後も「責めるな」と何度も俺の横で聞こえた。それもだんだん声が大きくなってきていた。ある時、俺はたまらず顔を上げた。

 キュルキュルキュル……

 俺の横で一台の車椅子が停車した。

「すまん。結果的に、アンタ達を苦しめることになってしまった」

 車椅子には一人の老人が乗っていた。桂城銀造であった。

「どうして、ここに?」

 銀蔵の顔を見た時、思ったことが口に出ていた。

「事件の事はTVで知った。大変なことになってしまった。ここまで事が大きくなるとは予想できなかった」

 銀造は唇を噛んだ。確かに事は大きくなったが、銀造が何故ここまで悔しがっているのか俺はまだ理解できずにいた。

「ここにいることは、アンタ達が泊まっている民宿で聞いた。あのメモを使わせてもらった」

 俺が連絡先として置いてきたメモを見てまず「しまだ」へ連絡した。そしておそらく智子さんから瑞希の搬送された病院を聞いたのだろう。

 銀造は車椅子を押していた老人ホームの職員に顔を近づけ、何言か話した。そして銀造の顔が元の馬車に戻ると、職員は銀造を残し、その場を後にした。

「アンタ、新谷と言ったな。すまん、この通りだ」

 銀造が深々と頭を下げた。何故この場で俺に頭を下げるのか俺には理解できなかった。

「じいさん、何やってんだよ。意味わかんないことしないでくれよ」

 もうこれ以上、俺の頭を混乱させないでくれ。頼むから。

「全てはワシが不甲斐無かったばっかりに。このような恐ろしい事件が起こり、それを止めることがきなかった」

 何……? どういうことだ? もしかして銀造は、やはり何かを知っていたのか。

 俺は顔を上げ、銀造を睨みつけた。ジジイ一体、何を隠している。

 そして銀造も腹を括っているようであった。銀造の目には確かに光が宿っている。

「ワシはもう老い先短い。だから逃げも隠れもしない。今こそ話そう。桂城家の忌まわしい秘密を」

 俺は聞かされた。そして俺は知った。

 桂城家のあまりにも恐ろしい過去を。



 いつの間にかソファに座って眠ってしまっていた。顔を上げると窓から朝陽がうっすらと差し込んでいた。変な体勢で寝てしまっていたため、肩や首が痺れてしまっている。

 痺れた首をコキコキ鳴らして周りを見回した。床を蹴る足音で目を覚ましたからだ。看護士数人が「面会謝絶」の札が掲げられている部屋を出たり入ったりしていた。この部屋にいるのは、瑞希だ。

 瑞希!

 そうだ、この部屋で眠っているのは瑞希なんだ。瑞希の容態に変化があったのか!?

 そう感じた時、俺は一気に目が覚めた。渇いた目をこすりソファから立ち上がった。

「あの!」

 俺は部屋から出てきた看護士の一人を呼び止めた。すると看護士はニコッと笑った。

「岡本さん、意識が戻りましたよ!」

 看護士の言葉が終わると同時に、俺は部屋に飛び込んでいた。

「そ、壮介く……ん」

 頭に巻かれた包帯は痛々しく、そして視線もまだうつろだったが、確かに瑞希は俺の名前を呼んだ。瑞希が、目を覚ました。

「瑞希……。よ、よかった」

 俺は瑞希のベッドで駆け寄った。そして思わず目頭を押さえてしまった。

「血圧も脈拍も安定している。もう大丈夫ですね」

 部屋を出入りしている看護士が、横からそう告げてくれた。

 もう大丈夫・・・。よかった。本当によかった。

 それから、瑞希の意識が戻ったことにより、面会謝絶も解かれることとなった。俺は瑞希と一緒にいることにした。最初は簡単な受け答えしかできなかった瑞希だが、時間が経過していくうちに、よりはっきりとした話ができるようになってきた。勿論、無理はさせない。

「ごめん、瑞希。危険な目に遭わせてしまって」

 とにかく俺は、瑞希に対する申し訳ない気持ちでいっぱいだった。こんな命に関わるようなケガをさせてしまい一時はみんなに会わせる顔がなかった。消えていなくなってしまいたいと思う時もあった。

「壮介君が悪いわけじゃないよ。私が油断したのがいけなかったの」

 瑞希の俺に対する言葉は優しいものであった。しかし、その顔に笑顔はなかった。あの時の事を思い出したのか、一瞬の事だっただろうが、とても怖かっただろう。

 そして、俺は犯人に対する激しい怒りを覚えた。クソッ、飯橋に続いて瑞希まで!

 絶対、尻尾を掴んでやるからな!

 コンコン

 俺が怒りに燃えている所、ドアをノックする音が聞こえた。俺がドアを開けると、そこには坂刑事が立っていた。

「やあ、おはよう。瑞希さん、意識戻ったんだって」

 俺は坂刑事を部屋に招き入れた。

「大分、疲れているようだね。昨晩は寝ずの番だったんだろ?」

 すると瑞希がこちらを心配そうな表情でみてきた。

「そうなの? 壮介君、休んでくれていいよ。私はもう大丈夫だから」

 確かに昨晩はほとんど寝ていない。明け方いつの間にか眠ってしまっていたくらいだ。

 昨晩はとても安らかに眠れるような状態ではなかった。瑞希の容態は勿論だが、もう一つ。昨晩、一人の訪問者がいた。銀造である。

 そう、あの時。銀造からの告白が鮮明に蘇ってきた。それはとても恐ろしい告白であった。桂城家にはとてつもない秘密があったのだ。とてもとても恐ろしい。

 俺は部屋の隅に置かれたパイプ椅子を二脚取り出し、瑞希のベッドの横に並べた。

「俺は大丈夫だよ。坂刑事、どうぞ」

 坂刑事は軽くお辞儀をして椅子に座った。

「瑞希さん、目が覚めた直後で申し訳ないんだが、私の仕事に付き合ってもらえるかな? 昨日の出来事、思い出せる分でいいから教えてもらいたい」

 坂刑事は胸ポケットから手帳とペンを取り出し、瑞希の方を向いた。

 正直な事を言うと、こういうのはもう少し後にしてほしかった。瑞希はさっき目が覚めた所なんだ。しばらくはゆっくり休ませてあげたい。あの時のことを、今はなるべく思い出してほしくはなかった。

 「あの……」

 俺は坂刑事を遮ろうとした。今の瑞希に、これは酷だ。

 しかし瑞希は俺の方を見て首を振った。そして坂刑事の方を向いた。

「わかりました。まだちょっとボンヤリしているけど」

 そして瑞希は、断片的にではあるが、あの時のことを話し始めた。

 俺が「うらら」を出てから、瑞希はずっと飯橋の部屋を片付けていた。途中、加奈美さんに軽い食事を持ってきてもらった以外は、ほぼ一人で部屋にいた。

 片づけを始めてから数時間後、トイレへ行くために部屋を出た。その後五分もかからないうちに部屋に戻ってきた。

 そして部屋に入りドアを閉めようとしたその時、後ろから腰のあたりに何かがぶつかる衝撃にあった。それから後のことは、全く覚えていないことのことであった。

 坂刑事は瑞希の一言一句を殆んど全てメモ帳に書き込んでいた。覗いてみるとメモ帳は真っ黒に塗りつぶしたようになっていた。

「瑞希さんの外傷だが、頭部の他、腰に浅い刺し傷がある。おそらくそのぶつかるような衝撃の際、刺されたものだろう」

 話によると、その刺し傷は瑞希のベルトを貫通していたそうである。このベルトが幸いして腰部分は軽いケガで済んでいた。逆に、何も遮るものがなかった場合、こちらの傷が致命傷になっている可能性もあったのだ。そう考えると、背筋が凍る思いであった。

「これからも、ずっとベルトはしておこうかな……」

 瑞希が一生懸命苦笑いしてみせた。瑞希も俺と同じ思いなのだろう。

「そちらは、何か判ったことはありますか?」

 俺は坂刑事に捜査の進展具合を訊ねてみた。

 すると坂刑事は手をヒラヒラ振った。

「いや、まだ何もわかってない。というか、この瑞希さんの一件はとても厄介なんだよ。何たって密室事件なんだから」

「密室?」

 俺と瑞希は同時に声を上げていた。それは、どういうことだ?

 坂刑事の説明ではこうである。警察が飯橋の部屋にやってきた時、部屋には鍵がかかっていた。それを警察は扉を蹴破って室内に入ったのだ。この部屋の鍵はベッドの上に置かれていた。そしてこの鍵は瑞希が加奈美さんより借りており、ベッドの上に置いたのも瑞希である。これは俺も確認している。

 つまり、俺と瑞希が一緒に部屋へ入ってから、誰もこの鍵に触れてはいないということなのである。ならば、何故部屋には鍵がかかっていたのだろうか?

「スペアキーはないのですか?」

 俺は坂刑事に訊ねた。すると坂刑事は首を振った。この部屋の鍵は二つあり、一つは部屋に置いてあったもの。もう一つはこの「うらら」のオーナー、つまり加奈美さんの雇い主が保管しているとのことであった。つまり、あの時「うらら」に存在していたのは、飯橋の部屋にあったもの一つということなのである。

 一通りの説明を終えると、坂刑事は席を立った。

「新谷君、悪いけどこれから私と一緒に来てくれないか? 現場の確認をしたいんだ」

 なるほど、確かに俺は瑞希以外であの部屋に入っていた人間の一人だ。事件前と事件後で現場に何か変化があったかどうかを確かめるということなのだろう。密室で事件がおきているのなら尚更だ。

 それは都合がいい。俺も現場を確認したかったし、何より俺は坂刑事には話があった。

 話しておかなければならないことが。

「わかりました。同行します。あ、ちょっと先に出といてもらえますか」

 すると坂刑事は空気を察したのか。何も言わず部屋から出て行った。

 坂刑事が部屋から出て行き、扉が閉まるのを確認してから、俺は再び瑞希の方をみた。 

 瑞希は俺の目をしっかりと見据えていた。

 俺は瑞希の手を握った。そこにはしっかりとした温かさがあった。この温かさに触れた時、力がどこまでも漲ってくるのを感じた。

「責任とってやるよ」

 他人が聞いたら誤解されそうな言葉だったが、俺と瑞希はしっかりと繋がっていた。瑞希は大きく頷いた。絶対に、俺が事件の真相を暴きだしてみせる!

 その決意を握った手から瑞希へと伝えてやった。

「壮介君、頑張って!」

 その言葉を聞いて、一瞬強く握ってから、手を離した。

「なあ、瑞希。昨日の晩、銀造じいさんが病院に来たんだよ。そこで、まだ警察にも言っていないような話を聞いた。桂城一族のとんでもない話、ヘドが出るような話だ」

 瑞希はとても真剣な眼差しであった。しかし、俺はその視線を少し避けたかった。だから俺は瑞希に背を向けた。

「なあ、瑞希。実は俺、一人疑っている人がいるんだ。この人が一連の犯人じゃないかって言う人が、一人いるんだ」

 すると瑞希は声にならないような声を上げた。「誰?」と聞かれたが、俺は首を振った。今はまだ言えない。瑞希にも言えない。

 しかし、俺は瑞希に一つ確かめなければいけないことがあった。

 俺は振り返り、瑞希の耳元に顔を近づけた。

「なあ、瑞希。あのビデオのこと、俺とお前以外に誰か知っている人はいるのか?」

 俺の問いかけに、瑞希はしばらく考えた後、答えた。

 そして、その答えにより、俺の「ある人物」への疑いはリーチ状態となった。


 

「ビデオカメラ?」

「うらら」へ向かうパトカーの車内で、俺は飯橋の部屋にビデオカメラがあったかどうか、坂刑事に訊ねてみた。坂刑事は信号待ちで停車した際に手帳を広げて現場の状況を確認した。

「いやぁ、そこまでは。部屋の私物に関してはリストを作っていないな。そのカメラがどうかした?」

 そうか、昨日瑞希があんなことになったから、まだビデオカメラの件を伝えられていないのか。本当はここまで引き伸ばすべきでは絶対になかったが、最早仕方がない。俺は坂刑事に、この事件の発端とも言える、ビデオカメラに映っていた廃屋の不可解な影のことを告げた。

「なるほど。桂城博敏の遺体発見で、君たちが早朝の湖畔にいた本当の理由はそれか」

「すみません。隠しておくつもりはなかったのですが、ズルズルと言いそびれて」

 それを聞いた坂刑事はしばらく難しい表情をしていた。重要な情報を今まで黙っていたことに対する怒りか、それとも充分な聞き込みを行えていなかった自分たちへの苛立ちか、複雑な様子であった。

「もう、成ってしまったことはどうしようもない。次から気をつけてくれ。もう何人も危険な目に遭っているのだから」

 坂刑事は唇を噛み締めていた。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

「だとしたら、昨日瑞希さんが襲撃された理由はそれか」

 続けて坂刑事はそう呟いた。それは俺も同じ考えであった。犯人は自分の姿が映ったビデオを処分するため、そしてそのビデオを観た瑞希の口を封じるため、犯行に及んだ可能性が高い。

「しかし、何で昨日なんだ?昨日の犯行手口を見る限りでは、処分する機会なんていくらでもあるはずだ」

 坂刑事は首をひねった。確かに、自分が犯行に及ぶ姿が映っているかもしれない映像なんて、一秒でも早く処分しなければならない。しかし映像が撮られてから時間が経ち過ぎている。

 その答えは明白である。犯人はそのビデオの存在、つまり自分の姿を偶然撮られていたことに気付いていなかった。そしてその事実を、「つい最近」知ったのだ。

「あのビデオを観たのは、知っている限りで俺と瑞希、そして飯橋の三人だけだ」

 そう「観た」のは。

「よし。もうすぐ着くぞ」

 いつの間にか、目の前に「うらら」の建物が見えてきていた。

 パトカーが停車すると、エンジンが停止するよりも早く俺は車外に出ていた。

 そして坂刑事が車から出てくるよりも早く、チャイムを鳴らしていた。

 チャイムを鳴らしてからすぐ、扉が開いた。出てきたのは加奈美さんだ。加奈美さんの額には大きな絆創膏が貼られていた。昨日、加奈美さんも何者かに襲われ、額に裂傷を負ってしまったのだ。その他にケガなく、入院の必要もなかったが、その姿はとても痛々しいものであった。

「すみません。お身体の方はどうですか?」

 後ろからやってきた坂刑事が加奈美さんに声をかけた。加奈美さんはニコッと笑い、「大丈夫だ」と答えた。

 そして俺たちは挨拶も早々に、飯橋の部屋へと向かった。飯橋の部屋は扉が開け放し、というよりは扉が取り外された状態となっていた。昨日坂刑事が部屋へ入る際に蹴破ったからである。部屋に入ると、俺はまずビデオカメラを探した。TVの前、ベッド、クローゼットと隈なく探した。

「ないな。……やっぱり」

 しかし、ビデオカメラは部屋のどこにもなかった。瑞希の話によると、瑞希はビデオカメラを部屋から持ち出していない。だとするなら、やはり犯人が持ち出したということになる。

「私たちの考えが当たっていたようだな」

 そう、当たっていたのだ。俺たちの推理が。そしてそれは、「ある人物」への疑いがビンゴになったことを表していた。

「さてと、それじゃ新谷君。部屋の現状を確認してもらっていいかな?」

 俺の背後から坂刑事が声をかけてきた。しかし、部屋の現状についてなんて、正直どうでもいい。

 俺は振り返り、坂刑事と対峙した。

「すみません。病院に戻ってください!」

 俺の言葉に坂刑事は目を丸くしていた。

 


 これから昼にさしかかろうという頃、俺と坂刑事は瑞希の病室にいた。俺と瑞希、そして坂刑事以外は誰もいない。この地方は夏でも窓を開けておけば爽やかな風が吹き込み、暑さを和らげてくれるが、今は窓を閉め切っている。さすがにムシムシするのでエアコンを入れた。三人は無言、エアコンの乾いた音だけが寂しく響いていた。

 俺は一度瑞希の目を見た。瑞希は俺をジッと見据えていた。「私は大丈夫」という思いが伝わってくる。

 俺の「ある人物」への疑いが確信に変わった時、この話をしようと決めていた。あまりに恐ろしい話なので、気安く口にはできない話。

 それを今ここで全て話す。

「瑞希。昨日の晩、俺が銀造じいさんと会ったって話したよな。その話の内容をこれから話す」

 瑞希も俺の様子から何かを感じ取っていた様で、動揺することはなかった。むしろ、この事件の深層へ入り込んでいく決意を固めたようであった。

「坂刑事にも聞いてもらいたい話です。ただ、かなり複雑な話なんで今の所は他言無用でお願いします」

 坂刑事は俺の要求に無言で頷いた。

「じゃあ、話すぞ。昨晩のことを」


※※※※※※※※※※


 私、桂城銀造は桂城龍造の三男。兄が二人いて、一人は桂城博造。その博造の息子が先日、わしの水崎にあった家で死んでいた桂城博敏。もう一人、博太郎という数年前に亡くなった息子もいた。

 そしてもう一人の兄。名前は桂城恭造という。恭造兄は桂城一族の中で唯一穏やかな心を持った「人間」だった。妻には病気で先立たれており、一人娘である都紀美さんと二人で暮らしていた。

 私も博造に負けず劣らず、豪腕と呼ばれ危ない橋を渡ってきた。しかし、性格がまるで正反対である恭造とは不思議とウマが合った。共に仕事をして、共に酒を飲んだ。兄という関係以上に、人生の盟友であった。恭造が笑うと、私も不思議と笑顔がこぼれていた。そしていつからか、私を「鬼の一族」と恐れる人間はいなくなっていた。

 確かに私の人となりは丸くなった。しかしそれ以上に、博造の行いが輪をかけたようにひどくなってきたのである。自らの成功のためには他人を蹴落とし、その生血を浴びるように飲む。博造が一つの事業を立ち上げる毎に五、六つの企業は倒産・廃業し、経営者の何人かは家族と共に蒸発してしまった。

 私も以前はそんな博造のやり方を善しとしていた。しかし恭造と共に仕事をしていくうちに、博造のやり方について、異論を持ち始めていた。いつしか私は、他人を蹴落とすような仕事をやらなくなり、またそのような仕事に対し、激しい嫌悪を覚え始めた。

 そうして私と恭造は博造と対立することが多くなり、三人揃えば落ち着いて話す機会など皆無であった。その内、喧嘩することすら馬鹿馬鹿しいと感じるようになり、博造との関わりは殆んどなくなってしまった。

 親父が死んだ後、桂城家はどうなるのだろう。親父が亡くなる直前、私は不謹慎ではあるが、考えることが多かった。私は父の後は、自分か恭造が継ぐことになればと期待していた。自分で言うのも何だが、私と恭造は桂城家であるが地元の方々から信頼されていた。逆に博造は腫れ物に触るような扱いをしていた。戦後の動乱も過ぎ去り、これからは地元とよい関係を作っていくことが桂城家の発展につながると考えていたし、親父もそう考えているに違いないと思っていた。

 しかし、私たちの思いとは裏腹に、父は遺言状にて、博造に桂城家全家督を譲るとした。つまり、博造のやり方が桂城家発展の道標であると、親父がお墨付きを与えたということなのである。この後、博造の行動は速く、えげつないものであった。私と恭造は桂城家が運営する企業の役員を勤めていたが、全て解任され、一族への影響力を奪われてしまったのである。また保有していた資産もその殆んどを博造に奪われてしまった。

 博造ら「桂城本家」が水崎を出て都市部に進出した後、私は僅かに所有していた土地と金を元に、水崎で畑を作ったり土地を人に貸したりして生計を立てた。決して裕福ではなかったが、家族を養うには充分であった。そして恭造もなけなしの金で新たに事業を始めた。その頃、娘の都紀美は佐々岡良弘という男性と知り合い、後に婿養子として桂城家へ向かい入れた。この事業は良弘と共に計画し起こしたものであった。その後一人娘の子宝にも恵まれ、事業は苦しかったようだが、桂城の人間が手に入れることができない「平凡な幸せ」を掴もうとしていた。

 しかし、恭造らの幸せは長く続かなかった。桂城本家の妨害により、事業が傾いてしまったのである。恭造と良弘は何とか事業を立て直そうと、金策のため昼夜問わず駆け回った。しかし桂城に睨まれた人間に協力する者などいるはずもなく、事業はあえなく頓挫した。この時、私はできる限り協力した。しかし私にも家族がいた。だから協力するにも限界があった。

 そして恭造と良弘は水崎湖畔の林で首を吊って自殺した。

 自殺の原因は事業の失敗による多額の借金ということで結論付けられたが、実はもう一つ恐ろしい理由があった。恭造と良弘が金策で駆け回っている間、都紀美は桂城本家へと出向いていた。都紀美は、博造をはじめ桂城一族に父や夫を救ってほしいと、恥そして危険を承知で懇願したのだ。

 その懇願を聞いた桂城一族はとても赤い血の通った人間とは思えないような考えをした。

 鬼たちはこう都紀美へ言い放った。

「助けて欲しければ、言うことを聞け」

 桂城博造、そしてまだ若者であった博敏、博太郎は都紀美の身体に散々な辱めを与えた。言葉に出すのも躊躇われるくらいに。そして鬼たちの歪んだ欲望は都紀美と良弘の一人娘にも及んだ。

 都紀美らの生き地獄は恭造らが死んだ後も続いた。そして恭造らが死んで一年後、都紀美が病に倒れ、あまりにも不憫な死を遂げた。都紀美の死後、娘は何とか桂城家から脱出し、姿を消した。

 そして都紀美の娘は、桂城家の誰かの子を身籠っていたそうである。

 

※※※※※※※※※※


 俺は昨晩、銀造から聞いた話をそのまま伝えた。瑞希も坂刑事も何も話せずにいた。ただ、瑞希の表情は言い様もない不快感が滲み出ていた。

 最後に俺は言わなければいけない。最後に、この恐ろしい事実を。

「そして、都紀美さんの娘の名前が、桂城 加奈美」

 やはり誰も言葉を出さなかった。

 ただ、この病室の空気がこれ以上ないくらい凍りついたのは、ひしひしと感じることができた。

 俺が今回の事件の犯人ではないかと疑い、その疑いが確信へと変わった人物、それはペンション「うらら」の世話人、田原加奈美さんであった。

 動機は、自分と自分の家族を陥れ、陵辱した桂城一族への復讐。

 


 翌朝。

 俺は坂刑事と再び飯橋の部屋に来ていた。飯橋の遺品についての状況はほぼ把握できた。瑞希のビデオカメラ以外は、この部屋からなくなっていないようであった。

 瑞希はまだ頭痛がすると言っているが、快方に向かっているようである。今はご両親も病院に到着しており、地元病院への転院の準備をすすめているところである。

 俺が再び「うらら」に訪れたのは、犯人特定の決定的証拠を掴むためであった。今までの状況証拠、そして動機の観点から、加奈美さんが犯人である疑いは非常に強い。しかしそれはあくまで俺の考えの中でしかない。それらを裏付ける証拠が探さなくてはならないのである。それは果たしてあるのだろうか?もしそれがあるとしたら、この「うらら」ではないだろうか。第一、第二の殺人の状況を考えて、この二つの事件は計画的犯行と考えて間違いないだろう。しかし、飯橋と瑞希に関しては、動機が怨みつらみによるものではない。犯人にとって不都合なことを知られてしまったため、当初の計画とは関係なく手をかけてしまったのだ。つまり飯橋と瑞希は突発的に襲われた。ならば、何か痕跡が残っていても不思議ではない。因みに、坂刑事の話によると、第一と第二の殺人では犯人に繋がる物証は何もでてこなかったそうである。

「とりあえず、もう一度この部屋を隈なく調べてみましょう」

 俺は坂刑事にそう言い、今一度部屋を隅々までひっくり返してみた。風を起こさないために窓を開けたり、エアコンをつけたりしなかった。閉め切った部屋の中で作業をしていると、いつの間にか顔面汗まみれになっていた。

 探し始めてから三時間、未だ不審な点は見つからない。ここで坂刑事の提案により、一度休憩する事にした。坂刑事は一階へ飲み物を取りに降りていった。

 俺はシャツの裾で汗を拭き、床の上へ座り込んだ。拭いても拭いても汗が流れてくる。水先へ来て、こんな蒸し暑さを感じたのは初めてだ。

 俺はハァッとため息をつき、天井を見渡した。

 その時、ある所が目に入った。切り取られた壁である。

「そう言えば、下ばっかり探していて、あそこは全然みてなかったな」

 何故今まで放っておいたのだろうか。よくよく考えれば、あそこはこの部屋で唯一鍵を使わずに他の部屋へ通じている部分ではないか。俺は椅子を持ち出し、クローゼットの前に置いた。

 ちょうどその時、坂刑事がペットボトルのお茶を持って戻ってきた。

「どうしたんだ?」

 ペットボトルを俺の方へ放り投げてから訊ねてきた。

「あそこですよ」

 俺は切り取られた壁を指差した。すると坂刑事は苦笑いした。

「おいおい、いくら何でも、そこから出入りはできないよ。通るにはちょっと狭すぎる」

 確かに、この壁の穴は小さい。しかし無理をすれば痩身の人なら通るかもしれない。尤も、そうだったとしたら、露骨に痕跡が残っているであろう。

 俺は椅子の上に立ち、壁の穴を調べてみた。先日見た時とは状況は何も変わっていない。隣りのクローゼットの天板は相変わらずホコリが大量に積もっていた。

「何か見えるか?」

 坂刑事が下から俺の様子を見上げている。その表情から、今俺が行っている行動に対する期待は感じられなかった。どうせ無理だろという感じであった。

「う〜ん、暗くてよく判らないな」

 確かに変わった所を見つけられずにいたのだが、なんだか癪だったので、そう応えてしまった。ただ、部屋の電灯は少し型が古く、部屋の隅にまで光は行き届かないものであった。よって、俺が見ている辺りは実際に暗かったのである。

「そうか、じゃあカーテン開けるぞ。それだったら光届くだろう」

 確かに窓際なので、カーテンを開け、自然光を入れれば一発である。

 坂刑事は少し移動して、カーテンを開けた。すると夏の刺すような光が部屋を包み込んでいった。

 俺は窓際にいたので、けっこう眩しかった。しかし程なくして目が慣れてきたので、再びクローゼットの天板に視線を移した。

「これは……」

 窓からの自然光により、天板に積もっている白いホコリが鈍く光っていた。その中で俺は意外な所をみつけた。

 この部屋は飯橋が長期滞在していたため、飯橋がやってきてから掃除が殆んどなされていない。このクローゼットの天板を拭き掃除しようなんて、飯橋はこれっぽっちも考えていなかったであろう。だからこのクローゼットの天板は一面白いホコリが積もっている……はずだった。しかし、天板の一部分に、まるで水滴をこぼしたような跡が何箇所かあり、その部分だけホコリがつもっていなかった。今まで見ても気付かなかったが、窓からの光があたり、積もっているホコリの白さが際立って、はじめて確認することができた。

 俺はその点々部分を色んな角度で見てみた。その点々は大体一円玉と同じくらいの大きさで、俺のほうに向かい、扇状につけられていた。

 俺はその点々に手をかざしてみた。そして壁の穴を見た。

「おい、どうした。何かあったのか?」

 下から坂刑事の声がした。その声に反応し、俺は椅子から降りた。そして入れ替わりに坂刑事が椅子に登った。

「あっ」

 坂刑事が小さく声をあげた。天板の点々を見つけたのだろう。

 俺は再び壁にあいた穴を見た。

 確かに、この穴を大の大人が通ろうとするのは至難の業だ。しかし、この方法なら……。

 しかし、そう仮定することはためらわれた。

 俺は銀造じいさんの告白より、もっと恐ろしいことを話さねばならなかったからである。

 椅子から降りた坂刑事に俺は告げた。

「会いましょう、加奈美さんに。それと、ある方を呼んで欲しいです」



「失礼します」

 俺はノックをして部屋に入った。部屋には加奈美さんと蓮君がソファに座っていた。俺が部屋に入ろうとすると、蓮君はソファを離れ、部屋の隅の方へ行ってしまった。

 ここは世話人の居室。いきなり俺が訪れたことに加奈美さんは少々戸惑っている様子であった。一応ノックはしたが、俺は加奈美さんが返事をする間もなく、部屋に入ってきたのだ。ビックリしないわけがない。

「はい、何か?」

 加奈美さんもソファを立ち、一歩前に出て出迎えてくれた。一応笑顔をつくって見せてはくれたが、驚きの感情は隠せてはいない。また額に貼られたガーゼも痛々しかった。

 俺は今、加奈美さんと真正面から対峙している。俺がこれから話すことは、とても残酷な事なのかもしれない。しかし、俺は話さなければならない。飯橋、瑞希、そして何より加奈美さんのために。

 俺は乾いた下唇を一度舌で濡らし、静かに息を吸った。もう迷いはない。

「加奈美さん。あなたですね」

 俺の第一声に、加奈美さんは首を傾げた。俺の声が聞こえ辛かったのか、それとも意味を理解できなかったのか。それとも、シラを切ったのか。

「この一連の……、俺たちが水崎にやってきてから起こった事件、犯人は……あなたですね」

 俺の言葉に、加奈美さんは目をそらそうとしなかった。むしろ、俺の目をジッと見つめていた。柔らかかった表情は一転固まり、唇は真一文字に結ばれた。

「俺は先日、桂城銀造さんに会いました。そこであなたが、桂城の人間であるという事を知りました」

 桂城……。その言葉に、加奈美さんの眉がピクッと反応した。

「復讐ですか? 家族を崩壊させた桂城本家に対する」

 すると、加奈美さんは俺に背を向けた。ソファの前に戻り、俺が部屋に入ってきた時と同じ場所に座った。

 そして加奈美さんの真一文字に結ばれた唇が、緩く解かれた。

「銀造さんに会ったということなら、私たちのことは全て知っていますね」

 その声を聞いて、俺は背筋が寒くなる思いがした。表情に変化はないし、罵声を浴びせられたわけでもない。しかし、その声に得体の知れない恐怖を感じた。

 まるで俺の知っている加奈美さんではない感じがした。

「確かに、今は亡くなった主人の姓を名乗っています。私の旧姓は桂城。みなさんがよくご存知の、桂城一族の人間でした」

 気のせいだろうか。「でした」という部分が強調されているように聞こえた。

 そして加奈美さんは薄く、笑みを作った。

「でも……。だからと言って、私が殺人事件の犯人というのは、少々ひどくはないですか? 確かに私の家族は本家に散々煮え湯を飲まされました。しかしそれはもう過去の話ですし、私自身も桂城とは縁が切れています」

 話す加奈美さんの姿を見て、俺は再び背筋が寒くなる感覚がした。その笑みはとても冷たく感じた。

「銀造さんと話をしたのなら、蓮の事も聞いていますよね」

 加奈美さんの言葉が終わってから、しばらく間があって俺は頷いた。蓮君は桂城本家の誰かとの子供であるということである。

「確かに蓮は……私は博壱だと確信していますが、桂城家の人間との間に生まれた子供です」

 博壱。いつか「うらら」に俺たちを恫喝にやってきた男である。

「周りの人たちから見たら、蓮は呪われた子供のように映るでしょうね。しかし、私は蓮のことを愛し、自らの子供として、愛情を誰よりも注いで育ててきました」

 加奈美さんのこの言葉に嘘偽りはないであろう。そう確信させる程、加奈美さんの言葉には感情がこもっていた。

「申し訳ないですが、私は新谷さんがおっしゃるような人間ではありません。この事件では逆に私は被害者ですよ。御覧の通り、頭を殴られました」

 加奈美さんはそう言って額に貼られたガーゼに手をあてた。

「そう、それですよ」

 俺は一歩前に出て、加奈美さんのガーゼにあてがわれた手を指差した。俺の声に驚いたのか、加奈美さんは目を丸くしていた。

 そして俺は、この事件の真相を、少しずつ加奈美さんへ突きつけていった。



「おかしいんですよ、その傷」

 すると加奈美さんはさすがにムッとしたのか、表情がやや強張った。

「では何ですか、新谷さんは、このガーゼが嘘だと? では御覧になればいい。」

 加奈美さんはピッという音と共に額のガーゼを取った。そこには痛々しい縫い傷が隠れていた。

「これでよろしいですか?」

 そう言うと、取ったガーゼを再び額に貼り付けた。

 確かに、加奈美さんの額に傷は存在する。しかし問題はそこではなかった。

「加奈美さん。俺が思っていたのは、そのガーゼの下に傷があるのかないのかということではありません。何故そのような傷がついたのかということなんです」

 俺の言っていることが判らなかったのだろうか。加奈美さんは首を傾げた。

「では言い方を変えましょう。何故、それくらいの傷で済んだのか?」

「いや・・・・・・、それくらいって、これでも気を失う程の重症だったのですよ!」

 加奈美さんは声を荒げた。確かに殴られて「それくらい」も何もない。

 しかし、この一連の事件において、それは違った。

「加奈美さん。この一連の事件において、三人もの人間が殺され、あなたの他に瑞希が一時は命が危うくなる程の重症を負いました。第一に桂城博敏。頭部が原型を留めていないほどムチャクチャに殴られていた。第二に桂城好太郎。彼は首から上を刃物でメッタ刺しにされていた。両名に対する強い恨みを感じさせ、確実な殺され方をしている」

 聞く人によっては、下から何かが上がってきそうな話を、加奈美さんは表情一つ変えずに聞いていた。俺はさらに話を続けた。

「そしてここで殺された飯橋。その殺され方に強い恨みは感じさせないが、刃物で心臓を一突きし、確実な殺され方だ。瑞希に関しては頭部を何度も殴打。結果死ぬことはなかったが、明確な殺意を感じさせられる」

 俺はさらに一歩前に出て加奈美さんに近付いた。

「しかし、加奈美さんの傷は……、それらの殺され方から考えると、とてもあっさりしすぎている」

「いや……それは」

 俺は加奈美さんの言葉を遮り、話を続けた。

「加奈美さん。あなたのその傷は、真正面からでないとできない傷です。つまり、犯人はあなたの真正面から攻撃したということなんです。先日坂刑事から聞きましたが、あなたは犯人の顔は見ていないと言った。しかし、犯人の側から考えたらどうでしょうか?犯人は加奈美さんの真正面に立って攻撃した。つまり犯人は加奈美さんに自分の姿を見られてしまったと感じても不思議ではないんです。それまで全く痕跡を残さず犯行に及んできた犯人が、自分の姿をはっきりと見たかもしれない人物を、たった一撃で、しかも生死の確認もせずに満足するでしょうか?」

 俺はここで少しの間を作った。加奈美さんを見てみるが、その表情に特に変化は見られなかった。

「俺はそうは思わない。俺が犯人なら、今まで行ってきたように、何度も何度も殴り、確実に加奈美さんを殺していたでしょう」

 すると、加奈美さんはソファから立ち上がった。

「ならば私が自分でこの傷をつけたとでも?」

 その声色には俺に対する挑発の意思が含められいた。

「いえ、その傷は自分でつけることは難しいでしょう」

「だったら、誰に殴られたというの。言っていることがムチャクチャじゃないですか?」

 俺の言葉が終わるよりも早く、加奈美さんがまくし立てた。唾を飛ばし、上品だった加奈美さんの面影は、そこにはない。

 俺は大きく息を吸った。

 俺は、伝える。

「それは……その傷は、蓮君によってつけられたものですね」

「!」

 俺の言葉に加奈美さんは顔を引きつらせた。そして一気に脂汗が噴出してくるのが見えた。

 俺は加奈美さんの向こう側で、ポツンと立っている蓮君の姿を覗いた。蓮君は顔色一つ変えず、こちらを見つめていた。蓮君が今何を考えているのか、その表情から窺い知ることはできない。

「加奈美さん。これから俺はとても恐ろしい事を話します」

 加奈美さんの頬に汗が流れ落ちていく。

「この一連の事件、実行したのは蓮君ですね。飯橋を殺し、瑞希を襲ったのも」

 俺はそう加奈美さんに問いかけた。加奈美さんからの返答はない。しかし俺は続けた。

「坂刑事から飯橋の刺し傷は、下から上へ突き上げられたようなものだと聞きました。不自然ですよね。飯橋は身長百五十センチあるかないかの小柄な体格だ。そんな飯橋の胸へ突き上げるような傷をつけるには、飯橋よりも低い体勢でなければならない。しかし、俺が電話で話している時、犯人と争っているような物音は聞こえなかったし、格好としてもかなり不自然なんです」

 加奈美さんは吹き出てくる汗を腕でぬぐった。しかしぬぐった汗は、腕から床へと滴り落ちていく。その視線はもうどこも見ているのか判らない。

「ならば、犯人が飯橋よりも身長の低い人間ならどうでしょうか? 蓮君は同年代の児童と比べても背は低い方ですね。もし、蓮君くらいの身長の人間が、飯橋の胸を突こうとするなら、下から上へ突き上げるような傷ができるのではないですかね?」

 蓮君が実行犯……。これが俺の見つけ出した、最も恐ろしい真相であった。何度も自分の考えを疑った。子供が次々と人を殺すなんて、こんな考えに至った俺こそが鬼なのではないかとも感じた。しかし、蓮君を実行犯と仮定した時、全ての辻褄が合っていくのであった。

「そして瑞希が襲われた事件。これで、俺は一連の事件に蓮君が関わっている事に気付きました」

 そう、俺は見つけてしまった。あの恐ろしい痕跡を。

「加奈美さん、あなた瑞希が襲われる前、ビデオカメラの件を、瑞希から聞きましたね」

 この事件の発端、瑞希のビデオカメラに映り込んでいた廃屋の不可解な影。加奈美さんはそのビデオの存在を知っていた。いや、知ってしまったのである。

 俺の推理はこうである。

 あの日、俺が銀造さんへ会いに行くため「うらら」を出発した後、瑞希は加奈美さんにビデオカメラの件を話した。自分たちの犯行現場を撮影したビデオの存在を知った加奈美さんは、そのビデオの回収と口封じのため、瑞希を襲撃することを決心した。そして瑞希がトイレか何かで部屋から出たのを見計らい、蓮君を部屋に侵入させた。そしてこの一件を「密室事件」とするため、鍵を瑞希に持たせ、蓮君は壁の穴から隣りの部屋に移った。

 俺はこの推理を、加奈美さんに伝えた。加奈美さんは否定することも、俺の推理に頷くこともなく、無言であった。

「机や椅子が動かされた形跡がなかったから、あの穴から脱出するには横のクローゼットを足場にしなければならなかった。蓮君はクローゼットの扉や引き出しを手足で巧く操作しながら登っていったのでしょう。そして穴に入り込むため、蓮君はクローゼットの天板に手を置いた」

 俺は見てもいない当時の状況を、まるで自らの眼でみて、更にそれを映像に残し繰り返し観たかのように話していった。

「何故、判ると思いますか?」

 加奈美さんに問いかけた。加奈美さんは無言であった。最早、俺の眼など見てはいない。

 「天板に残っていたんですよ、蓮君の指の後が。ホコリの積もった天板に、まるで水滴を垂らしたように残っていました」

 あの天板に残っていた痕跡、あれは蓮君が壁の穴へ入る際、身体を支えるためについた指の跡だったのである。

「……何故?」

 加奈美さんが微かに唇を動かし、言葉を発した。声を聞いたのを久しく感じる程であった。

「汗ですよ」

 加奈美さんの消え入りそうな問いに、間を作らず応えた。

「これは瑞希から聞いたのですが、瑞希は部屋で片づけをしている際、エアコンをつけていなかった。俺たちの地元はこの季節連日真夏日。しかしここ水崎は湖畔ということもあり涼しい気候なので、エアコンに頼る程ではないんです。そんな部屋で、蓮君は犯行に及んだ。凶器は何か知りませんが、軽いものではないでしょう。そしてその後、クローゼットを用いてのアスレチック。蓮君は多少なりの汗をかき、それを手で拭ったのでしょう。それにより、蓮君の指先には微量の水分が付着した。そんな指先がホコリの積もった天板に触れたらどうなるでしょう?」

「指に……つきますね。……ホコリが」

 加奈美さんは途切れ途切れに口を開いた。

「坂刑事の話によると、部屋からは蓮君の指紋は出ていないそうです。つまり蓮君は手袋をしていたのでしょう。だから、天板の跡を調べても指紋は出ないでしょう。しかし、天板に残った跡と、蓮君の指の「形」を照合したら……どうでしょうか?」

 俺が問いかけた次の瞬間、加奈美さんの身体が崩れ落ちた。床に両手をつき、嗚咽を漏らした。

 俺はこれ以上追及しなかった。チェックメイトである。

 俺は扉の方へ振り返った。

 いつからそこにいたのか、俺の後ろには坂刑事と桂城銀造がいた。二人は敗者の如く床で泣き崩れる加奈美さんの姿を何とも複雑な表情で見つめていた。



「加奈美、……すまなかった」

 杖をつきながら部屋へと入ってきた銀造の、最初の言葉がそれであった。銀造はおぼつかない足取りで加奈美さんに近付き、そして深々と頭を下げた。

 銀造も今まで苦しみ続けていた。あの時、自分が恭造を助けることができていたなら、自分の生活を投げ打ってでも恭造を助けていたなら、この家族はここまで酷い目に遭わずに済んだ。人を殺めるような真似はせずに済んだ。悔やんでも悔やみきれない、どうしようもない後悔の連続であったことは、想像に難くない。

「遅くなってすまない」

 坂刑事が俺に耳打ちをしてきた。

 銀造さんをここへ呼んでほしいと頼んだのは俺である。

 俺は今回の事件の犯人が加奈美さんと蓮君であると確信した時、ある思いが頭をよぎった。

(何と救われない人なんだ)

 加奈美さんと蓮君が犯した罪は決して許されるものではない。何の罪も怨みもない飯橋を殺し、瑞希を傷つけたのだから。しかし、犯人を捕まえて警察に逮捕されたところで、誰も何も救われない。せいぜい、近隣住民という「第三者」が不安から解放される程度のものである。

 本当にこの事件を解決するためには、加奈美さんを救わなければならない。そのためには銀造の力が必要不可欠であった。

 銀造は遂に膝をついた。手に持っていた杖を置き、床に手をつき頭を下げた。

「加奈美。あの時、お前の父さんや母さんを助けてやれなかったことを許してくれ。この通りだ!」

 銀造は頭を下げながら、何度も何度も謝罪の言葉を口にした。その声は時に詰まり、嗚咽のようにも聞こえた。

「…………」

 加奈美さんもうな垂れて、どこを見ているのか判らなかった。銀造の謝罪の言葉が聞こえているのかすらも俺たちには判断できなかった。しかし、銀造が両手をついて謝りはじめると、それまで崩していた身体を整えて、銀造の前に正座をした。

「銀造さん……どうかお顔をあげてください。いいんです。……もういいんです」

 加奈美さんは銀造に手を差し伸べるが、銀造の姿勢は変わらなかった。

「いや、駄目だ。わしが全て悪かったんだ! わしが……弱かったばっかりに!」

 すると加奈美さんは差し伸べた手を引っ込めた。

「銀造さん……今更そんなこと言われても、もうどうしようもないのですよ」

 その声はとても冷たかった。

 そして加奈美さんは俺と坂刑事を見た。

「よく、ここまで判りましたね。もう降参です」

 加奈美さんの言葉に坂刑事が一歩前に出た。

「ということは、認めるんだな」

「はい。私が一連の殺人事件を計画、実行致しました」

 次の瞬間、加奈美さんの瞳が揺らいだ。

「……蓮と一緒に」

 揺らいだ瞳の先には、窓際で先程から何一つ変わることなく立っていた蓮君がいた。

 加奈美さんは視線を再び正面に戻すと立ち上がった。

「銀造さん。どうかお立ちになって下さい」

 加奈美さんは銀造の肩を抱いて起き上がらせようとするが、銀造は起き上がろうとせず、依然床に顔を向けていた。

 見かねた俺と坂刑事は銀造さんに近付き、三人がかりでようやく立ち上がらせ、ソファに座らせた。

 そして加奈美さんも、銀造の向かい側にあった椅子に座った。

「蓮、こっちにおいで」

 加奈美さんの呼びかけに蓮君は素直に応じ、隣りの椅子に座った。

「では、お話ししましょう。この事件の真相を」



 祖父の恭造と父の良弘が自殺してから、私と母は永遠に続くと思える生き地獄の中にいました。

父たちの事業が傾き始めた時、母は何とかして本家の協力を得るため、本家の鬼畜のような要求を飲んできました。それは家族のためであり、また「終わりのある地獄」と自分の中で割り切っていました。

 しかし、運命は本家の人間たちのように鬼の如く無慈悲でした。結局父たちの事業は完全に頓挫しました。それを苦に、祖父と父は無責任にも自ら命を絶ちました。この時、私は初めて父に対し怒りを覚えました。母が本家の人間たちに酷い目に遭っていることは薄々気付いていたはず。なのに助けてくれなかった。それどころか、自分たちだけで逃げてしまった。

 その後も、本家の母に対する陵辱は続きました。最初は本家の人間たちは母に対してのみ陵辱を繰り返していました。毎日痛めつけられていく母の姿があまりにも不憫でした。そして私は本家の人間・・・具体的には桂城博太郎ですが、母をこれ以上虐めないでくれ、解放してくれと懇願しました。すると博太郎は、とても人間のものとは思えないような笑顔でこう言いました。

「だったら、お前が母の代わりになるか?」

 その言葉の後、部屋に数人の男が入ってきました。その後の事はよく覚えていません。思い出したくもありません。それから本家の牙は私にも向くようになりました。特に当時まだ若かった桂城好太郎と博壱は執拗に私を虐めていきました。

 しばらくして、母が病に倒れ亡くなってしまいました。最初はただの風邪だったのですが、適切な処置をとってもらえなかったため肺炎を起こし、最後はミイラのように痩せ衰え、惨めに死んでいきました。結果は「病死」ですが、本家に「殺された」も同然でした。

 母の存在は私にとって最後の拠り所でした。その母を失い私は絶望の淵の一番底に叩き落されました。私は母が亡くなってすぐ、母の遺骨を持って本家から逃げました。どこをどう彷徨っていたのか殆んど覚えていません。それくらい必死でした。私は生き地獄の中にいました。しかし、自ら命を絶とうとは思いませんでした。いつか救われることを信じていたし、また私は身重の身体となっていました。忌まわしき桂城本家の「誰か」の子供。しかし、生まれてくる子供に罪はない。どうしても私は堕胎することはできませんでした。

 気付くと、私は名古屋にいました。名古屋で私はパートを始め、貧しいながらも人生の再出発をしました。その後、一人で蓮を出産し、職を転々としながら必死に蓮を育てていきました。

 そして生活が僅かながら安定していくにつれて、ふと忌まわしき桂城本家を思い出すことがありました。思い出されるのは絶望と恥辱にまみれたものばかり。思い出した私は真夜中に泣き叫ぶ事もしばしばでした。そんな中、頭をよぎりました。

「桂城家に復讐をしなければならない」

 ここで私は、たった一人で本家に乗り込んでいけばよかった。しかし私の隣にはようやく歩き始めた蓮がいました。この子を残してなんかいけない。

 しかし、ここで私の中の「鬼」が囁きました。

「蓮も一緒に連れて行けばいいじゃないか」

 私はとても恐ろしい考えを持ってしまいました。蓮と一緒に桂城家へ復讐しようと。復讐のため、私は蓮を学校にはやらず、私の命令にだけ忠実な殺人マシーンとして教育していきました。

 しかしこの過程で、一つ問題が発生しました。蓮の教育に没頭するあまり、仕事を疎かにしてしまい、経済的に困窮する事態となってしまいました。そんな時、かつての仕事場で一緒だった田原昭彦さんに声をかけられました。「結婚してほしい」と。私は全く気付きませんでしたが、どうも昭彦さんは私に以前から好意があったようです。私には身体が弱く学校に通えない子供がいることを伝えると、昭彦さんはかまわないと言ってくれました。少し悩みましたが、経済的に困窮していたし、また昭彦さんからのプロポーズに対して、私自身満更でもありませんでした。

 そして私は昭彦さんと結婚し、桂城加奈美から田原加奈美へと生まれ変わりました。ようやく、桂城の名前を捨てることができました。

 昭彦さんとの生活はとても幸せでした。私にもようやく人並みの幸せが訪れました。

 でも私には、忘れることができなかった。

 桂城一族への、怨みだけは。

 私はそういう運命なのかもしれない。桂城一族への復讐を果たさなければ、本当のハッピーエンドはない。昭彦さんとの生活で、思わず幸せに身を委ねようとしても、必ず私の中にある「鬼」が私の感情を引き止める。そして、囁く。

「お前は自分と家族の受けた仕打ちを忘れたのか?」

 私は忘れることができなかった。昭彦さんと一緒になった後も、蓮への「教育」は続けました。そしていつしか、教育した私ですら思わず震えてしまうような、冷血な少年に成長していました。

 

 そして、ある日のこと。昭彦さんが私に伝えてきました。

 脱サラして、田舎でペンション経営をしたいと。

 その時、私はあまり深く考えず、「昭彦さんの思うようにして下さい」と答えました。しかしここで、私の宿命が動き始めました。昭彦さんがペンション経営の地として選んだのが、ここ水崎だったのです。

 私は昭彦さんに、自分の出生を具体的には話していませんでした。だから私が水崎出身であるということも知りませんでした。できることなら、もう水崎には戻りたくありませんでした。だから、私は昭彦さんに別の地方を提案しようと思いました。

 しかしその時、再び私の中にある「鬼」が囁いてきました。

「よかったなあ。これで桂城一族に復讐できるじゃないか」

 私は私の中にある「鬼」の囁きに苦悩しました。一日頭を抱え、のた打ち回りました。頭を振っても、眼を閉じても、耳を塞いでも、「鬼」の囁きが聞こえる。まるで私の脳に焼印を押されたような気分でした。

 そしてある時、私は真っ暗な場所に立っていました。私の身体以外、何も見えない、判らない暗闇。

 そんな暗闇に、突如として現れました。

 「鬼」の顔が。

 とてもこの世のものとは思えない、醜くそして残忍な表情。その顔が私に語りかけてくる。

「桂城 加奈美。今こそ自らの家族を破滅に追いやった、一族への復讐を果たす時!」

 私は無意識に、その「鬼」へと近付いていった。そして手を伸ばせば「鬼」の顔に触れられるところまできた。

「お前も鬼の一族。さあ鬼になれ! 鬼となり、お前の中で灼熱に燃え滾る想いを今こそ解き放て!」

 その時、私は走馬灯を見た。そこには優しい祖父とお父さん、そしてお母さんの笑顔があった。

 私は言葉では表現できないような声をあげた。

 そして私は「鬼」の顔に触れた。すると「鬼」の顔は、私の掌に収まり、自由に動かすことができた。

 それはまるで「鬼の面」であった。

 その「鬼の面」を、顔に近付けた。私の鼻に触れようとした時、それは消えた。

 次の瞬間、私は湖畔に立っていた。明け方の水崎湖。冬は過ぎたが、朝方の冷え込みはまだ厳しい季節であった。私の身体は震えていた。寒くて震えているわけではない。

 横に目をやると、そこには蓮が立っていた。蓮は無表情で湖の方を見つめていた。

 私は蓮の見つめている方へ目をやった。

 そこには、うつ伏せの状態で湖にプカプカと浮いている昭彦さんがいました。

 私のことを愛してくれた人が、絶命している。

 その時、私はこう思った。

「……はじまった」



 部屋が静寂に包まれたことにより、加奈美さんの告白が終わったことに気付いた。加奈美さん以外、誰も口を開こうとはしなかった。

 とても、とても、恐ろしく、そして哀しい告白。

 告白を終えた加奈美さんは、決して憑き物が落ちたような表情はしていない。精気が抜けたようになり、顔を伏せて無言であった。

 しばらくの沈黙が続き、坂刑事が口を開いた。

「二年前、田原昭彦は事故ではなく、あなたに殺されたというのか……」

 この声に、真相が判明したことによるスッキリ感はない。さらに混迷の闇に飲まれそうになるのを、必死にもがいているような、そんな声だった。

「はい、私が計画し、蓮が実行しました」

 顔を伏せた状態の加奈美さん。その表情は窺い知れない。

 坂刑事によると、加奈美さんの夫である田原昭彦は、二年前水崎湖畔で変死体として発見されたのだという。死因は溺死。また体内から大量のアルコールが検出されていた。捜査は事件、事故両方から行われていたが、結果として事故死で処理されたのだった。

 しかし真相は違った。

「正直、あの晩のことはよく覚えていません。ただ、蓮が私に言うのです。「ママはパパが悪い人だと思ってるんだよね。だから、死ななきゃいけないんだよね」と……」

 その声は次第に震えてきていた。もう、俺と瑞希が知っている「加奈美さん」ではない。

「主人はお酒に強いほうではなく、普段は全く飲みませんでした。だから私が無理矢理飲ませたのでしょう。そして外へと連れ出し、蓮が主人を湖に突き落としたのでしょう。ボンヤリとですが、そんな事だったと思います」

 そしてこの後も罪の告白は続いた。

 この親子の第二の殺人は、同じく二年前であった。桂城博太郎殺害である。自宅の庭で何者かに首を数箇所刺され絶命していたのである。この事件は現在も怨恨の線で捜査中とのことである。しかし、桂城に怨みを持たない人間を探すほうが困難ともいえるこの地方。捜査は困難を極めていた。

 ましてや、博太郎の首を刃物で切り裂いたのが、当時八歳の児童であったとは、夢にも思わないであろう。

 そして第三の殺人、それこそ俺たちが関わった一連の殺人事件のはじまりである。

 桂城博敏の殺害。

 あの日、加奈美さんは博敏と連絡を取り、「桂城一族の秘密をバラす」等と言い、博敏をあの廃屋へ呼び出した。そしてあの廃屋で、加奈美さんと博敏は対峙した。博敏が加奈美さんの方へ気が向いているのを見計らい、後方に隠れていた蓮君が、刃物で博敏の足を刺した。怯んだところで、加奈美さんが近くに転がっていた角材で、博敏の頭部を殴打した。

 瑞希が撮影したビデオに映っていたのは、その凶行の一部始終であった。

 その後、殺害前夜から博敏と共に行動し、姿が見えなくなった博敏を探しに来た好太郎であった。加奈美さんによると、好太郎の殺害は当初の予定外だったそうである。博敏を殺害した夜、遊歩道近くの森で、夕闇にまぎれて蓮君を好太郎に向かってけしかけた。不意を突かれた好太郎はほぼ何もできず、胸から上をメッタ刺しにされ絶命した。そしてその遺体を、湖畔に投げ捨てたのだった。

 その告白を聞く度に、坂刑事の表情が険しくなっていった。加奈美さんの犯した罪の大きさに困惑しているのか、それとも、博太郎と田原良弘の真相に気付くことができなかった悔しさか……。

 そしてこの事件には、まだ一つ謎が残っていた。

「何故、飯橋を殺さなければならなかったのですか?」

 俺にとって、最後であり最大の謎であった。一族とは全く関係のない飯橋が、何故あんな無惨な殺され方をしなければならなかったのか。

 加奈美さんは俺の方を向いた。しばらくの沈黙があり、口を開いた。

「勿論……最初は殺すつもりはありませんでした。でも……見られたのです」

「見られたって、何を?」

 坂刑事が俺よりも早く訊ねた。

「……母子手帳を」

 意外な言葉に、俺と坂刑事は顔を合わせた。

「あの日、私と蓮が帰って来た時、寛子さんは居間で電話をかけようとしていました。その時、寛子さんの手に私の母子手帳が握られていたのです」

 すると坂刑事がピンときたようで、パンという音とともに両手を合わせた。

「名前が、載っているんだな。桂城の名で」

 加奈美さんは無言で頷いた。つまり、飯橋はこの母子手帳を見て、加奈美さんが桂城家の人間であることを知った。そして、飯橋は加奈美さんもこの一連の事件に関係があるのではと疑った。

 あの時、飯橋が電話で俺に伝えたかったこと、それはこの母子手帳の存在だったのだろう。

「しかし、飯橋寛子は何故その母子手帳を見つけたのだ」

 そんな知られては困る内容が書かれたモノをそこらへんに放っておくわけがない。

「母子手帳は、私の部屋で保管していました。でもあの日、私は部屋の鍵をかけずに外出してしまったのです」

「そこに飯橋寛子がやって来て、部屋に入った……と」

 部屋が物色されていたのは、飯橋がまた変な好奇心を出してしまったからというわけのようだ。その結果、見つけてはいけないモノを見つけてしまった。そして知ってしまった。

「瑞希さんの件は、新谷さんのお話でほぼ間違いありません。まさか博敏殺害の現場を撮影されているなんて夢にも思っていませんでした。瑞希さんが部屋を出た隙に、蓮を部屋に向かわせました」

 加奈美さんは蓮君の肩を抱き、顔を伏せた。もはや観念したのだろう。

 坂刑事が一つ大きなため息をつき、胸ポケットから手錠を取り出した。事件の背後を考えたら、加奈美さんはとても気の毒であった。しかし、犯した罪は決して許されるものではない。坂刑事はこの一連の事件に終止符を打つため、手錠を握り加奈美さんへ近付こうとした。

 すると加奈美さんが不意に口を開いた。

「もう一つだけ、教えてください」

 声は非常に弱々しいものであった。しかしその中には、確実な意志が通っていた。

「この事件、桂城一族にはどんな影響を及ぼせたのでしょうか?」

 そのまま手錠をかけることもできたが、坂刑事はあえて立ち止まった。

「今回の事件、桂城一族は一応被害者側だ。しかし、マスコミが一族についてガンガン書き叩いている。これまでの……桂城一族のヘドが出るような行為が一般大衆に知れたら。社会的信用は地に堕ちるだろう。はっきり言って終わりだよ」

 確かに今回の事件、桂城家は一族の人間を三人も殺されているのにもかかわらず、俺には一欠片の同情も沸かない。それは多分みんなも同じであろう。

「それと……銀造さん」

 加奈美さんは顔を上げ、ソファでうなだれる銀造にも声をかけた。

「さっきはあんなことを言ってしまって、ごめんなさい。私は銀造さんのことを少しも怨んでなんかいません」

「……加奈美」

 銀造さんの目に光るものがみえた。

「昔と変わらない、強くて、優しい銀造おじさん。最後に……会えてよかった」

 ……最後。その加奈美さんの言葉に少しひっかかりを覚えた直後であった。

「なっ!」

 坂刑事が大きな声をあげた。今度は加奈美さんの手に光るものがみえた。

 しかしそれは涙ではない。ナイフだった。


十一


「ちょ、ちょっと、加奈美さん!」

「加奈美!」

「おい、馬鹿な真似はよせ!」

 俺たち三人は加奈美さんの手に握られているものがナイフと認識し、ほぼ同時に声を発した。

 加奈美さんはナイフを俺たちの方へ向け、蓮君と一緒にジリジリと後ろへ下がっていった。坂刑事がナイフを取り上げようとするも、蓮君がまるで人質のようになっているため迂闊には飛びかかれない。

 加奈美さんは窓の所まで下がっていった。そしてしゃがみ込み、蓮君の方を向いた。

「蓮、やっぱり駄目だった。お母さんを許して」

 加奈美さんの目からは大粒の涙が零れだした。加奈美さんの語りかけを、蓮君は表情を変えずに聞いていた。そこはもう親子二人だけの世界。俺たちの存在など感じてはいない。

「蓮、お母さんは最後の仕上げをしなければならくなったの。だから蓮とはちょっとの間離れ離れになるの。寂しい思いをさせちゃうわね。ごめんね……蓮」

 加奈美さんが蓮君に何を言っているのか、俺には全く理解できなかった。

「いかん!」

 異変を感じた坂刑事が、ナイフを奪おうと飛びかかった。

「来ないで!」

 加奈美さんの声が、空気を切り裂いた。坂刑事も思わず足を止めてしまった。

 そして加奈美さんは、俺たちの方へ向けていたナイフを持ち替え、蓮君に握らせた。

「さあ、蓮。これが最後よ」

 大粒の涙が頬を伝い床まで滴り落ちていく。ナイフを握る手にも涙が零れ落ちた。

「このナイフで、お母さんの首を刺しなさい。命令よ」

 一瞬で鳥肌が立った。何というい恐ろしい……。加奈美さん、あなたは何て恐ろしいことを、こんな可愛い子供にさせようとしているのですか!?

「やめろ!」

 みんなが口々にそう叫んだ。誰が親が子供に自分を殺せと命令し、その光景を何もせず見ていられようか!

「来ないでって言ってるでしょう!」

 加奈美さんが叫んだ。涙で顔はグシャグシャになっており、もう声になっていない。

「さあ、蓮!」

 加奈美さんは蓮君の手を離した。ナイフは加奈美さんの手から、蓮君の幼い手中に移っていた。

「……」

 蓮君は無言で、無表情でナイフを見つめていた。蓮君は今何を考えているのだろう。母を殺すことを迷っているのか。それとも、どういう感じで刺し殺してやろうかと吟味しているのだろうか?どちらにしても、あまりに恐ろしい考えである。

「やめろよ。もうやめてくれよ!」

 俺はいても立ってもいられず叫んでいた。もう考えるより早く、感情が言葉を紡いでいた。

「あんた蓮君の親だろ! こんな恐ろしい事、自分が腹を痛めて産んだ子にさせんなよ! 蓮君だってこんなこと、望んでなんかないんだ。誰も殺したくなんかないんだ!」

 すると加奈美さんは、笑った。とても冷たく。

「新谷さん。確かに蓮は私にとって、命よりも大切な宝物です。しかし、蓮も鬼の一族なんです。蓮の中にも私と同じ鬼が潜んでいるのです。特に蓮は桂城家の人間同士の間から産まれた子供。鬼の血の濃さは一番ですよ」

「そんな、何ということを!」

 俺たちは加奈美さんの言葉が信じられなかった。何が鬼の一族だよ!

「さあ、蓮!」

 すると蓮君は意を決したのか、持ったナイフを頭上に上げ、刃を下に向けた。

「やめろ!」

 そして……、

 一瞬のためがあってから、ナイフが振り下ろされた。

 その時、俺は見た。

 蓮君のそれまで無表情だった顔が、一瞬緩んだ。

 それはとても優しそうなものに、みえた。

「あっ!」

 俺たちは同時に声を上げた。

 目の前には、ナイフが刺さり、血が噴出している光景があった。

 一つ、俺たちの予想に反したこと……いや、俺たちの予想を遥かに超えた現実があった。

 蓮君は、母の首筋ではなく、自らの胸にナイフを突き立てたのだった。

 大声を上げて取り乱す、母加奈美さん。

 加奈美さんには見えたであろうか。

 あの優しい笑顔が。



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