鉄筋の童話
ある朝の海辺でのことである。少女は、童話を創っていた。それは鉄筋とまた鉄筋から成る童話であった。海辺には巨大なオブジェが広がっていた。私には分からぬ建築学の知識を以て、少女は童話の足と胴体を創っていた。
私が再び少女を見た時、彼女はちょうど腹の部分を創っていた。童話が食べた物を消化するのが、腹の部分の役割である。私は声を掛けて、訊いた。童話創りの調子はどうだい、と。
「順調よ」と、少女は答えた。
「けれど、鉄筋が足りないの。もっとたくさん持ってきてちょうだい」
仰せのままに。私はトラックで鉄筋屋に出向いて、鉄筋を何百本も買って戻ってきた。
一緒に居た芸術家のトキコさんが言った。
「あの童話は順調よ。でも、順調すぎると、大抵良くないことが起こるものよ」
私には何のことだか分からなかった。ともかく私は、少女に鉄筋を引き渡した。少女はオブジェの最上部に立ち、童話の首を創っていた。あとは、口を創るだけだった。
鉄筋で出来た童話は、巨大な生き物のようだった。そしてそれは、何も問題がなさそうに思えた。太陽は天頂に登り、波は寄せては返し、童話は完成しようとしていた。
「百枚を超えたわ」トキコさんが言った。
「これはもう童話では無いわ。規定をオーバーしてしまったもの」
「それは――どうにかならないんですか」私は訊ねた。
あの子が推敲を望むなら、改稿を受け入れるなら、とトキコさんは答えた。
私は童話の口を創ろうとしている少女に、大声で声を掛けた。もっと短く、柔軟にやらねばなりませんよ。なんだったら、口なんて創らなくてもいいじゃあありませんか。最後までやり通すことより、まず規定に合わせることを考えないと。
しかし、少女は返事をしなかった。ただ黙々と、彼女は童話の口の部分を創っていった。
太陽が沈み始めた頃、ついに童話は完成した。夕日を浴びた童話のシルエットは、美しかった。海辺から突き立ち、きらめく無数の足、途方も無い大きさの胴体。そしてそこから天を掴むように生えた六本の手と、もたげられた首。首の先には、四方に開いた口があった。何でも飲み込んでしまいそうな口だった。その童話に、目というものは無い。
全てが鋼鉄製で、動くことのないその童話は、しかし私には今にも動きだしそうに見えた。童話に込められたリアリズムが、そう感じさせるのだと私は思った。
日が沈み、少女は死んだ。締切が来たのだ。そして童話は規定枚数をオーバーしていた。少女は死ぬより他になかった。残ったのは、巨大で、壮観で、美しい童話が一つだけだった。
私は鉄筋を伝ってその童話の上に登り、ハンマーを振り上げた。なにもかもを分解してしまいたい衝動に駆られた。けれども、丁寧に溶接された鉄筋は、私のハンマーを虚しく弾き返した。
「その童話を破壊することはできないわ」トキコさんが言った。
「それはもう誰のものでもないの。この先五十年間、ずっとここに、海辺にあり続けるのよ」
私は、完全な童話になれなかったそのオブジェに思いを馳せた。日が落ちて、シルエットがついに闇と溶け合ってからも、私はずっと海辺のほうを眺め続けていた。