第22話: 師匠に『お前の周りの人間を効率で測るな』と言われて反論できなかった件
「お前の周りにいる人間を、効率で測るなよ」
グレンにそう言われて、レンは何も返せなかった。
前世でも同じことを言われた気がする。言ったのは恋人だったか、同僚だったか——もう覚えていない。覚えていないこと自体が、たぶん答えだ。
だが話は朝に遡る。
グレンの工房は鉄と炭の匂いがした。壁には古い魔法陣の原本が何十枚も貼られ、作業台には使い込まれた工具が整然と並んでいる。レンはその隅に座り、グレンが淹れた薬草茶を受け取った。
「師匠、話って何ですか」
「……今日は素直に師匠と呼んだな」
「昨日の顔が怖かったんで」
「そうか。——まあ、座れ」
グレンが自分のぶんの茶を注ぎ、作業台の向かい側に腰を下ろした。白い髭が胸元で揺れる。灰色の目が、レンを真っ直ぐに見ていた。
「お前の魔法は速い」
「……ああ」
「凄い。わしの六十年を、お前は一日で超えることがある」
レンは黙った。グレンがこんなふうに素直に褒めるのは珍しい。褒めた後に何かが来る——そう直感した。
「じゃがな」
来た。
「お前自身は、何を大切にしておるのだ?」
レンの手が止まった。薬草茶の湯気が、ゆらりと立ちのぼっている。
「……何って」
「お前は毎日、魔法陣を書いている。ゴーレムを動かしている。街を発展させている。速く、正確に、効率よく。だが——お前はそれをやりながら、何を感じておる?」
答えが出てこなかった。
効率よく動かすこと。自動化すること。最適化すること。それが目的で、それが手段で——そこに感情が入る余地があるのか、考えたことがなかった。
グレンは茶を一口飲み、カップを置いた。
「昔話をしてもいいか」
「じいさんの昔話は長いですよ」
「今日のは短い。——わしの弟子の話じゃ」
***
「わしがまだ五十の頃——もう二十年以上前になるのう。ルーカスという弟子がおった」
グレンの声が、少し低くなった。名前を口にした瞬間、灰色の目がわずかに揺れた。
「才能があった。手先が器用で、魔力の制御も正確で、わしが教えた技を三日で自分のものにした。十年に一人の逸材——いや、それ以上じゃったかもしれん」
レンは黙って聞いていた。グレンが弟子の話をするのは初めてだった。しかも名前まで出したのは、この話がグレンにとってそれだけ重いということだ。
「その弟子は、速かった。わしが一日かける魔法陣を、半日で仕上げた。しかも精度が落ちん。むしろわしより正確な時もあった」
「優秀だったんですね」
「ああ。だからわしは油断した」
グレンの灰色の目が、窓の外——工房の向こうに広がる街を見た。木々の葉は紅と黄に燃え、晩秋の風が枝を揺らしている。
「弟子は、いつしか『速さ』だけを追い求めるようになった。一日の魔法陣を半日で仕上げたら、次は四分の一にしたい。四分の一を八分の一にしたい。どんどん速く、どんどん多く」
「……それの何が悪いんですか?」
「悪くはない。最初はな」
グレンが茶碗を両手で包んだ。分厚い指。火傷の跡が無数にある、職人の手だった。
「速くなるために、弟子は手を抜くようになった。一つ一つの魔法陣に込めていた——何と言えばいいか、こう、手の温もりのようなもの。それを省くようになった」
「手の温もり?」
「うまく言えんのじゃ。魔法陣の性能には関係ない。けれど、わしの魔法陣を使ってくれる人間は、それがあるかないかを感じ取る。不思議なもんでな」
レンは、エルナの言葉を思い出した。
——機械じゃ、味が出ないの。
あの時は「非科学的だ」と返した。だがグレンの話を聞いていると、同じ何かを別の角度から見ている気がした。
「弟子は量産するようになった。速く、正確に、大量に。性能だけなら申し分ない魔法陣が、次から次へと仕上がった」
「それで?」
「誰にも選ばれなくなった」
グレンの声が、静かだった。
「他にも魔法陣技師はおる。性能が同じなら、人は何で選ぶか。——信頼じゃよ。この技師が、心を込めて書いたものだという信頼。弟子の魔法陣にはそれがなくなっていた」
「……」
「ルーカスはわしの工房を去った。自分では気づいておらなんだ。なぜ仕事が来なくなったのか、最後までわからなかった。……今でもたまに、あいつがどこで何をしておるのか考える」
グレンがレンを見た。
「効率だけを追い求めると、大事なものを見落とす。わしはそれで弟子を一人失った」
工房の中が静かだった。窓の外で鳥が鳴いている。遠くでゴーレムが石材を運ぶ音が聞こえる。秋の虫の声が、昼間でもかすかに聞こえるようになっていた——夏の盛りには蝉の声に掻き消されていた音が、今は工房の静けさの中に溶け込んでいる。
「小僧」
「……なんですか」
「お前に同じ道を歩んでほしくないんじゃ」
レンは、答えられなかった。
答えられない自分に、気づいていた。
前世でも同じだった。効率を追い求めて、人間関係を切り捨てた。恋人に「あなたといても効率が悪い」と言って振られた。同僚に「ミーティングの時間が無駄だ」と言って孤立した。
サーバールーム火災で死んだ時——助けに来てくれる人間は、一人もいなかった。
「……じいさん」
「なんじゃ」
「俺は——まだ、わかりません」
だが、一つだけ見えかけていることがある。効率だけを追えば、人が離れる。前世でもそうだった。今、同じ道を歩きかけているかもしれない——その自覚だけが、胸の底で鈍く光っていた。
グレンは、少しだけ笑った。皺だらけの顔が、穏やかに緩んだ。
「わからんなら、いい。今はわからんでいい。——ただ、忘れるな。お前の周りにいる人間を、効率で測るなよ」
レンは、薬草茶を飲み干した。
ぬるくなっていた。だが——悪くない味だった。
***
工房を出ると、街の中央広場にメイラが立っていた。
荷物をまとめた背嚢を背負い、白いローブの裾が風に揺れている。傍らには馬車が一台。王都行きの定期便だ。秋口から冬にかけては便が減ると聞いた——この便を逃すと、次は十日後になる。
「レンさん」
メイラがこちらに気づいて、小走りに駆け寄ってきた。丸眼鏡の奥の淡いグリーンの瞳が、少し潤んでいるように見えた。
「王都に戻るんだな」
「はい。学院への報告と、研究論文の中間発表がありまして」
「論文?」
「レンさんの生成魔法に関する考察です。……あの、勝手にまとめてすみません」
「いや、構わない。むしろ嬉しい」
メイラの頬が、ほんのりと赤くなった。眼鏡の奥の目が泳ぐ。
「あ、あの。研究報告が終わったら——」
メイラが言葉を選ぶように、視線を落とした。背嚢の紐を指先でいじっている。
「また来ます。必ず」
その声は、研究者の報告ではなかった。
レンにはわからなかったが——メイラが顔を上げた時、その眼差しには論文に書けない何かが滲んでいた。
「ああ。待ってる」
レンがそう返した時、背後で気配がした。
振り返ると、パン工房の入口にエルナが立っていた。洗い物の手を止めて、こちらを見ている。その表情は——いつもの仏頂面より、少しだけ硬い。
メイラが馬車に乗り込んだ。窓から手を振る。レンが手を振り返す。
馬車が動き出し、街道の向こうに小さくなっていく。木々のトンネルをくぐるように、紅葉の中に消えていった。
「……行ったか」
レンが呟いた時、横からカイルが現れた。どこにいたのか、壁に背を預けてパンをかじっている。
「なあレン」
「何だ」
「お前、二股かけてんのか?」
レンは三秒ほど意味を考えた。
「……二股って何のフォークだ」
カイルが天を仰いだ。
「そういうとこだぞ」
「何がだよ」
「メイラが泣きそうな顔してたの、気づいてなかっただろ」
「泣きそう? 普通に笑ってただろ」
カイルがパンの最後のひと欠片を口に放り込み、レンの肩をばんと叩いた。
「お前さ、魔法とかゴーレムとか、そういうのには天才なんだろうけど。人の気持ちに関しては——」
「関しては?」
「壊滅的だ」
レンは反論しようとして、やめた。前世で恋人に振られた時のことが、頭をよぎったからだ。
「……否定はしない」
「わかってんなら直せよ」
「直し方がわからない」
「それを俺に訊くな。俺は脳筋だ」
カイルは笑いながら去っていった。
***
夕方。
レンがゴーレムの稼働報告を確認していると、パン工房の方向から足音が近づいてきた。
エルナだった。
手に、小さな籠を持っている。中には見慣れない形のパンが入っていた。丸くもなく、四角くもなく——ねじれたリボンのような形。表面に細かい粒がまぶしてある。
「新メニューの試食。感想聞きたいだけだから」
エルナはそう言って、籠をレンの前に差し出した。目を合わせていない。
「新メニュー?」
「木の実とはちみつのねじりパン。焼き加減が難しくて、まだ調整中」
レンはパンを手に取った。温かい。焼きたてだ。
ひと口かじる。
外側はかりっとした食感で、噛み進めると木の実の香ばしさが広がる。はちみつの甘さが後から追いかけてきて、小麦の風味と溶け合う。ねじった形のおかげで、食感のムラが——いや、ムラではない。噛むたびに違う味わいが出てくるように設計されている。
「……美味い」
短い感想だった。だがレンの語彙では、それが最上級だった。
エルナの肩が、ほんの少し跳ねた。
「……そ」
それだけ言って、エルナは背を向けた。
背を向けたまま、一歩、二歩と歩いて——立ち止まった。
「あんた」
「何だ?」
「……あの研究者の子、また来るの?」
「メイラか? ああ、研究が終わったら戻ってくると言ってた」
「ふーん」
エルナの声が、平坦だった。平坦すぎた。
「べつに。聞いただけ」
エルナはそのまま工房に戻っていった。
レンは残りのパンをかじりながら、首を傾げた。
何か引っかかる。だが、何が引っかかるのかがわからない。
いつものことだ。
頭の中で、カイルの声が再生された。
——壊滅的だ。
「……否定はしない」
二度目のその言葉は、独り言だった。
***
夕暮れ。
レンは村の外れの丘に立った。
いつもの場所だ。エルナと初めてここに来た日のことを覚えている。あの時はまだ、ただの辺境村だった。
今は違う。
眼下に広がるのは、小さな街だった。
藁葺き屋根の家々の間に、新しい石造りの建物がいくつも建っている。交易路に沿って商店が並び、中央広場では夕方の市場が賑わっている。ゴーレムたちが石材や木材を運び、職人たちがそれを受け取って加工している。
街の外側では、ゴーレムが耕作を終えた畑が整然と広がっていた。秋の収穫が終わり、冬に備えて土を休ませている区画もある。交易路の向こうから、荷を満載した商人の馬車が一台、砂埃を上げてやってくるのが見えた。遠く、街の北端ではイグニスが接続した精霊ネットワークの結節点——精霊灯と呼ばれる青白い光柱が、夕闇に浮かび始めている。
人が増えた。
パン工房の前には行列ができている。鍛冶場からは槌の音が響く。子供たちが広場で走り回り、犬が吠え、商人が声を張り上げている。
たった五ヶ月前、ここには何もなかった。
「この街は——俺が作った」
レンは呟いた。スキル【生成AI】。ゴーレム。魔法陣。精霊ネットワーク。その全てを使って、辺境村を街に変えた。
だが——目を凝らすと、見えるものが違ってくる。
「本当にそうか?」
イグニスが炎の球体のまま、肩の近くに浮いていた。
「パン工房の行列は、あの女が毎朝四時に起きて焼いてるからだろ。鍛冶場の音は、じいさんが腰痛えのに弟子を教えてるからだ。市場は、商人が自分の足で荷を運んできたから賑わってる」
「……精霊にまで説教されるとは思わなかったな」
「説教じゃねえ。事実だ。——あと、子供の笑い声はゴーレムには作れねえだろ」
グレンの言葉が、胸の中で響いた。
——効率だけを追い求めると、大事なものを見落とす。
ヴォルフの言葉も重なった。
——これは剣の形をした鉄だ。剣じゃない。
エルナの言葉も。
——機械じゃ、味が出ないの。
全員が、違う言葉で同じことを言っている。
「この街を動かしているのは——」
風が吹いた。晩秋の風だ。丘の草がなびき、枯れ始めた穂先が金色に光る。遠くからパンの焼ける匂いが、かすかに漂ってきた。
「俺じゃない」
レンは目を閉じた。
「ここに住む人たちだ」
それは、答えではなかった。まだ、言葉にしきれない。大切にすべきものが何なのか、効率では測れないものの正体が何なのか——まだわからない。
でも、わからないということがわかった。前世の自分は、それすらわからなかった。
「わからんなら、いい。——じいさんはそう言ったな」
「ああ。あのじいさん、意外にいいこと言うだろ」
「……意外に、は余計だ」
だがイグニスの声にも、少しだけ温度があった。
レンが目を開けた時、丘の向こう——北東の山脈の稜線に、淡い光が見えた。
夕日とは逆の方角。自然の光ではない。
「……何だ、あれ」
「地脈の乱れだ」イグニスの声が硬くなった。「あの方角——二、三日の距離に、何かがある」
「何か、って?」
「わからん。だが精霊力が集中している。……嫌な予感がする」
「お前の嫌な予感は当たるのか」
「外れたことはねえな」
レンは、光る山脈をしばらく見つめていた。
夕日が沈み、空が紫に染まっていく。街の灯りが一つ、また一つと点り始める。精霊灯の青白い光と、窓から漏れる暖炉の橙色の光が、秋の闇に混ざり合う。
あの光の正体は、まだわからない。
だが——明日から、わからないことが増える。
それは悪いことではない気がした。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第22話「師匠に『お前の周りの人間を効率で測るな』と言われて反論できなかった件」。
この話はアーク2のテーマが凝縮された回です。グレンがかつての弟子ルーカスの話を通じて語る「効率だけを追い求めると、大事なものを見落とす」という警告。レンが反論できなかったのは、前世で全く同じ失敗をしているからです。恋人に「あなたといても効率が悪い」と言って振られた男が、異世界でも同じ道を歩きかけている。
グレンの「手の温もり」、ヴォルフの「剣の形をした鉄」、エルナの「機械じゃ、味が出ない」——全員が違う言葉で同じことを言っている、とレンが気づくシーンが個人的にはお気に入りです。答えはまだ出ない。でも「わからないということがわかった」。前世の自分は、それすらわからなかった。
カイルの「壊滅的だ」も好きなセリフです。人の気持ちに対する壊滅的な鈍感さ。レン本人が「否定はしない」と認めているのが切ない。直し方がわからないと言うレンに、「それを俺に訊くな。俺は脳筋だ」と返すカイル。この二人の関係性、書いていてとても楽しいです。
☆評価・ブクマ・感想をいただけると次話の執筆エンジンが回ります!




