第10話: 素手でダイアウルフに挑んでボコボコにされてた脳筋が『仲間になれ!』と叫んできた件
悲鳴が聞こえた——と思ったら、雄叫びだった。しかも、笑っている。
レンは森の小道で足を止めた。朝の薬草採取ルートの途中。ゴーレムのアダムが淡々と薬草を摘んでいるその横で、森の奥から獣の唸り声と、それを上回る人間の怒声が響いてくる。
「うおおおおお! 食らえぇぇ!」
人間の声だ。しかも楽しそうに聞こえるのは気のせいか。
森の木々は秋の色に染まり始めていた。朝露に濡れた落ち葉が地面を覆っている。そんな穏やかな秋の朝に、およそ似つかわしくない怒声が木々の間を突き抜けてくる。
「アダム、停止。音源の方向を特定」
『南南西、約二百メートル。生体反応二つ。一つは人間、一つは——魔獣反応』
レンは舌打ちした。最近、村の外れの森で大型の魔獣が出没しているという話は聞いていた。村長が注意喚起の手紙を回覧していたし、猟師のおじさんが「でかい爪痕を見た」と酒場で語っていた。
「行くぞ。走れ」
『了解。走行モード』
アダムの土の脚が地面を蹴り、レンはその背中にしがみつく。木々の間を抜け、藪を突っ切り——
開けた場所に出た瞬間、レンは目を疑った。
灰色の毛皮、馬ほどもある巨体。血に濡れた牙が朝日を弾く。前脚の爪は短剣ほどの長さがあり、その一振りで若木が断ち割られていた。オオカミ型の魔獣——辺境では「ダイアウルフ」と呼ばれる中級魔獣。通常の冒険者なら四、五人がかりで挑む相手だ。
その魔獣の前に、金髪の青年が——
カイルだった。先月「冒険者になる」と宣言して村を出ていった、あの男。
立っているのがやっとだった。身長百八十五センチの大柄な体。革鎧を着ているが、左の脇腹が爪で抉られ、赤黒い血が地面に滴っている。剣は足元に転がっていた。刀身が半ばから折れている。
つまり素手だ。
ダイアウルフが低く唸り、地面を蹴った。灰色の弾丸が青年に迫る。
青年は横に跳んだ——が、踏み込んだ右脚が崩れた。足首を噛まれた跡がある。着地が一瞬遅れ、ダイアウルフの牙が肩口を掠めた。革鎧が裂け、新しい血が吹く。
「っしゃあ! 来いよデカブツ!」
それでも青年は両腕を広げ、ダイアウルフに向かって構えた。顔は傷だらけ、革鎧は半壊。脇腹からの出血が止まらない。あと一撃——牙が腹に入れば、臓腑を持っていかれる。
なのに——笑っていた。
血が顎を伝い、汗が目に入っているはずなのに、口元が弧を描いている。歯を見せて、まるで祭りの最中みたいに。
レンは一瞬、息を忘れた。
前世で——こんなふうに笑える人間がいただろうか。追い詰められて、ボロボロで、それでも笑っている。少なくとも、深夜のサーバールームで障害対応していた時の自分は、笑ってなどいなかった。
「……何やってんだあいつ」
レンの口から、溜息混じりの感想が漏れた。
ダイアウルフが跳んだ。今度は本気の殺意だった。巨体が宙を舞い、鋭い牙が青年の喉を狙って突っ込んでくる。
時間が、引き伸ばされた。牙の先端が朝日に光る。喉仏まで、あと一歩。青年の目は——それでも、笑っていた。
あの傷だらけの脚では、もう避けられない。
「アダム! 防御!」
『了解。戦闘モード——建築用魔法陣から切替』
アダムの体表に刻まれた魔法陣の紋様が、淡い緑から灼熱の赤に変わった。薬草摘みに使っていた精密動作の回路が、一瞬で戦闘仕様に再構成される。
土の腕がダイアウルフの牙の前に割り込んだ。牙が魔力で硬化した表面に食い込み、鈍い音が響く。衝撃で地面が揺れ、木の葉が舞い散った。
ダイアウルフが怯む。
レンは即座にプロンプトを走らせた。テキスト生成——拘束術式。空中にレンの指先から放射状に魔法陣が展開し、幾何学模様の光が地面に焼きついていく。光の鎖が地を走り、ダイアウルフの四肢を一本ずつ絡め取った。
「アダム、押し返せ!」
ゴーレムの拳がダイアウルフの横腹に叩き込まれた。魔獣が吹き飛び、木に激突する。拘束の鎖が締まり、動きが止まった。
静寂。
秋の鳥が、おずおずと鳴き始める。
レンは額の汗を拭い、ようやく呼吸を整えた。中級魔獣との戦闘は初めてだ。心臓がまだ暴れている。
「……大丈夫か?」
レンがカイルに声をかけた。
青年は地面に座り込んでいた。脇腹の傷を片手で押さえながら、もう片方の手で膝を叩き——
「すっげえ!」
立ち上がった。目が輝いている。血だらけなのに、満面の笑み。
「レン!? お前、今の何だ!? 石の巨人が殴って、光の鎖が出て、ドカーンって!」
「えっと……ゴーレムと拘束魔法陣の連携で——」
「すっげえ!」
聞いていない。村にいた頃と全く変わっていない。
カイルはレンの手を両手で掴み、上下にぶんぶん振った。握力がすさまじい。手が潰れるかと思った。
「レン! お前すげえな! 俺の仲間になれ!」
「……再会三十秒で仲間はおかしいだろ」
「おかしくない! 強い奴と組む! それが冒険者だ!」
カイルの青い目が、真っ直ぐにレンを見ている。あの村にいた頃と同じ目だ。目の前の現象をそのまま受け取り、そのまま口に出す——前世でいうなら、入力と出力の間にフィルタリング処理がゼロの人間。
つまり、脳筋だ。
「それより、なんで素手で魔獣と戦ってたんだ」
「剣が折れた」
「折れる前に逃げろ」
「逃げるのは性に合わん!」
レンは頭を抱えた。
***
事情を聞くと、カイルは先月ブレンネルの冒険者ギルドに登録したらしい。
「家を継ぐのは兄貴たちだからな。俺は冒険者になって一旗揚げる! って言って出てっただろ」
「それは覚えてる。で、なんでこんな森の奥に一人で?」
「ギルドで受けた依頼だ。『森のオオカミ型魔獣を討伐せよ』。報酬は銀マナ五枚」
銀マナ五枚——パンが五百個買える金額だ。農家の三男だったカイルにとっては大金だろう。一番近い冒険者ギルドがあるブレンネルから、わざわざ遠征してきたらしい。
「それ、パーティ向けの依頼じゃないのか」
「難しいことはわからん! やれるかやれないかだ!」
やれなかったから剣を折って素手で殴りかかっていたのだが、本人にその自覚はないらしい。
「ちなみに、ダイアウルフは中級魔獣だ。通常は冒険者が四、五人でパーティを組んで対処する。防御担当が盾で牙を受け、後衛が魔法で動きを封じ、前衛が急所を——」
「つまり?」
「……一人で挑むな」
「おう! 次はお前と二人だ!」
それは一人ではないが、二人でも足りない。
レンは意識を内側に向け、イグニスとの念話回線を開いた。頭の中に、精霊の意識がぼんやりと灯る。
(こいつ、どう思う)
(馬鹿だな)
(それは見ればわかる)
(だが——筋は悪くない。ダイアウルフに素手で向かって、死なずに済んでいた。普通の人間なら一撃で終わっている)
イグニスの評価は的確だった。あれだけの傷を負いながら致命傷は一つもない。本能的に急所を守り、ダメージを分散している——天然の戦闘センスだ。
「なあレン、お前のその石の巨人、名前は?」
「アダム」
「アダム! いい名前だ! お前強いな!」
カイルがアダムの土の脚を叩いた。アダムは無反応。
「おーい、聞いてるか?」
『聞いています。しかし、あなたへの応答は管理者権限外です』
「管理者? 何だそれ」
「俺の許可がないとアダムは他人と会話できない。安全のための仕組みだ」
「難しいことはわからん!」
二回目だった。
レンは溜息をついた。仕様書を読まない、マニュアルを無視する、でも現場では誰よりも頼りになる——前世にもそういう人間はいた。嫌いではない。
「カイル、一つ聞いていいか」
「おう!」
「俺の魔法の仕組みを説明する。長くなるが聞いてくれ」
「おう!」
「俺のスキル【生成AI】は、テキストや画像、動画などの情報を自動生成する能力で、魔法陣のコード化によって従来の詠唱を省略し、さらに精霊とのプロトコル接続を通じて——」
「つまり?」
「……魔法で殴る」
「よし、わかった!」
レンは目を閉じた。
驚くべきことに——通じた。
三分かけて組み立てた説明が、「つまり?」一言で五文字に化けた。合ってるのが悔しい。一番厄介で、一番頼りになるタイプだ。
「レン、俺たち組もう。お前が魔法で殴る。俺が剣で殴る。完璧だ」
「完璧ではない。お前の剣は折れてるだろ」
「細かいことは——」
「気にしろ」
カイルが笑った。大きな声で、森に響くくらい豪快に。赤く色づき始めた木々の間を、その笑い声が突き抜けていった。
「お前、面白いな!」
レンは苦笑した。面白いのはお前のほうだ。
***
村に戻ると、エルナがパン工房の前で洗い物をしていた。
レンの隣を歩く血だらけのカイルを見て、手が止まる。
「……カイル? あんた、冒険者になるって出てったんじゃ——なんでボロボロなの」
「エルナちゃん! 久しぶりだな! レンの仲間になった!」
「なってない。勝手に名乗るな」
「細かいことは気にするな!」
エルナがレンを見た。説明を求める目。
「森で魔獣に素手で挑んでた。助けたらこうなった」
「素手!? あんた馬鹿なの!?」
「よく言われる!」
論理が破綻しているが、カイルの青い目は本気だった。
「はあ……。座りなさい」
エルナがカイルに椅子を差し出した。水を汲んできて、布で傷の手当てを始める。手慣れた動きだった。
「いてて!」
「動かない」
「エルナちゃん相変わらず手際いいな!」
「あんたが相変わらず怪我してるだけでしょ」
カイルは誰にでもこうなのだ。距離感がゼロ。
エルナが傷に薬草を塗りながら、レンに視線を送った。
(こいつ何?)
目が語っている。
レンは肩をすくめた。
(俺にもわからない)
「腹減った!」
カイルが突然叫んだ。
「戦ったら腹が減る! 食う! 寝る! 戦う! これが人生だ!」
エルナが呆れた顔でパンを一つ差し出した。焼きたてのライ麦パン。工房の窓からパンの香ばしい匂いが漂っている。
カイルが一口でかぶりついた。
「うめえ!」
目が見開かれる。もう一口。三口で一つのパンが消えた。
「エルナちゃん、これすげえうまい! もう一個くれ!」
「……あんた、味わって食べなさいよ」
エルナはもう一つパンを渡した。顔は呆れているが、口元が少し緩んでいる。自分のパンを「うまい」と言われて嬉しくない作り手はいない。
カイルが二個目のパンをかじりながら、幸せそうに目を細めた。
エルナがその様子を見て、レンにちらりと視線を送った。
——あんたもこのくらい素直にうまいって言いなさいよ。
目がそう語っている。
レンは目を逸らした。いつも「ありがとう」とは言っている。だがカイルのように全身で「うまい」を表現する能力は、残念ながら前世でも今世でも実装されていない。
エルナの口元が、ほんの少しだけ上がった。
「なあレン」
カイルが口の中のパンを飲み込んで言った。
「何だ」
「あの魔物——ダイアウルフだっけ。あいつ、最近増えてるんだよ」
レンの手が止まった。
「増えてる?」
「おう。冒険者ギルドの依頼で来たって言っただろ。あの依頼、先月は出てなかった。先々月もない。最近になって急に、この辺りで魔獣の目撃情報が増えてるんだ」
「それは——」
「俺は一人じゃ無理だった」
カイルの声から、ふざけた調子が消えていた。
パンを食べる手を止め、真っ直ぐにレンを見ている。さっきまで三口でパンを食い尽くしていた男と同じ人間とは思えない、静かな目だった。
レンは、カイルの青い瞳を見返した。
一人じゃ無理だった。
その一言が、喉の奥に引っかかった。
前世で、深夜二時にサーバーが落ちた。画面の赤いアラートだけが点滅する部屋で、一人でログを追いかけていた。あの夜、隣に誰かがいてくれたら——
レンは無意識に拳を握っていた。一人じゃ無理だった。その言葉を、前世の自分にも聞かせてやりたかった。
「森の奥——もっと深いところに、何かある気がする。魔獣があんなに興奮してるのは、普通じゃない」
バカだと思っていた。だが——今の言葉は、カイルが体で感じた一次情報だ。
前世の経験則がある。データ分析で出てこない異常は、現場の「なんかおかしい」が最初に捉える。
レンは念話回線を通じて、イグニスに合図を送った。——出てこい。こいつに見せたほうが早い。
「……イグニス」
声に出して呼ぶと、カイルの横の空気が揺らめいた。熱が凝縮するように光が集まり、イグニスが炎の球体から人型へと形を変える。赤い髪、金色の瞳。秋の日差しの中で、精霊の体が陽炎のように揺らめいた。
「呼んだか」
カイルが椅子から飛び上がった。
「うおっ!? 何だお前! いきなり出てきた! 熱ッ!?」
「この俺様は火の精霊イグニスだ。いきなりも何もない。ずっとここにいた。近づくな、焦げるぞ」
「火の精霊!? すっげえ! お前も強いのか!?」
「火の精霊たる者が、お前のような筋肉ダルマに品定めされる筋合いはない」
「でも強そうだ! いい目してる!」
イグニスが一瞬、面食らった顔をした。数百年の精霊人生で、人間にここまで無遠慮に品評されることは初めてだったのだろう。
「……変な人間だな」
「よく言われる!」
「ふん。嫌いではないがな」
カイルは誰に対しても同じだ。ゴーレムだろうが精霊だろうが、目の前にいるものをそのまま受け入れる。
「イグニス、この辺りの魔獣の活動パターン、何か変化は感じてるか」
イグニスが腕を組んだ。
「……二週間前から、火の精霊力の流れが変わっている。地下から何かが噴き上がっている感覚がある。詳しいことはわからんが」
「地下」
「ああ。森の奥——もっと深い場所からだ」
カイルとイグニスの言葉が一致した。
脳筋の直感と、精霊の知覚。まったく別の方法で、同じ異常を捉えている。
レンは森の方を見た。紅葉の美しさの奥に、何かが潜んでいる。
「カイル」
「おう」
「仲間かどうかは保留だ。だが——一緒に調べる価値はある」
カイルの顔が、ぱっと明るくなった。
「よっしゃ!」
「ただし条件がある」
「何でも言え!」
「素手で魔獣に挑むな。剣は俺が用意する」
「お前、剣も作れるのか!?」
「ゴーレムに鍛造させる。品質は……保証しないが」
「すげえ! お前はすげえ!」
カイルがレンの背中をばんと叩いた。レンが前のめりによろけた。
「あんたら、うるさい」
エルナが工房の中からそう言った。だが、窓越しに見えたその横顔は——少しだけ笑っていた。
イグニスが小さく呟いた。
「……騒がしくなるな」
「ああ。騒がしくなる」
レンは森の奥を見つめた。
魔獣の増加。地下からの異常な精霊力の流れ。そして——ゴーレムのアダムだけでは対処できない何かが、この森の奥に潜んでいるかもしれない。
一人では無理だ。
前世でも、最も難しいバグは一人では解けなかった。サーバールームの火災で死んだ夜、誰にも助けを求められなかった。
この世界で、同じ死に方はしたくない。
エンジニアと脳筋——これ以上のミスマッチもないが、これ以上の補完もない。
「カイル」
「おう!」
「とりあえず今日は休め。明日、森の調査に行く」
「了解! で、飯は?」
「……エルナに聞いてくれ」
「エルナちゃーん! パンもう一個!」
「あんた何個食べるの!?」
レンは空を見上げた。
秋の空は高く澄んでいる。薄い雲が、冷たい風に流されてゆっくりと動いていた。
辺境の村に、冒険者になって帰ってきた男がいる。一人目の仲間——かもしれない。
そして森の奥には、まだ名前のない異変が眠っている。
風が変わった。秋の匂いの奥に——焦げた土の匂いが、微かに混じっていた。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第10話「素手でダイアウルフに挑んでボコボコにされてた脳筋が『仲間になれ!』と叫んできた件」。
カイル再登場回です。村を飛び出した脳筋が、再会三十秒で「仲間になれ!」と叫ぶ。レンの「フラグが早すぎる」というツッコミが書けた瞬間、「ああ、この二人は面白いコンビになる」と確信しました。
カイルは「入力と出力の間にフィルタリング処理がゼロの人間」です。仕様書を読まない、マニュアルを無視する、でも現場では誰よりも頼りになる。エンジニアの周りに必ず一人はいる「あの人」です。三分かけて説明しようとしたことを「つまり?」一言で圧縮させる。要約させられたのはレンのほうなのに、それで全部通じている。
お気に入りのシーンは、カイルが「俺は一人じゃ無理だった」と静かに言う場面です。さっきまで三口でパンを食い尽くしていた男と同じ人間とは思えない、あの切り替え。レンが前世の深夜のサーバールームを思い出すのは、「一人じゃ無理」という言葉が、前世で言えなかった自分自身への問いかけだからです。
エンジニアと脳筋——これ以上のミスマッチもないけれど、これ以上の補完もない。凸凹コンビの冒険が始まります。
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