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第2話

なぜ俺が、この仕事に呼ばれたのか。

正直、最初は分からなかった。


俺が奴隷商いを嫌っていることは、界隈じゃ有名だ。

鎖を引くくらいなら、自分の手を切り落とす――そういう人間だってことも。


それでも声がかかった。


彼女に会って、ようやく納得した。


俺の役目は、引き渡すことじゃない。

生かして、辿り着かせることだった。


彼女は縛られていない。

無理やり連れてこられてもいない。


自分の足で、前に進んでいる。

それが「義務」だと、信じ込んで。


――よほどの大馬鹿か。

――さもなきゃ、王国一行儀のいい箱入り猫だ。


胸を張って、自分から檻に入るつもりらしい


俺は振り返った


アリステル・フォン・フリルグレイブ。

ネコ人族。

フェンサー。

そして――とびきり面倒な貴族令嬢。


若い。

法の上で


それでも、立ち姿は一丁前だった。

顎を上げ、腕を組み、鋭い睨みで不安を塗り潰している。

苛立ちを隠しきれない耳が、ぴくりと動いた。


人生は残酷だ。

その中でも、俺が彼女をアルデルヴァルへ連れていく役だなんて、最悪に近い。


東方最大の奴隷市場。

金が尽きれば、王族だって例外じゃない。


「なあ。ここから先は、引き返した方がいい」


俺は軽く言った。

「金はもう受け取ってる。人なんて、いくらでも消える」


「……ふん」


鼻を鳴らす音が、わずかに揺れた。

それを、彼女はすぐに飲み込む。


アリステルは逃げない。

魔物からも、奴隷商からも、雨からも。


誇りだけが、彼女の最後の鎧だった。


運が良ければ、護衛として買われる。

フェンサーは対人戦に向いている。

敵が多くて疑り深い貴族には、ちょうどいい。


次点は闘技場。

血と暴力の世界だが、少なくとも立って死ねる。


――だが、一番あり得るのは、もっと最悪だ。


奴隷に求められる役割は、いつだって一つ。

若さは、それをより残酷にする。


俺は視線を落とした。


濡れた外套が肌に張りつき、

細い腰の線をなぞり、丸みを帯びた尻尾の付け根へと水が落ちていく。


子供じゃない。

だが、自分がどれだけ若いかを、思い知らされる年頃だ。


雨に貼りついた黒髪。

ガラスみたいに鋭い目。

鏡のように磨かれたレイピア。


抜く必要がないから、抜いていない。


フェンサーの強みは、同時に弱点でもある。

牙と爪には、受け流しも弾きも通じない。


それでも彼女は、

言葉なら剣より強いと思っているらしい。


俺の視線に気づき、彼女は外套を引き寄せた。

慎みのためじゃない。


――自分がどう見られるか、分かっているからだ。


顎をさらに上げ、仮面を被り直す。


怖くないはずがない。

それでも、俺は信じたかった。


「前を見なさい、年寄り」


彼女は俺を見ずに言った。

「城壁の外の連中は、狼より噛みつくわ。

穢れた肉で、色ボケ赤魔導士が喉を詰まらせるのは御免よ」


もっと酷い言葉も聞いてきた。

大抵、次の奇襲で死んだ貴族からだ。


「失礼、令嬢」


俺は肩をすくめる。

「アルデルヴァルまで無事にお連れする契約でして。

積み荷に傷がないか、確認していただけですよ」


「積み荷、ですって?」


彼女は眉を吊り上げた。

「私を荷物扱い?」


「よく吠える。丁寧に詰めないと壊れる。

……扱いにくい荷物だ」


彼女は鼻で笑い、庇の外へ出た。

水たまりを踏みながら死体へ近づく。


足先で一匹を蹴っても、顔色一つ変えない。

だが、尻尾はきつく丸まっていた。


「赤魔導士って、後ろで補助魔法を投げるものだと思ってたわ。

自分の足元も見えないかと」


俺は革の防具を洗いながら答える。

「安心しな。次はちゃんと、君の自尊心も回復してやる」


赤魔導士に、仕事を選ぶ権利はない。

投げられた残飯を掴むだけだ。


今回は――

売られるまで生き延びる方法を、貴族に教える仕事らしい。


彼女は分かっていない。

だからついでに、

くしゃみ一つで殺されかねない相手への態度も教える必要がある。


「……こんな年寄りの視界に入っていろだなんて」


歯を見せるような口調。


「男は老けない」


俺は刃を拭きながら言った。

「経験を積むだけだ」


彼女は口元を押さえ、

「オーッホッホッホ!」

と、わざとらしく笑った。


「その経験とやらで、逃がしたのが一匹いたようだけど?」


俺は背後を示す。

眉間に短剣を突き立てられた死体。


「……あら。

可愛らしい芸ですこと。田舎臭いけど」


俺はナイフを抜き取り、獣を持ち上げた。


「実地講習だ」


刃先で示す。

「脚と肩甲骨の間。動きを殺せる。

攻撃中なら、避けろ。正解を当てても、勢いは消えない」


彼女は見ていた。

じっと。

必要になると分かっているものを見る目で。


「次はここ」


肋骨の間を示す。

「痛みで、意志を折る」


気づいた時には、彼女は身を乗り出していた。


「それは――」


言いかけて、止まる。

背筋を伸ばし、仮面を戻す。


「……そんな下等な獣に触れる気はありません」


はいはい。


俺は聞かなかったことにする。

覚えようとしている理由も、分からないふりをする。


「四足の獣相手なら、大抵は通じる」


飲み込んだ質問への、答えだけを置いた。


「ふん」


彼女は興味を踏み潰すように踵を返す。

廃れた宿へ向かい、

尻尾が不安を隠しきれず、小さく揺れた。

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