6、死にぞこないは拾われた
「やあ……生きてる? お嬢さん。あ、失礼。お坊ちゃんだったね」
仰向けに倒れたヨハンの視界を、一人の男の影が遮った。
現れたのは、眼鏡を光らせた怪しげな男。
月光を背負い、場違いなほど端正な身なりをしている。
眼鏡の奥の瞳は、珍品を見つけたような好奇心を宿していた。
ヨハンは反射的に血に濡れたナイフを握り直そうとした。だが指先には感覚がなく、銀の刃は虚しく地面に転がった。
「……うせろ……」
「おっと、思ったより元気だね。口の周りを血だらけにして……ああ、野兎を“生”で食ったのか。その野性。実に醜悪だ」
散らばる兎の残骸を見て、男は屈み込み、ヨハンの顔を覗き込む。
手袋を嵌めた指が、唇に残った生血をぬるりと撫でた。
ヨハンは噛みつこうとしたが、男はひょいと手を引き、愉快そうに肩を揺らした。
「もう間に合わないかと思っていたけれど……想定より生命力は強そうだね。フォークスの血も、泥水に浸かって形無しだ」
「……な……んだよ……あんた……」
「俺? 君の兄君が手配した“家庭教師”だよ。死体ならそのまま埋めて帰るつもりだったけれど」
シードと名乗った男は懐から銀の水筒を取り出し、ヨハンの唇に押し当てた。
冷たい水が喉を通る。
泥水とは違う、透き通った水の味。
「……っ、げほっ……!」
「慌てなくていい。……話は聞いているよ、ヨハン・フォークス。宝石を盗み、王太子に捨てられ、家族からも放り出された白粉人形」
一拍置き、シードは獲物を鑑定するように目を細めた。
「……でも今の君は、人形というより腹を空かせた野良犬だね」
シードが手を差し伸べる。
(……なんなんだ、こいつ)
屈辱と不審感に、ヨハンは泥まみれの顔を歪め、手を払った。
「……殺すなら、今がチャンスだぞ」
「殺さないよ。このまま放っておいても死ぬだろ?」
シードの手がヨハンの脇に差し込まれた。
「な……やめろ! 触るな!」
「暴れないで。落っことして首の骨を折れば終わりだ。いいじゃないか。君は生きたい。俺は君という“素材”に興味がある。利害は一致している」
軽々と抱え上げられ、森の奥へ運ばれていく。
「……どこへ、連れて行く気……」
「僕の隠れ家。医術の心得もあるし、着替えもある。おしろいが欲しければ買ってあげるよ。……君の肌は、死人のように白い方が映える」
「……ふざけるな……」
毒づきながらも、男の体温は凍えた身体を溶かし、数日の疲労が一気に押し寄せる。
意識が混濁する中、ヨハンは見た。
眼鏡の奥で光る瞳を。
それは人間を見る目ではない。値打ちを測る“宝石”を見る目だった。
豚。人形。宝石。
どこへ行っても、自分を一個の人間として見る者はいない。
(……それでも)
カトラを救い出し、あの二人を地獄へ叩き落とせるなら。
この男の指先が悪魔の爪であっても、今は喉元に食らいついて生き延びてやる。
腕の中の少年が眠りに落ちたのを確認し、シードは小さく笑った。
「想定より面白いな。君の兄上は、いい素材をよこしてくれた」
その声はヨハンの夢の境界をかすめ、答えを求める間もなく夜の森に溶けた。
――この日、ヨハンは復讐の道具になることを選んだ




