2、虚飾を喰らう断罪の食卓
公爵邸の前で馬車の扉が開かれた。
オーガスティンに襟首を掴まれ、引きずり出されたヨハンは、震えながら屋敷の門をくぐる。
そこには、家長である父、アルマン・フォークスが、彫像のように厳格な面持ちで立っていた。
「父様……っ、あ、あの、僕は……」
「黙れ、ヨハン。……もはやかける言葉もない。オーガスティン、シエロ。その……『阿呆』を、食堂へ連れて行け。……カトラ、準備はいいか」
暗がりの奥から、一人のメイドがなんの表情もなく姿を現す。
彼女の、黒曜石のような、鋭い瞳がヨハンを突き刺した。
カトラと呼ばれたメイドは無造作に、肩にかかる黒髪を紐できつく締め直した。
「ええ。油の温度は、ちょうど適温となっております」
「油……? 何……ひっ! やめて!離してよオーガスティン兄様!」
ヨハンの叫びは聞き入れられることなく、そのまま、担ぎ上げられ、どさりと食堂の床へ放り出された。
そこで彼の目に飛び込んできたのは、煌びやかな晩餐ではなく、大きな鉄鍋が鎮座する異様な光景。
「さて。坊ちゃん。……その、全身にぶら下げた『ガラクタ』をすべて出しなさい」
「え、何?なんなの?僕の宝石達、
なにする気?」
ヨハンが震える手で宝飾品を庇うが、カトラの冷徹な作業は止まらない。彼女はヨハンから奪い取った指輪、ネックレス、ブローチを、事も無げにボウルへと放り込んだ。
「虚飾を愛し、家を泥に塗った罰です。宝石を身に着けるのがお好きなら、いっそ血肉になさってね」
カトラは淀みのない動作で、最高級のサファイアやルビーに小麦粉をまぶし、溶き卵を潜らせた。そして、たっぷりとしたパン粉を纏わせると、容赦なく煮え繰り返る油の中へ投入した。
――シュワアアアッ!
「あ、あああ……っ! 僕の、僕の宝石がぁ!!」
ヨハンは床に崩れ落ち、喉が枯れるほど号泣する。
揚がっていくのは、王太子の婚約者という虚栄の象徴。
ほどよくきつね色に色づいた「宝石のフライ」が、テーブルに着席したヨハンの前の皿にうず高く積み上げられていく。
「さあ、本日の晩餐でございます。一つ残らず召し上がれ」
「……こ、こんなの、食べられるわけないじゃないか! 歯が砕けてしまう……!」
カトラの低い声が響く。
「これこそが、あなたが今まで周囲に押し付けてきた『傲慢の塊』です。飲み込めないというなら、私が無理やりにでも喉の奥へ押し込んで差し上げましょうか?」
逃げ場はなかった。背後には腕組みをした兄たちが、後ろで冷たい壁のように立っている。
ヨハンは涙と化粧で顔をぐちゃぐちゃにしながら、黄金色の衣を纏ったサファイアに、震える手を伸ばした。
「……宝石そのものを食えとは申しません。ですが、この『衣』は、私があなたのために練り上げたもの。……ナイフを使いなさい。衣だけを剥がし、中身の石を傷つけることなく、それだけを食すのです」
ヨハンの指先がガチガチと音を立てる。
「えっ……皮だけ? そんな、できるわけ……」
「お母様の顔色を伺うように剥ぎなさい。その無様な手つきこそが、あなたの人生そのものです」
ヨハンは、必死でナイフを動かした。宝石に刃が当たり、嫌な音を立てるたびに、背後の兄たちの視線が突き刺さる。
ようやく剥がし取った一欠片の衣を、おそるおそる口に運んだ。
「……。ねえ、カトラ。この衣、なんだか味がないよ。いつもよりずっと……素っ気ない味がする」
「ええ、あえて塩は一匙も入れておりませんから。」
「どうして……。こんなの、ただの油の塊じゃないか……」
ポロポロと涙がこぼれ、皿の上の衣に染み込んでいく。
「坊ちゃんのその無価値な涙で、ちょうど良い塩加減になる計算です。」
「……っ!」
「さあ、自分の惨めさを噛み締めて、さっさと、食え、なさい。自分が流した涙のしょっぱさで、好きなだけ味付けしてくださいね」
冷徹なカトラの言葉に、ヨハンは涙の染みた衣を、嘔吐感を堪えながら飲み込んだ。
「……うっう。……本当に、ちょうどいい。……今まで食べたどんな食事よりも、ずっと味がするよ、カトラ……。」
元々食が細く、甘やかされて育った彼には過酷な食事。
金髪はざんばらに乱れ、唇は油と涙で汚れ、喉を鳴らして衣を啜るその姿に、兄たちは目を背けながらも、形容しがたい戦慄を覚えた。
だが、その沈黙を切り裂いたのは、父アルマンの氷のような声だった。
「宝石の味はしたか、ヨハン。……いや、もはや貴様をその名で呼ぶことすら、私の口が拒絶している」
食堂に入ってきた父に、ヨハンが震えながら顔を上げると、父は虫ケラを見るような蔑みを隠そうともせず、言葉を継いだ。
「明日、貴様を北の果て、辺境の廃屋へ放り出す。期間は一年だ。……フォークスの名は名乗るな。貴族としての特権、資産、人脈。そのすべてを今、この場で剥奪する」
「えっ……父様? 一年……? 一人で行くの? 僕、そんなところでどうやって……」
「知ったことか!」
アルマンの怒号が食堂の壁を震わせた。ヨハンは短く悲鳴を上げ、椅子から転げ落ちる。
「貴様に与えるのは、一年、ボロ屋だけだ。そこで野垂れ死のうが、飢えた狼に食われようが、もはや我が家には関係のないこと。……むしろ、フォークスの血を引く無能が、雪に埋もれて消えてくれるのなら、私にとっては好都合だ」
アルマンは冷徹に言い捨て、ヨハンが縋り付こうとした手を、汚いものを見るように避けた。
「死にたくなくば、泥を啜って生きてみろ。その根性が貴様にあるのならな。……一年後、もし奇跡的に息をしていたなら、その時、貴様を『人間』として扱うべきか考えてやる」
吐き捨てると、アルマンは振り返ることなく、食堂を後にした。
残されたのは、豪華なシャンデリアの下、揚げた宝石の残骸を前に、本当の孤独に突き落とされた少年の嗚咽だけだった。




