13、粘り勝ちの作法
シードは眉間に皺を寄せて、小さく溜息をついた。
その日、隠れ家の台所には、これまでの人生でシードが一度も嗅いだことのない、異臭が立ち込めていた。
シードは鼻を布で覆い、椅子ごと暖炉の端まで後退して、キッチンで真剣な表情を浮かべる主従を睨みつけた。
「……ねえ、ヨハン。君は爆薬の調合を間違えたのかい? それとも、ついに俺を毒殺することに決めたのかな? もしそうなら、もっとエレガントな毒を選んでほしいね」
ヨハンはシードの皮肉を気にする様子もなく、藁で包まれた「何か」を丁寧に解いていた。
「失礼ですね。これは私たちが三日前から温度管理をし、手塩にかけて育てた『成果』です」
カトラが、誇らしげに言った。ヨハンは満足げに頷き、藁の中から現れた、白い糸を引く茶色の豆を小鉢に盛った。
「シード、見て。カトラに教わったんだ。藁の菌を使って、豆を『発酵』させるんだよ。これ、すごく身体にいいんだって」
ヨハンが差し出したのは、鋭い異臭を放つ、「糸引く豆」だった。
「……発酵? 腐敗の間違いだろう?ヨハン、君の手は、王宮の秘密を暴き、敵の喉を掻き切るためのものだ。豆を腐らせて糸を引かせる実……」
「シード、出来たよ」
ヨハンは小鉢をシードの目の前に突きつけた。
「カトラが『食べることは生きること。自分の食べるものを自分で管理できない者に、復讐する資格はない』って。さあ、食べて。僕が初めて作ったんだ」
「…………」
シードは絶句した。
自分が教えた「支配」や「知略」という概念より、ヨハンはカトラの「料理」に夢中のようだ。
「坊ちゃん。まずはしっかり混ぜるのが基本です。糸を強く、太く。それが粘り強さ、ひいては復讐への執念です」
「分かった、カトラ」
ヨハンが真剣な顔で納豆を激しくかき混ぜる。糸が空気を巻き込み、白く泡立ち、隠れ家中の異臭がさらに倍増された。
「……やめてくれ。その『ネバネバ』したものを俺の視界に入れないでくれ……」
「はい、シード。食べてみて」
「拒否する」
「詐欺師先生、先生は体作りが大事って言ってたじゃないか。この豆は筋肉を作りやすい体にするための有能な食品だってカトラが言ってるんだ』
ヨハンは唇を三日月のように吊り上げた。
「それにこの味、脳を活性化させるような気がするよね。……つまりこれは、『醜悪な外見に、至高の力を隠した毒薬』そう思うと、物凄く魅力的に見えてこない?」
その語彙の選定、声音のコントロール、そして相手の矜持を挑発する交渉術。
シードは、部屋の隅で満足げに頷くカトラを見た。
これは家事の延長ではない。
言葉一つで王都を踊らせるための「交渉の実習」なのだ。
「…………そこまで言うなら、君の『自立』の味を確認してあげようじゃないか」
シードは死を決意した兵士のような顔で、箸(カトラ特製)を手に取った。
糸を引く豆が、シードの唇に近づく。
パクり、とそれを口に含んだ瞬間。
「…………っ!!」
シードの脳内を、強烈なアンモニア臭と、経験したことのない旨味、そして何より「口の周りにまとわりつく不自由な糸」がまとわりついた。
「……どう? シード」
ヨハンが期待に満ちた目で覗き込む。
シードは口を動かすたびに糸を引き、眼鏡が曇るのも構わず、震える声で答えた。
「……ひどい味だ。泥水を煮詰めて、執念を混ぜ合わせたような味がする。……だが、君の言う通りだ。この……まとわりついて離れない不快な粘り気。これこそが、今のフォークス家に必要な『しぶとさ』かもしれないね」
シードは口の周りを糸でベタベタにしながら、くつくつと笑ったが様にならない。
「……でも、明日の朝食にこれが出てきたら、俺は君を破門するよ」
「あら、明日の朝食は『糸引く豆』と『生卵』『川魚の煮付け』です。三日前から決まってますので変更はありません」
カトラがさらりと告げると、シードはメイドに何度目かの敗北感を味わった。
ヨハンはなんの疑問もなく、豆の糸を力強く引き、自分の料理レシピに作り方を書き加えた
――復讐も、これくらいしぶとく、何重にも糸を引こう。
その横顔に、かつての公爵家三男としての儚さはなかった。シードは、ネバネバとした不快な糸を拭いながら、眼鏡の奥で冷徹に笑った。




