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宝石は油で揚げ、涙で味付けしてから「食え」なさい。無様な悪役令息は今日もスパルタメイドに殺されない  作者: 怒れる布団


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12、解体新書

森の小屋へと戻った三人は、湿った土と血の匂いをまとったまま、扉を押し開けた。


その瞬間――

カトラの、唯一残された左目が、すっと細められた。


「……何ですか、この、ネズミの巣のような光景は」


カトラの低い、地を這うような声に、シードは肩を震わせた。


そこにあったのは、泥だらけのブーツで歩き回った跡が幾重にも重なる木目が見えない床。


食べ残しのパンの屑と、そのままのスープ皿。


湿った毛布はくしゃくしゃに丸まり、隅にはシードが脱ぎ捨てらしいシャツが放置されている。


「いやぁ、レディ。最初は綺麗にしてたんだけど、まあ、、男世帯なんてこんなものだよ。……生存に必要ない手間は省く、それが合理主義だ」


シードがいつものように飄々と笑う。だが、彼女は無言で、ヨハンの襟元を掴んで引き寄せた。


「先ほどから気になっていましたが、坊ちゃん。襟元に汚れが溜まっています。爪の間は泥だらけ。服からは獣の臭い……。何日風呂に入ってないんです?」


「あ、いや……これには理由が……修行が忙しくて……」


「黙りなさい。……シード。貴方もです」


カトラは腰に下げた剣の鞘で、床に落ちていたシードのシャツを掬い上げ、滅多に使われない洗濯カゴへ放り込んだ。


「掃除、洗濯、風呂、そして食事の作法。これら全て、『人間』としての尊厳を保つための戦いです。それを放棄した者に、王都への復讐を語る資格はありません。まずはこの家を……そして貴方たちの腐った生活を、叩き直して差し上げます」


その夜、森の静寂を破ったのは、カトラに命じられて真夜中まで掃除をさせられる二人の男の声だった。



翌朝、寝るのが遅かったにも関わらずヨハンは太陽が昇る前に寝床から引きずり出された。


カトラが用意したのは、かつての公爵邸で出されていたような華やかな銀食器ではなかったが、白く清潔な布が敷かれ、整えられた「朝食」が用意されていた。


皿の上に並ぶのは、炊き立ての柔らかな穀物、生卵、魚の塩焼き、海藻のサラダ。そして野菜の入ったスープ。


ヨハンは、テーブルの前で立ち尽くした。


「……生卵?」


「はい」


ヨハンは眉を寄せた。

シードの作る朝食はいつも硬い黒パンに食材への冒涜のようなドロドロのスープ。比べてカトラの作った朝食は整っていて、綺麗のだが、見たことのない形式だった。


「……前世は、これが普通だったわ」


カトラがボソリと呟いた。


「え?何か言った?」


「いいえ。それより早く食べてください」


「生卵は、どうするの?」


「新鮮ですから穀物の中へ。味付けは塩です」


ヨハンは、しばらく卵を見つめていたが、やがて恐る恐る殻を割った。

とろりとした黄身が、白い湯気の上に落ちる。

それを混ぜると、穀物が艶を帯びた。

一口。

――柔らかい。

驚くほど優しい味だった。

魚は塩だけで焼かれている。

だが臭みはなく、皮はぱりりと香ばしい。

スープは薄いが、身体の奥に沁みてくる。


「……美味しい」


豪奢な料理はいくらでも知っている。

だが――


そのとき、シードが自分の皿を持ち上げた。


「ふーん。スープって短時間で作れるんだね。いつもはうさぎの臓物と、滋養に富んだ根菜を三時間煮込んで、味覚という非効率な感覚を無視したスープが朝食なんだけど」


ヨハンは死んだような目をして反論した。


「あれはスープじゃない。泥の煮こごりだった」


「言うねえ、お坊ちゃん。作ったこともないくせに」


二人の軽口を、無言で聞いていたカトラが皿を置く。


「では、坊ちゃん、明日から朝食の作り方を、教えます」


「え!料理?僕に出来るの?」


「調理実習この世界にもあればいいのに……。料理が出来れば不味いシードの料理を食べなくてすみますよ」


「やる!」


即答だった。


「では決まりです。今日から一日のスケジュールを再編します」


カトラは淡々と、威圧感をもって告げた。


午前はカトラによる「生存のための家事と護身術」、午後はシードによる「支配のための学問と体力作り」そして三度の食事は、カトラとヨハンが作る。


「ちょっと待った、レディ。僕の『帝王学』の時間を削るつもりかい?」


シードが不服そうに眼鏡のブリッジを押し上げた。


「ヨハンに必要なのは、誰かを跪かせるための言葉と、王家を揺るがす圧倒的な魅力だ。包丁の握り方なんて、僕の合理主義には反するね」


「シード。貴方は先ほど、坊ちゃんを『自分では何も作ったことがない』と揶揄しましたね」


カトラの唯一残された左目が、冷ややかにシードを射抜く。


「坊ちゃんは、今までは、食事を捧げられる事が普通でしたが、これからは違います。自分の食い扶持を自分で稼ぎ、自分の身体を自分で律する。暗殺者が襲ってこようと、王都で孤立無援になろうと、独りで生き抜くための『真の力』をつけていただきます」


ヨハンはその言葉の重みに、思わず息を呑んだ。


シードが教えようとしているのは、他人を操る術。


だが、カトラが教えようとしているのは、自分自身を支配する術だ。


「……やるよ。僕、ジョージに捨てられた時、自分じゃ火すら点けられないことに絶望したんだ。もう二度と、あんな思いはしたくない」


シードは小さく舌打ちをしたが、ヨハンの決意の固さに肩をすくめた。


「……勝手にしなよ。ただし、料理で指を切って、ペンが握れなくなったなんて言い訳は通用しないからね」


その日の昼食から、地獄の実習が始まった。


カトラが用意したのは、森で捕れたばかりの野兎だ。


「さあ、坊ちゃん。まずは皮を剥ぎ、解体します。ここを切れば即死」


「えっ、あ、ここ……?」


「スパッとやってください。無駄に苦しめないで」


カトラの指導は容赦がなかった。包丁の角度、力の入れ方。それは驚くほど、昨夜彼女が野盗の喉を掻き切った時の手際に似ていた。


「関節の隙間に刃を滑り込ませる感覚を覚えてください。これは、鎧の隙間に短剣を突き立てる感覚と同じです。肉を叩き、繊維を断つのは、敵の筋力を奪う打撃と同じです」


ヨハンは血に塗れながら、必死に兎と向き合った。カトラは次の兎を引きずり出し、まな板の上に置いて後ろ脚を押さえ、静かに言った。


「ここです、坊ちゃん。心臓のすぐ上。刃を迷わせなければ、一瞬で終わります」


握りしめた包丁の刃先が、柔らかな毛をかき分け、温かな皮膚に触れる。

兎の黒い目が、こちらを見ていた。

――震えている。


「……ごめん」


思わず、力が緩んだ。

刃は浅く肉を裂いただけだった。

甲高い悲鳴が、森の空気を引き裂く。

兎の身体が激しく跳ねる。血が飛び、ヨハンの頬に温かく張りついた。


「っ……!」


ヨハンは動けなかった。

自分が与えた痛みに、指先が震える。

その瞬間。

カトラの手が、ヨハンの手首ごと包丁を握り直した。

迷いのない動きで、刃を深く押し込む。

ぴたり、と兎の身体が静止した。

森が、何事もなかったかのように静まる。

血に濡れた毛皮から、じわりと温もりが抜けていく。

カトラは兎を見下ろしたまま、静かに言った。


「食べるとは、奪うことです。なんの躊躇もいりません」


ヨハンの中にあの日、生で食らった兎が蘇った。


「……うん。そうだね」


震える声だったが、視線は逸らさなかった。

カトラはほんの僅かに目を細める。

ヨハンの背後から、シードが退屈そうに声をかける。


「非効率だね。魔力で一気に加熱して乾燥肉にすれば五分で済むのに」


「坊ちゃんは魔力がありませんから。……坊ちゃん、火加減は、薪の組み方と空気の通り道で制御するのです。魔力がなくても、道具と知恵さえあれば戦えます」


午後はシードの「支配」実習―― 人心を解体する


一転して午後は、シードがカトラの「泥臭い生存術」を笑うように、優雅な「強者の知略」を叩き込んだ。


「いいかい、ヨハン。カトラの教えは『生き延びる』ためのものだ。だが僕が教えるのは『支配する』ための術だよ。泥を啜って生き永らえても、玉座に手が届かなければ意味がないからね」


シードが広げたのは、王都の貴族たちの家系図と、複雑に絡み合った利権の相関図だった。


「この侯爵は清廉潔白で通っているが、実は愛人の息子に公金を横流ししている。この伯爵夫人は熱心な信徒だが、夜な夜な禁止された占いに耽っている。……ヨハン、君がやるべきは剣を振ることじゃない。彼らの喉元に『秘密』というナイフを突きつけ、君のために動く駒に変えることだ」


ヨハンは戸惑いながらも、シードが暴く「人間の醜い本質」を記憶に刻んでいった。それはカトラの兎の解体と同じくらい、血なまぐさい作業に思えた。


カトラが「毒を避ける生存」を、シードが「毒を盛る支配」を教える中、魔力を持たないヨハンに、カトラはさらなる「卑怯な手」を授けた。


「魔力がないことを嘆く必要はありません。魔法が使えないなら、爆薬を作ればいいんですよ。簡単なことです」


カトラが事も無げに言う。

「『唐辛子と石灰を混ぜた爆弾』を敵が詠唱を始める前に、顔面ヘ投げつける。……その隙を見て逃げ出せばいいのです。生き残るほうが勝ちなんですから」


「……それ、実際に試したことあるの?」


返事は当然のように、


「ありますよ」


と一言だった。

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