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宝石は油で揚げ、涙で味付けしてから「食え」なさい。無様な悪役令息は今日もスパルタメイドに殺されない  作者: 怒れる布団


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11/13

11、再会

シードが助けに来ないことを悟った瞬間、ヨハンの意識は急速に冷え切っていった。


(……助けはない。なら、やるしかないんだ)


――足を止めてはいけません


脳裏に、カトラの厳しい声が響く。


ヨハンは子供を抱えたまま、最短距離で三歩前へ踏み込んだ。


――視線を切るな!


耳の奥で、シードの指導が木霊する。


ヨハンは息を吐いた。


振り上げられた大斧の軌道が、緩慢に見える。

大男は勝利を確信して嗤い、斧を振り下ろした。


(――腕一本なら、くれてやる)


左腕を盾に斧を受け、その隙に右手の銀ナイフで喉笛を裂く。


「来い……っ!」


ヨハンが死線を凝視し、一歩踏み込んだ。


その瞬間――

視界の端で、黒い影が大男へ迫るのをヨハンは見た。


金属が軋むような、鼓膜をつんざく衝撃音が空気を裂く。


ガィィィン!!


高い金属音。痛みは来ない。

見開いたヨハンの視界に飛び込んできたのは、半年間、幾度となく夢に見た「背中」だった。

無駄のない立ち姿、背筋の伸びた美しい姿勢。


灰色のマントが風にたなびき、独特の清潔な石鹸の香りが鼻腔をくすぐる。


「…………坊ちゃん」


凛とした、しかし氷のように冷たい声。


「生きていたんですね。見直しました」


ヨハンの喉が震える。


「カトラ……?」


女は振り返らない。


「生き汚くて」


ヨハンの喉が、ヒュッ、と短い音を立てて震えた。

女は大斧を受け止めた剣を無造作に払う。


「……カトラなの?」


大男の巨体がたたらを踏んで後退する。


カトラがわずかに首を動かし、肩越しに振り返った。包帯で覆われた右目。左目は、以前よりも鋭く、深く、黒曜石の輝きを放っている。


「薄情な主人ですね。半年離れただけで、専属メイドの顔を忘れるなんて」


その冷徹な眼差しに射抜かれた瞬間、ヨハンの全身から力が抜けた。


それは恐怖ではなく、圧倒的な喜びだ。彼女がいる。それだけで嬉しかった。


「……ど、どこにいたんだよ……!」


掠れた声でこぼれたのは、恨み言だった。カトラは一瞬だけ沈黙し、彼女にしか分からないほど小さく息を吐いた。


「まあ、色々と……。片付けるゴミが多かったので」


カトラが地を蹴った。

それはもはや戦闘ではなく、純粋な「暴力」だった。


剣閃は一瞬。大男は悲鳴を上げる暇さえ与えられず、その首を虚空へと躍らせた。


「ひっ、化け物……っ!」


周りにいた野盗たちが戦意を喪失し逃げ惑う。静寂が戻った広場で、カトラは剣を納め、ヨハンの前に音もなく片膝をついた。


「坊ちゃん」


声が、わずかに柔らいだ。


「……お傍を離れてしまい、申し訳ございませんでした」


ヨハンは唇を噛んだ。視界が急速に歪んでいく。


半年間、彼女が死んでしまったのではないかと、ヨハンは幾度も考えた。そのたびに胸の奥が凍りつき、誰にも言えなかった。


実際、現われた彼女は、顎の線は以前より痩せ、右目を失い、どれほどの地獄を潜り抜けて自分を捜し当てたのか、想像するだけで胸が締め付けられ、涙腺が焼けるように熱い。


「うっ……うぁ……っ」


堪えようとした分だけ、声が歪み、視界が滲む。


「あら? 泣くんですか。半年も経っても、相変わらずの甘ったれですね」


カトラが、泥に汚れたヨハンの頬を、乱暴な手つきで拭う。その指の温かさが、たまらなく愛おしい。ヨハンはもう我慢できず、カトラの細い肩に顔を埋め、声を上げて泣きじゃくった。


ヨハンの涙が止まらない中、救われた子供の母親が震える足取りで駆け寄ってきた。


「ありがとうございます……! この子を助けてくださって、本当に、本当に……っ」


何度も頭を下げる彼女に続き、先ほどの雑貨屋の婦人も水桶を手に現れた。


「あんたたち、村を救ってくれてありがとう」


村人の感謝の言葉と温かい眼差しに、ヨハンは涙を拭い、照れくさそうに、小さく頷いた。


そこへ、片手に野盗を引きずったシードが、おどけた調子で近づいてくる。


「あーあ。僕がヒーローとして助けたかったんだけどな。ズルいね、レディ」


「……シード」


ヨハンが未だ涙の滲む目で彼の名を呼んだ、その瞬間。


カトラから、射抜くような鋭い殺気が放たれた。彼女の視線が、シードと、そしてヨハンが身にまとっている「女物のローブ」に向けられる。


「……坊ちゃん。この男は何ですか? なぜ貴方に、このような不名誉な格好をさせているのです?」


カトラの指が、血に濡れた剣の柄をぎりりと握り直す。


「待って、カトラ! 彼は、僕を助けてくれた人で……兄様の用意した家庭教師なんだ。胡散臭いのは僕も同意するけど」


「家庭教師?」


カトラがゆっくりと立ち上がり、シードを射抜くように見据える。身長差はあるが、威圧されているのは明らかにシードの方だった。


「坊ちゃんが大変お世話になったようで。我が主に妙な事を教えたのであれば……その首、ここで撥ねて差し上げますが」


カトラが氷のように冷たく微笑んだ。対するシードは飄々と肩をすくめる。


「ああ、怖いね。僕はフォークス家から正式に依頼された『善良な家庭教師』だよ。少々、教える内容が過激な方向にズレてしまったけどね」


シードの言葉を聞き、カトラは改めてヨハンの手を見た。傷一つなく白かった指は、マメだらけで泥と返り血に汚れている。しかし、そこには以前のような「弱者の震え」は微塵もなかった。ようやくカトラは剣から手を離す。


「それにしてもレディ、あの辺に転がっている連中は君の仕業かい?」


周囲に散らばる野盗の死骸を見やり、シードはくつりと笑った。


「君が『黒曜石』か。……オーガスティンが調べた通り、とんでもない強さだ。お坊ちゃんのために、せいぜい盾になってあげてよね」


カトラはシードを鋭く睨みつけたが、すぐに興味を失ったようにヨハンへ視線を戻した。


「……いい面構えになりました。痩せっぽちの箒から、ようやく『人間』になれたようで良かったですわ」


カトラが不敵に笑った。


そんな主従の空気を切り裂いたのは、シードが足元に転がした男のうめき声だった。


「さて。感動の再会のところ悪いんだけど、少し気になることがあってね」


シードは引きずってきた野盗の懐から、小さな革袋を放り出した。中からは、どす黒く変色した乾燥植物と、妙に甘ったるい香りを放つ粘土状の塊がこぼれ落ちる。


「……それは」


ヨハンの涙が止まった。その不気味な香りに、本能的な嫌悪感を覚えたからだ。


「この村を野盗が狙った理由は、おそらく奴隷の確保だね。金品には目もくれず、若い男女を構わず攫おうとしていた」


シードは眼鏡を押し上げ、冷徹な観察者の目になった。ヨハンが恐る恐る革袋を覗き込む。


「……シード、これ何なの?」


「『幻覚薬』。中毒性の高い新種の麻薬だ。最近、裏社会で急速に出回っているらしい」


「……その噂、私も耳にしました」


カトラが低い声で冷静な表情を見せる。


「この半年、坊ちゃんを捜して周辺を回りましたが、治安の乱れ方は異常です。あちこちの村で人が消え、代わりに見たこともない薬草の栽培が始まっている。一部の領主が裏で糸を引き、民を労働力という名の奴隷として買い叩いているという噂ですわ」


「なるほどね。『黒曜石』の君がそう言うなら、単なる野盗の暴発じゃないわけだ」


シードは足元の野盗を冷たく見下ろした。男の腕には、注射を繰り返したような赤黒い斑点が無数に浮かび上がっている。


「こいつも、薬で恐怖を麻痺させられた、ただの使い捨ての『兵隊』か」


「シード、それって……」


ヨハンの問いを、シードはひらひらと手を振って遮った。


「人さらいに、麻薬、そして組織的な襲撃。ヨハン、君が盗んだとされるあの宝石……『天の瞳』が神殿から消えた途端、国の綻びが一気に広がった。もし、守護石の加護を失った王が即位しようとしているのだとしたら、面白いことになりそうだね」


シードの言葉に、ヨハンは銀のナイフを強く握りしめる。隣でカトラが、無言で主の横顔を見つめた。


「……行こう。長居をすれば、薬で狂った後続が来るかもしれない。レディ、君も来るんだろう?」


シードが背を向けて歩き出す。カトラは一度だけ主の顔を覗き込み、ヨハンの腕を引くように歩き始めた。


「坊ちゃん。半年間の遅れ、きっちり取り戻していただきます。……今の貴方なら、私の訓練に三日は気絶せずに耐えられるでしょう?」


「三日……!? シードのメニューだけでも死にそうなのに!」


「ふふ、こんな男と一緒にしないでください。私の方が、よっぽど慈悲深く、徹底的に『可愛がって』差し上げますから」


嫌そうな顔をするヨハンを連れて、三人は深い森の闇へと消えていった。


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