10、詐欺教師の選択
半年、泥にまみれ、薪を割り、シードの理不尽なまでのシゴキに耐え続けたヨハンの肉体は、見見違えるほど引き締まっていた。
その日、二人は食料の買い出しのために森を抜け、近くの小さな村に立ち寄る。村の入口にある雑貨屋で、店番の婦人が二人を見るなり目を丸くした。
「あらまあ! 今日はなんて日かしら。良い男が二人も来るなんて」
「こんにちは……」
戸惑うヨハンに、婦人はにこにこと笑いながら距離を詰めてきた。
「森の方から来たんでしょう? 見ればわかるわ。ちゃんと食べてる?」
「はい。おかげさまで」
婦人はシードが選んだ干し肉や黒パンを手早く包みながら、袋の隅にそっと菓子を忍ばせた。
「最近は物騒でねぇ。こうして若い人の顔を見ると、こっちまで元気が出るよ。これはおまけ。森の奥なんて何もないでしょう?」
「え、あ、ありがとうございます」
くすっと笑って袋を押し付ける婦人と、礼を言うヨハン。シードは面白そうにそれを眺めていた。
「いやあ、僕たち人気者だね」
「からかわないで」
二人のやり取りに、婦人が目を細める。
「兄弟かい?」
「……はい」
身元を隠すための嘘だったが、彼女は満足そうに
「仲の良い兄弟ね」
と微笑んだ。
――その時だった。
突如として、村は悲鳴と煙に包まれる。
「……野盗?」
ヨハンの問いに、シードは「最近は治安が乱れているな」と他人事のように肩をすくめた。数人の男たちが村の女子供を追い回している。半年前のヨハンなら足が震えていただろう。だが今の彼は、無意識に腰の銀ナイフを握り、敵の「頭」を探していた。
「平和な買い物とはいかないようだね。マダムは隠れていてください」
婦人を避難させると、シードは眼鏡のブリッジを押し上げた。
「ヨハン、実戦訓練といこうか。……ほら、これを着ろ」
シードが路地から拝借した、質素なリボンのついた女物のローブを投げ渡す。
「えっ? なんだよこれ!」
「敵を騙すのも作戦のうち。お前の体格と顔立ちなら騙せる。フードを深く被って、か弱い村娘を演じるんだ。囮になって、あそこの路地へ引きつけろ」
シードはニヤリと笑い、建物の影に身を消した。ヨハンは不服ながらもローブを羽織り、わざと目立つように広場を横切った。
「きゃっ……!」
短い悲鳴を上げ、よろけたふりをする。
「おっ、上玉がいやがった! 待て!」
案の定、三人の野盗が下卑た笑いを浮かべて追いかけてきた。ヨハンは計算通り、狭い路地へと逃げ込む。
「へへっ、行き止まりだぜお嬢ちゃん。大人しくしな……」
先頭の男が手を伸ばした瞬間、ヨハンは隠し持っていた銀のナイフを振り抜いた。男の顔面から血がほとばしる。
「ぎゃああかっ!」
「なんだ、このアマ!」
怯む後続の背後から、影のようにシードが現れた。
「素人だね」
シードの手刀が、男の首筋を正確に打ち抜いた。音もなく崩れ落ちる男たち。
「完璧なお嬢さんぶりだったよ」
「……僕、女の子に見えたの?」
ヨハンが不満げに口を尖らせた、その時だった。
「ママー! どこー!」
逃げ遅れた子供が、広場の真ん中で立ち尽くしている。その背後からは、巨大な斧を担いだ野盗の頭目が迫っていた。
「危ない!」
咄嗟に、ヨハンは飛び出していた。
広場の中心、子供を庇うように抱え込みながら立ちはだかる。背後には、死神の鎌にも似た巨大な斧を担ぐ頭目が、獲物をなぶり殺そうと迫っている。
「ヨハン、待て――!」
シードが地を蹴ろうとした、その瞬間。
視界の端で、別の野盗が泣き叫ぶ兄妹の喉元に刃を突き立てようとしているのが映った。
一瞬。シードの思考が火花を散らす。
ヨハンの方へ跳べば、あの兄妹は確実に死ぬ。そして距離的に、どちらも救うのは不可能だった。
シードが眼鏡の奥で、苦虫を噛み潰したような顔をした。
「……クソっ、死ぬなよ、ヨハン……!」
絞り出すような罵倒を吐き、シードは逆方向へ跳んだ。兄妹を襲う白刃を弾き飛ばし、背後で斧を振り上げる大男へと、祈るような視線を一瞥だけ投げる。
それは、彼なりの地獄のような選択だった。




