第5話 1m以内で風呂・トイレ・睡眠チャレンジ
明日、S級探索者がこの街に来て調査に乗り出すらしい。
俺やコロモチの事が、ついに公にバレるのだろうか。
別に俺自身は、何も悪いことはしていない。
だが、コロモチが魔王であること、そして俺と命が繋がっている現状を考えれば、呑気に他人事ではいられない。
どうせバレるなら、自分から先に説明して、少しでも印象を良くしておいた方がいいのかもしれない。
だけど、迷う。
役所なんて場所は、必ずしも一市民の味方というわけではない。
下手をすれば、俺たちを危険視して即座に排除にかかるかもしれない。不用意に全てを話すのは危険だ。
それに、一体どこまで説明すればいいんだ?
冷静に考えれば、スタンピードやダンジョン崩落の詳しい原因なんて、俺には分からない。
魔王であるコロモチが、なぜスキルカードになっていたのかも意味不明だ。
……原因を知るなら、全部コロモチに聞くのが手っ取り早いか。
俺は隣で茶を啜っているコロモチに尋ねてみた。
「なあコロモチ。なんでお前はスキルカードになっていたんだ? それに、スタンピードや崩落の原因は、やっぱりお前なのか?」
「え? そう言われると……うむむ」
コロモチは、俺の質問に困った顔をしていた。
何かを言いたそうにしているが、同時に何か言うのをためらっているようにも見える。
やがて、コロモチは静かに口を開いた。
「正直に言って、我にも分からんのだ。気が付いた時にはこの身体がスキルカードになっていて、マオが我を手にしていた。マオがスロットに入れれば、我が復活できるという事だけは分かっていたんだが……」
コロモチはそう言うと、銀色の頭を両手で抱え込んだ。
その様子から、嘘を吐いているようには見えなかった。
俺はそれを見て決心した。
このまま黙っていて事態が最悪の形で発覚した時、一番不利益を被るのはギルドの皆であり、そしてコロモチ自身だろう。
それだけは絶対に避けたかった。
「ヒナタさん。俺、役所に行ってダンジョンのこと、話してきます」
「そっか……うん、分かったわ。ありがとうね、マオくん」
ヒナタさんは俺の短い言葉から、その決意と覚悟をすべて汲み取ってくれたようだった。
「おいマオ。うちらも一緒に行った方がいいんじゃねえか?」
「もし必要でしたら、私もお供いたします」
カエデもイチカも、俺を気遣ってくれているのが伝わる。
だが、これ以上二人を巻き込み、手を煩わせるのは気が引けた。
「いや、大丈夫。ささっと行って、すぐ帰ってくるよ。コロモチ、ちょっとついてきてくれるか?」
「んむ? どこに行くのだ?」
俺がそう言って、コロモチの手を引っ張ってギルドのドアを開けた時だった。
――キーンコーンカーンコーン。
街中に、間の抜けたチャイムの音が鳴り響いた。
午後五時を告げる鐘の音だ。
その音は――役所の窓口業務が終了したことを無情にも告げていた。
「…………」
俺は開けたドアを背に、くるりと回ってギルドの中央に戻った。
「……明日、行ってきますね」
皆、一様に苦笑していたが、同時にどこかホッとしたような表情を浮かべていた。
――――――――
その夜。
分かっていたこととはいえ、俺は人生最大の、そして最も羞恥を伴う難関に直面していた。
風呂、トイレ、そして睡眠。
すべてが、コロモチと一メートル以内の距離で行われるのだ。
しかもだ。
性質が悪いことに、魔王であるコロモチは生理現象や入浴、そして「男女が一緒に寝る」ことの意味を完璧に理解していた。
どうやら俺の身体を乗っ取った際、俺の持つ常識や知識が、断片的とはいえコロモチに流れ込んでしまったらしい。
ありがたいというべきか、余計なお世話というべきか……
まず、トイレは何とかなった。
幸い、ギルドのトイレは個室が狭い。
ドアの外で待機していれば、一メートル圏内でも物理的に視界は遮られる。音の問題さえ無視すれば、だが。
次に……風呂だ。
風呂は何とか……ならなかった。
ギルドの風呂は少し大きめで、シャワーが二本ある。
だから、俺とコロモチでひとつずつ使った。……隣同士で。
お互いに背中を向け合い、素早く済ませるのが精一杯だった。
もちろん、俺が動けばコロモチも引っ張られる。
浴槽の湯の中で、俺の隣にコロモチが座り込むという、絵に描いたような地獄絵図が展開した。
人間という生き物は、動いているものに自然と視線を追ってしまう。
だから、見てしまったとしても俺が悪いんじゃない。
二人で並んでシャンプーを流している時、コロモチが大きな声を出した。
「お、おいマオ! 今、我の身体を凝視していただろう!?」
「な、何言ってるんだよ! 俺は必死にシャンプーしてただけだろ!」
「ほ、本当であろうな!?」
「ああ! 神に誓って……いや、魔王に誓ったほうがいいのか?」
こんなやり取りをを毎日繰り返すのかと思うと、本気で頭が痛くなった。
そして、ついに最後の関門。
「睡眠」の時間がやってきた。
俺の部屋はギルドの二階にある、六畳一間の質素な部屋だ。
そこにあるのは、一人用のシングルベッドが一つだけ。
ヒナタさんたちにも心配されたが、一メートルルールがある以上、二人でこのベッドに潜り込む以外の選択肢は存在しない。
「なぁコロモチ。さすがに……狭すぎるよな?」
「ふ、ふん! 我は魔王だぞ。この程度の寝床、何の問題もないわ!」
そう強がってはいるものの、コロモチは顔を真っ赤にしてベッドの端にちょこんと座り込んだ。
だが、実際に横になろうとすると、すぐに困ったように俺の顔を見上げてきた。
「……うむ、やはり狭いな」
「だろ。だから言ったんだよ」
俺は深いため息をつきながら、コロモチの横に座った。
「……しょうがない。背中合わせで寝るぞ」
俺が先にコロモチに背を向けて横になると、コロモチもぎこちない動きで、俺に背を預けるようにして横になった。
薄いシャツ越しに、コロモチの小さな身体の熱が伝わってくる。
その温もりが、不思議と荒ぶっていた俺の心を落ち着かせていくのを感じた。
しかし、背後のコロモチは布団の中でガサゴソと落ち着きなく動いている。
――バサ!
突然、コロモチが勢いよく布団を跳ねのけ、ベッドの上で立ち上がった。
「急にどうした、コロモチ」
「いや、その……我は魔王なのに……男の人の隣で寝るなど、やはり……」
羞恥心が限界を突破したのだろう。
コロモチはそう言って、再び魂が抜けたようにベッドへ崩れ落ちた。
俺は、そのあまりに人間臭い反応に、思わず少し笑ってしまった。
「大丈夫だって。俺だって、まさか魔王とベッドを共にするなんて夢にも思わなかったけどさ。……もう寝よう? お前も相当疲れてるだろ?」
「そ、そうだな……では、寝るか……」
コロモチは消え入るような声で答えると、再び俺に背中を向けた。
沈黙が流れるが、それは決して不快なものではなかった。
しばらくすると、コロモチがもぞもぞと動き、背中越しに微かな声で話しかけてきた。
気配で分かる。コロモチは今、俺の方を向いている。
「……なあ、マオ」
「……ん? なんだよ」
「案外……嫌ではないな……」
そう呟くと、彼女の体温が少しだけ近づいた気がした。
俺も、小声で呟き返す。
「ああ。俺も嫌じゃないよ」
俺とコロモチの間に、微かだが確かな親密感が生まれた気がした。
これも、コロモチと同じ命を共有しているせいなんだろうか。
俺は目を閉じ、今日、目に焼き付けたシャンプーをしていた時のコロモチの姿を思い出していた。
……うん、悪くない光景だった。
俺は健全な男子として、その記憶を大切に保存しつつ眠りに落ちた。
――――――――
翌朝。
俺は覚悟を決め、コロモチを連れて役所へと向かった。
これ以上、ギルドや街に迷惑をかけるわけにはいかない。
「コロモチ。あそこが役所だ。あの中にあるダンジョン対策課に行くぞ」
「わ、分かった……人間どもの拠点だな」
コロモチは緊張しているのか、ぎこちない足取りで俺の裾を掴んでついてくる。
道すがら駅前の大通りを見ると、昨日の騒動が嘘のように人通りはまばらだった。
しかし、ビルの大きな電光掲示板には、『スタンピード発生』のニュースが大々的に映し出されており、事態がまだ収束していないことを物語っている。
俺たちは役所の自動ドアをくぐり、対策課のカウンターへと向かった。
そこには、疲れ切った表情のスーツ姿の職員が座っている。
俺は大きく深呼吸をして、震えそうな声を整えてから話しかけた。
「あの、すみません。昨日、初心者用ダンジョンでスタンピードに遭遇した者なんですが」
「え……? あ、あの異常事態の発生現場にいたんですか?」
「はい。崩落にも巻き込まれましたが、なんとか自力で脱出しました」
「え、あ……少々お待ちください! すぐ責任者を呼んできますので!」
職員は目に見えて狼狽し、椅子を蹴るような勢いで奥へと走り去った。
周囲にいた他の職員たちも手を止め、こちらを値踏みするように見つめ、ざわつき始めている。
その時だった。
重厚な奥の扉が勢いよく開き、整然と、しかし威圧感のある足音がロビーに響き渡った。
人だかりの波を割るようにして、こちらへ真っ直ぐ歩いてくる集団。
その中央にいたのは――S級探索者、四条レイカだった。
彼女の歩みには、一寸の迷いもない。
纏っているオーラがあまりに強烈すぎて、周囲の空間が歪んでいるようにさえ感じられた。
彼女の脇を固めるのは、いかにも「権力者」といった風貌の役人たち。
さらにその背後を、無数の記者や配信カメラが取り囲んでいる。
「芸能人を見れてラッキー」なんて呑気な野次馬根性と、「関わりたくない」という本能的な拒絶反応が、俺の中で激しく衝突する。
だが、その「超大物」は、周囲の誰にも目もくれず、俺の前でピタリと足を止めた。
記者たちも役人も、なぜ彼女が足を止めたのか理解できず、困惑の表情を浮かべている。
戸惑っているのは、他ならぬ俺も同じだった。
静寂を破り、四条レイカが口を開く。あまりに唐突で、そして核心を突く問いだった。
「あなたが、あのスタンピードが発生したダンジョンにいた唯一の生存者。『灰咲マオ』、で間違いないね?」
やはり、すべて把握されていた。
探索者専用アプリのログを照合すれば、俺の足取りを掴むことなど、当局には造作もないことだったのだろう。
四条レイカが俺を真っ直ぐに見据える。
その瞳孔は、まるで精密機器のように高速で開閉を繰り返し、俺の情報を読み取っているかのようだった。
心臓を素手で掴まれているような、底知れない視線。
俺は喉の渇きを堪えながら、なんとか言葉を絞り出した。
「……ええ。確かに、あの場所にいました」
俺の返答を聞いた瞬間、それまで鉄の仮面のように無表情だった四条レイカが、満足げに、そしてあまりに完璧な笑顔を浮かべた。
そして、ゆっくりとした口調で、こう言い放った。
「キミ……ちょっと普通じゃないよね?」




