第4話 魔王の名は
図星を突かれて尻もちをつき、へたり込んでいる魔王に手を貸して起こした、その時だった。
「あれ? マオ様、帰ってらしたんですね」
ギルドの入り口から、涼やかな声が届いた。
振り返ると、そこにはメイド服に身を包んだ八乙女イチカが立っていた。
艶やかな黒の長髪に、整った顔立ち。
淡々とした口調のせいで冷たく見られがちだが、その表情は常に凪のように穏やかだ。
彼女は本職のメイドではない。にもかかわらず、毎日メイド服を着てギルド内の掃除や洗濯、経理といった庶務を一手に引き受けてくれている。
ギルマスのヒナタさんとは幼馴染らしいが、なぜか俺たちギルドメンバーを『様』付けで呼ぶため、余計にメイドっぽさが際立っていた。
そういえば、イチカは俺を探しにダンジョンの方へ行ってくれていたんだった。
ヒナタさんが、パッと表情を明るくして駆け寄る。
「イチカ! マオくん大丈夫だったよ! 探しにいってくれてありがとね!」
「そうだったんですね。ご無事で何よりです」
イチカは深々と頭を下げた後、ふと真顔になって続けた。
「ですが、街の方は大変なことになっていますよ。カワグチ市の全てのダンジョンが、現在一時閉鎖しているようです」
「……全ダンジョンが閉鎖?」
俺は思わず聞き返した。
原因は……十中八九、俺の横で視線を泳がせている魔王だろう。
だがそれよりもまずは、俺のために動いてくれたイチカに礼を言わなければならない。
「ありがとう、イチカ。わざわざ探しに行ってくれたのに、すれ違いになっちゃってごめん。帰ってきた時に、ちゃんと連絡を入れるべきだった」
「いえ、お気になさらず。マオ様が無事であれば、それが一番ですから。……しかし、スタンピードなんて大災害、本当に起きたんですか? 外、お祭り騒ぎどころじゃないですよ」
「え、外が?」
イチカの言葉に促され、俺たちはギルドの外へ出てみた。
一歩外に出た瞬間、熱気と怒号が肌にまとわりついてきた。
駅前の大通りは、溢れかえった探索者と市の職員、そして野次馬で埋め尽くされている。
まるで人間によるスタンピードだ。
ダンジョン都市であるここカワグチ市において、ダンジョン封鎖は探索者にとって死活問題だ。
仕事ができない=稼げない、ということと同義だからだ。
さらに『スタンピード』という災害級の警報。
討伐のために強制招集された探索者たちの殺気も混じり、現場は混沌としていた。
「スタンピードが起きたってマジか!? 避難しなくて平気なのかよ!?」
「おい! ダンジョンに入れない間の補償はどうなってんだ!」
「緊急要請で来たのに待機ってどういうことだ! 早くしないと魔物が溢れるぞ!」
「現在はスタンピードは収束しています! ただいま現状を確認中です! それまで落ち着いてお待ちください!」
怒声が怒声を呼び、その怒声もまた他の怒声にかき消されていく。
おいおい、少しは冷静になれよ……と言いたいところだが、その原因を作った張本人がここにいる以上、俺は貝になるしかない。
俺はそっと、傍らに立つ魔王を見た。
当の魔王はといえば、「ほう、人間も集まればそれなりの圧だな」とでも言いたげに、キョロキョロと物珍しそうに辺りを見回している。危機感ゼロか。
本来なら、この状況や魔王の存在を、ダンジョンを管理している市に報告すべきなのだろう。
だが、報告したとしてどうなる? 「こいつが魔王です」と言って、信じてもらえるのか?
いや、信じられたら信じられたで、俺ごと実験施設送りになる未来しか見えない。
そんな不安を抱えながらヒナタさんたちを見ると、同じことを考えていたのか、気まずそうに顔を見合わせ、小さく頷いた。
俺たちは逃げるようにしてギルドの中へと戻った。
ギルドに戻り、ロビーに置いてある古ぼけたテレビをつけた。
画面の向こうでも、やはりスタンピードとダンジョン封鎖のニュースで持ちきりだ。
「なんかすげえ騒動になってんなぁ。これって結局、マオがやったんだよな? お前、有名人じゃん」
「よしてくれ。俺というか、やったのはこっちの魔王だし……」
「…そちらの方、魔王様なんですか?」
イチカが静かに、けれど鋭い視線で魔王を見た。
そうだった。イチカにはまだ事情を説明していない。
それどころか、この銀髪の少女とは初対面だ。
「えーっと、順を追って説明するよ」
俺はイチカにも、今日起こった出来事を全て話した。
エラッタのこと。
スタンピードの発生。
魔王に乗っ取られたこと。
そして帰還したものの、俺と魔王が1メートルしか離れられないことも付け加えた。
イチカは一つも聞き漏らすまいとするように、真剣な表情で頷きながら聞いていた。
魔王は特に口を挟むこともなく、ただ俺の横で出されたお茶をズズズと啜っている。
俺は、この荒唐無稽な話を、あと何回説明することになるんだろうか。
ふと、そんな遠い目になりかけた時だった。
「なるほど、魔王様ですか。初めて拝見しました。【月の魔王】とおっしゃいましたよね」
「う、うむ……我は月の魔王……だ。よしなに頼む」
イチカの丁寧な一礼に気圧されたのか、魔王はカップを置いて小声で返事をした。
ダンジョンでのあの高圧的な態度はどこへやら、完全に借りてきた猫だ。
「私は八乙女イチカと申します。以後、お見知り置きを」
イチカは魔王をじっと観察し、何かを思い出したようにハッとした顔をした。
「【月の魔王】……確か、本に載っていたような気がします」
イチカが立ち上がり、部屋の隅にある本棚へ向かう。
そこから一冊の分厚い本を取り出し、テーブルへと戻ってきた。
背表紙には『カワグチ市史』と書かれている。
イチカが手際よくページをめくり、ある一点で指を止めた。
「ここです」
開かれたページには『カワグチ市の伝承:3人の勇者と7人の魔王』という見出しがあった。
そして、イチカが指さした箇所に、それはあった。
『【月の魔王】について』という項目。
詳細はほとんど書かれておらず、ただかつて【月の魔王】という存在がいた、ということだけが記されている。
しかし、その中にひとつだけ、無視できない記述があった。
『【月の魔王】であるコロモチは――』
コロモチ? ……え、それ名前か?
「なあ魔王。お前、コロモチっていうのか?」
「うひっ!?」
魔王――少女が変な声を上げて飛び上がった。どうやら図星らしい。
「コロモチちゃんていうのね。ふふ、見た目通り、かわいい名前だわ」
「じゃあ、コロモチって呼ぶか。『魔王』だと『マオ』と名前が似てて、ややこしくてしょうがなかったからな」
「コロモチ様。素敵なお名前ですね」
ヒナタさんもカエデもイチカも、驚くほどスムーズにその名前を受け入れている。
これが、この貧乏ギルド『アンバーローズ』の唯一にして最大の美点だ。
どんな奇妙な存在でも、訳ありの人間でも、深入りせずに受け入れてくれる懐の深さ。
才能も金もない俺が、こうして居場所をもらえているように。
俺は改めて、隣の少女に向き直った。
「コロモチ。俺はマオだ。灰咲マオ。よろしくな」
「私はこのギルド『アンバーローズ』のギルドマスターをしている小鳥遊ヒナタです。コロモチちゃん、よろしくね!」
「コロモチ。瑠璃垣カエデだ。よろしく」
「コロモチ様。改めまして、八乙女イチカと申します。よろしくお願いいたします」
次々と向けられる挨拶に、コロモチは顔を赤くしてモジモジしながらも、小さな声で答えた。
「……月の魔王の、コロモチだ。よ、よろしく……頼む……」
その消え入りそうな一言を、俺たちは温かい笑顔で迎えた。
もちろん、俺の身体を乗っ取ったことや、本質的には人間に仇なす存在だという事実は消えない。
だが、今はとりあえず棚上げだ。目の前にいるのは、不器用でポンコツな一人の少女にしか見えないのだから。
それよりも、問題は外の状況だ。
スタンピードと、その不自然なほど急速な収束。
この原因が俺たちにあることは明白だが、一番の懸念はこの魔王――コロモチの存在だ。
もしバレたら、どうなる? 投獄か、処刑か。
俺の脳裏に、最悪の想像がよぎる。
俺は意を決して、ずっと気になっていたことをコロモチに問いかけた。
「なぁコロモチ。俺とお前は繋がっちゃってるんだよな?」
「うむ、そうだが?」
「変なこと聞くけど……もし俺がダンジョンで死んだら、コロモチはどうなるんだ?」
ギルドの空気が一瞬で凍りついた。
唐突すぎる質問に、ヒナタさんたちが息を呑む気配がする。
だが、コロモチは驚く様子もなく、淡々と答えた。
「お前が……マオが死ねば、我も死ぬ。逆に我が死ねば、マオも死ぬだろう。何せ、今の我らは命そのものを共有している状態なのだからな」
「……マジかよ」
なんとなく、そうじゃないかとは思っていた。
だが、本人の口からはっきりと言明されると、その重みは桁違いだ。
俺の命は、もう俺一人のものじゃない。
俺がミスをして死ねば、この少女も死ぬ。
逆に、こいつが何かヘマをして死ねば、俺も巻き添えで死ぬ。
一蓮托生なんて生易しいものじゃない。俺たちは文字通り、運命共同体になってしまったのだ。
その時、つけっぱなしだったテレビから、アナウンサーの興奮した声が響いた。
『……では、今回のスタンピードの不可解な収束について、S級探索者が調査に乗り出す、ということでしょうか?』
『ええ、そのようです。今回、現地調査を行なうのは、今もっとも話題になっているS級探索者、四条レイカさんです。明日にも現場入りするとの情報が入っています』
S級探索者。
その単語に、俺の背筋が冷たくなる。
『S級探索者が出るということは、やはり未知の大災害や緊急事態が予測されるのでしょうか?』
『断定はできませんが、彼女が動くということは、それなりの事態であることは間違いありません』
テレビ画面には、凛とした表情の少女の写真が映し出されていた。
芸能人にも疎い俺でも、彼女のことなら知っている。
四条レイカ。
伝説級の魔道具『竜刀』を自在に操る、神速の剣士。
現役高校生でありながらダンジョン攻略の最前線に立ち、その様子をリアルタイム配信している超人気アイドル探索者だ。
俺も「可愛くて超強い」という単純な理由で、何度か配信を見たことがある。
雲の上の存在。住む世界が違う人間。
テレビの中の黒い大きなリボンをした四条レイカは、鋭い眼光を放っている。
ただの写真のはずだ。
なのに、その鋭い瞳は、画面越しに「犯人はお前か」と俺を射抜いているような――そんな錯覚を覚えずにはいられなかった。




