第11話 発動の条件は?
レイカが電撃的に俺たちのギルドに居着くことになった騒動が、ようやく一段落した頃。
ギルドのリビングで、レイカは俺とコロモチに向き合い、椅子から立ち上がって深々と頭を下げた。
「マオさん、コロモチさん。……正直に告白します。最初に『魔王』という言葉を聞いた時、私は心のどこかで信じていませんでした。そんな存在が実在するはずがないと、マオさんの言葉をただの混乱か、あるいは何か別の力の見間違いだと思い込んでいたのです。ですが、先日の戦いを見て、己の未熟さを思い知らされました。本当に申し訳ありません」
あまりに真剣な謝罪に、俺は慌てて手を振った。
「いやいや……まあ、普通は信じないですよ。俺だって、自分の身に起きてなきゃ『頭おかしいのか?』って疑いますし。うちのギルドメンバーだって、最初は相当疑ってましたから」
俺がヒナタさんやカエデ、それにイチカに視線を向けると、三人は一様に気まずそうに目を逸らして冷や汗を垂らしていた。
まあ、無理もない。
隣で「ふふん」と鼻を鳴らし、偉そうにふんぞり返って茶を啜っているこのポンコツ魔王を見れば、誰だって「こいつが魔王?」と疑いたくなるのが普通というものだ。
だが、レイカは顔を上げると、射抜くような真っ直ぐな瞳で俺を見つめた。
「お詫び、そして恩返しをさせていただきたいのです。マオさん、私に何かできることはないでしょうか?」
「恩返し? いえ、そこまで気にしなくても……」
「いいえ! それでは私の気が済みません! 何でもおっしゃってください。どんな理不尽な要求でも、私は甘んじて受けますので……!」
その凛とした姿勢からは、いつものS級としての余裕は感じられず、どこか悲痛なまでの真剣みが漂っていた。
……なんだか、断る方が角が立ちそうな雰囲気だ。
「そうだな……じゃあレイカ、俺にダンジョンの基礎を叩き込んでくれないか? 一緒に探索に行ってほしいんだ」
「ダンジョン探索、ですか……? そんなことで良いのですか? もっとこう、私を好き放題に使っていただいても構わないのですよ? なんだってしますので!」
レイカの瞳に、単なる敬意以上の熱い色が宿る。なんだか微妙に話の方向性がズレている気がするが、俺はあえてそこを無視して続けた。
「俺も探索者の端くれだからな。いつまでもコロモチの力だけに頼るわけにはいかないんだ。自分の足でちゃんと立ちたい。……だから、これで恩返しの話は無しだ。今日から、レイカが俺の師匠ってことでいいかな?」
「師匠……!? 私が、マオさんの師匠に……? はい……喜んで! ……ふふ、私とマオさんだけの秘密の特訓ですね」
どこか嬉しそうに頬を染めるレイカに対し、隣のコロモチが不機嫌そうに俺の服の裾を引っ張った。
「お、おい! 我を忘れるなよ! 我のマオだからな!?」
こうして、奇妙な三人組によるダンジョン探索がスタートすることになった。
しかし、ギルドの玄関を一歩出た瞬間、俺は思わず絶句した。
「なんだこれ……祭りか?」
ギルドの前は、文字通り人でごった返していた。
高そうな機材を抱えた報道陣、サイン色紙を握りしめたファンらしき集団、俺たちを一目見ようと集まった野次馬まで。
「あっ! 四条レイカだ! 横にいるのが例の謎の美少女か?」
「おい、あの”化け物”もいるぜ」
「あいつだろ? F級のフリをしていた隠れS級らしいぞ」
「実は現役を引退した伝説の探索者の息子らしいぜ」
「いやいや、政府が極秘に開発した人間兵器だって噂だぞ」
「あいつこそ、神の使いだよ……」
俺個人への評価が、天を衝く勢いで根も葉もない方向に爆上がりしている事実に、胃のあたりがキリキリと痛み出す。
そんな俺を余所に、左右の二人、コロモチとレイカの反応は対照的だった。
「ふふん、当然であろう!」
「皆さんはまだ、マオさんの10分の1も理解していませんね」
コロモチは胸を張って自慢げに笑い、レイカはどこか誇らしげに、まるで自分のことのように満足げな表情を浮かべている。
……なぜお前たちが得意満面なんだ。恥ずかしくて死にそうなのは俺の方なんだが。
結局、あまりの騒ぎに一度ギルドへ引き返し、フードを深く被って裏口からこっそりと脱出する羽目になった。
そんなこんなで、俺とコロモチ、レイカがダンジョンにやってきた。
――数刻後。
俺たちは、とあるダンジョンの中にいた。
いつもの初心者用ダンジョンではない。
一般には『脱・初心者級』と呼ばれる、それなりに難易度の上がる中堅ダンジョンだ。
人気が少なく、特訓にはうってつけの場所だった。
そこで始まったのは、地獄の特訓だった。
通路を徘徊する『スライム』や、天井から急降下してくる『血吸いコウモリ』。
俺の武器は相変わらず、使い古したハンマーだ。
コロモチはといえば、戦う気など更さらないようで、俺の背中に隠れてオドオドしている。
これのどこが魔王なのかと、小一時間、問い詰めたい。
一方で、レイカの指導は徹底していた。
ダンジョンの構造理解、魔物の予備動作の把握、罠の回避方法、そして戦い方など。
「腰が高いです! 動きの流れを止めないで、次を予測してください!」
「ぐっ……、はぁ、はぁ……!」
配信用のカメラがないのをいいことに、レイカの指導は容赦がなかった。
三階層まで安全地帯に辿り着く頃には、俺の体力は底をつきかけていた。
「この辺りで休憩にしましょう。休息も探索者の重要なスキルですから」
レイカの言葉に、俺は糸が切れた人形のように、その場にへたり込んだ。
すると、隣でずっと俺の動きを眺めていたコロモチが、不意に水筒を差し出してきた。
「ほれ、マオ。これでも飲んで落ち着け。ヒナタに持たされたのだ。なかなかに美味いぞ」
「あ……ああ、助かる……」
喉が焼けるように渇いていた俺は、何も考えずにそれを受け取り、蓋を開けて一気に煽った。
キンキンに冷えてやがる水が喉を通り、人心地つく。
「ぷはぁ……生き返った……」
「……あ」
不意に、コロモチが顔を真っ赤にして小さな声を漏らした。
俺が不思議そうに首を傾げると、コロモチは震える指先で水筒を指差す。
「そ、それ、我の水筒だ。こっちがマオのだった……それ、さっきまで我が直接、口をつけて飲んでいたもので……」
「へ? ……あ」
思考が停止し、固まる俺。
コロモチが飲んだ水筒の飲み口。そこに俺も口をつけた。
つまり、これは世間一般で言うところの――間接キス。
意識した瞬間、顔に火が出そうなほど熱くなる。
だが、動揺する俺の身体の中で、同時に不思議な変化が起きた。
「……え? これ、能力が上がってる?」
ほんの微かだが、全身に力がみなぎる感覚。
コロモチとキスをして覚醒した時に感じた、あの爆発的なパワーの「欠片」のようなものが、体内に宿っている。
「うむ。どうやら我の同調が、水筒を媒介にしてお主に流れたようだな。……フン、これっぽっちで強化されるとは、お主もまだまだよの」
勝ち誇ったような口ぶりだが、コロモチの顔は耳の先まで真っ赤だ。
直接的なキスほどの劇的な変化はない。
だが、粘膜接触を伴う「間接的」な行為でも、能力向上のトリガーになり得ることが判明してしまった。
その光景を、レイカはじっと、食い入るような目で見つめていた。
彼女の頬は朱に染まり、呼吸が少しずつ、荒くなっている。
「……本当に。マオさんはキスで能力が上がるのですね」
彼女は一歩、また一歩と、俺との距離を詰めてくる。
その瞳には、探索者としての好奇心以上の、熱を帯びた「何か」だった。
「……マオさん。検証が必要です。その……間接的ではない、直接の行為。それは……『人間』である私が相手でも、マオさんの能力を底上げすることができるのでしょうか?」
レイカは俺の胸ぐらを掴むようにして顔を近づけると、潤んだ瞳で上目遣いに、震える声で続けた。
「……試させてもらえませんか?」
「なっ、ぬううぅ!? こ、この泥棒猫め! マオは我のものだと言っておろうが!」
コロモチの絶叫が、静まり返ったダンジョンの奥深くへと響き渡った。




