第4話 神都に響く鐘の音
大宮殿の内部のその中央にて──
天蓋から流れ落ちる光が、静寂の中でわずかに揺れていた。
白金の床には、淡く輝く魔法陣が刻まれ、ステンドグラス越しの虹の光が、
天界すら凌ぐほどの神聖な空間を描き出す。
その中心に、色とりどりの花々に覆われた豪奢な寝台があった。
永遠の懺悔を続けていた“神”は、
少女の細い指を握り締めたまま、ゆっくりと顔を上げた。
天蓋付きの神聖な寝台は、美しい花々で満ちている。
色彩豊かな花弁がまるで羽衣のように少女を包んでいた。
白いドレスをまとった少女は微かに息をし、まるで眠る聖女のように静かだ。
――この少女こそ、彼の世界だった。
少女の心は戻らない。
しかし神はそれでも離さない。
花は枯れない。
この空間では、時間すら彼の愛に縛られているからだ。
少女は、祈るように指を組み、天使のような清らかさで──動かない。
瞼を閉じ、呼吸はある。
だが、その魂はとうに擦り切れ壊れていた。
少女は人間。ただの人間だった。
その少女を、神は愛しすぎた。
触れ、抱きしめ、語りかけ、何度も何度も愛を叫び続け──
その愛の重さが、少女の精神を木っ端微塵に砕いてしまった。
まるで花びらを慈しむあまり、
指で触れただけで壊してしまったように。
神はそのベッドの前で膝をつき、美しすぎる顔をくしゃりと歪め、涙を流していた。
四枚の翼──
二枚は大きく、天を覆う壮麗な白。
二枚は小さく、背を守るかのように寄り添う光の羽。
その翼は、祈りの重さで震えていた。
彼の祈りは、もはや言葉という形を保っていなかった。
「帰ってきてくれ……」
「どうか、どうか、……赦してくれ……すまなかった」
「女神よ……君の声を持つ彼女を……どうか、どうか、もう一度だけ……」
弱々しい嗚咽とともに、
光の粒が床へと落ち続けていた。
永遠に続く懺悔。
永遠に届かぬ許し。
それが、彼のすべてだった。
──その時。
涙に濡れた神の指がふと止まる。
宮殿の外から、ほんのかすかな“揺らぎ”が走った。
誰かの足音ではない。声でもない。
もっと、原始的な……
閉じた世界の奥底に芽生えた、得体のしれない“感覚”。
黄金の瞳がわずかに揺れる。
「……妙な感覚、一体、これは?」
愛の気配──???
まるでどこかで、「愛を渇望する者」が、激しく扉を叩いているかのような感覚。
彼は外を知らない。どうでもいい。
外に堕ちた天使たちの存在など、認識すらしていない。
彼の興味は、この少女以外に向いたことは一度もない。
だが今──神の心が、ほんのわずかに動いた。
ナンパ作戦は――惨敗に終わった。
それからというもの、神都の乙女たちは
公園のハトばりの俊敏さで俺を避けるようになった。
羽をふわりと揺らしながら、すいっ、すいっ、
と軌道を変えていくその避け方は、正にハトの挙動。
「ぼく……悪い堕天使じゃないよっ……ッ!」
涙がぽたりと落ちた。
心が抉れた俺は、今日も今日とて一人で弄る……
――その時だ。
ピッシャァァァァァァン!!!と“天啓”が――降りたのだ!
「……っこ、これだ……!!」
全身に雷が駆け巡る。天の声が告げるように、言葉が口からこぼれた。
「堕天使がダメなら……外から連れてくればいいじゃなぁい?」
――天才だった。
「ふ……ふふ……ククク……アーーーーッハハハハハ!!!」
笑いが止まらない。全身が震えるほどに。
これは勝つる!!
「私が行くぅ!待ってろぉ、乙女ェ!」
世界の乙女を妄想すると同時に、別の熱も強く湧き上がった。
「……異世界……見てみたぁい……!」
異世界を!世界を!文明を!城を!
世界中の美女を!美少女を!!お姫様を!!!
見てみたい!
異世界の飯を食って!
冒険者になって依頼受けて!悪党を華麗にぶっ飛ばして!
『可愛い』『綺麗』『つえぇぇぇぇ!』って言われて!『ざまぁ』してやって!
尊敬され羨望の目で見られたいぃぃぃ!!
俺にはそれができる美貌と力がある。ロールプレイやりたい放題やんか!
胸の奥で感情が爆発した。
「行こう、人間の世界にっ!!」
決意した瞬間、行動は早かった。
変態はやると決めたら秒速で暴走する生き物だ。
鏡を広げ、材料を浮遊させ、布を編み、金属を歪め、魔法を駆る。
完全にテンションだけで準備を始めた。
「よし……準備完了!」
そして――
大きく翼を広げ、空に舞い上がろうとした――その時だった。
ギ……ギギギギギギギギギギギ――――ッ!!!!
大樹の根を軋ませるような、不吉で巨大な軋音が、神都の中央
――大宮殿から響き渡った。
同時に、
リィンゴォォォォォォォォン……! リィンゴォォォォォォォォン……!
大宮殿に吊るされた鐘が、まるで誰かに強く打ち鳴らされたかのように震え、深く重い音を天へと放つ。
「え、……な、に……?」
大宮殿の方角から――光が漏れている。
白金色の、目を焼くほど神聖で、かつ冷たい光。
それはまるで、永劫閉ざされるべき棺が、勝手に蓋を持ち上げられたかのように、じわりじわりと大気へ染み出していく。
嫌な予感というより――本能が悲鳴をあげた。
背筋がぞわりと逆立つ。
「……えっ、ちょっと待って。これ、ヤバいヤツじゃない?」
決して開かれなかったその扉が、開こうとしていた。




