第32話 ミィちゃんの困り事
「ごめんなさい、お待たせしました……」
「全然いいわよ~、気にしないで!」
そう言って微笑むと、ミィちゃんはほっとしたように肩を緩め、両手で大事そうにお盆を抱えてリビングへ入ってきた。
そこに並べられた昼食からおいしそうな匂いが漂ってくる。深皿にたっぷり注がれたクリームシチューは、乳白色の湯気をふわりと立ち上らせ、ごろごろと大きめに切られた野菜が顔を覗かせている。
柔らそうに煮込まれた鶏肉は箸を入れただけでほろりと崩れそうだ。鼻腔をくすぐるのは、バターと香草のやさしい香り――これは、確実に手間をかけた料理、ただのシチューじゃない!
横には、今まさに焼き上がったばかりとわかるパン。表面はこんがり、中はふっくら。割れ目から立つ湯気が、罪深いほど食欲を刺激する。彩り豊かなサラダに、果実の色が透ける自家製らしきジュースまで添えられていた。
「きょ、今日のシチューは……、私が作ったんです~」
そう言って、ミィちゃんは少し照れたようにはにかんだ。
――ピシャアアンッ!
刹那、私の脳内へと雷が落ちた。
愛・妻・料・理!?
「えっ……これ、全部?」
「は、はい……、お口に合うといいんですけど……」
ぎゃあああああ!
愛が!愛が詰まってるぅ!!
「嬉しいっ、ありがとう!!」大喜びして思わず声を弾ませると、ミィちゃんも嬉しそうに微笑んでくれた。
「エリュシェルさんが、一緒にご飯食べようって誘ってくれて……、すごく嬉しかったんです」
えへへっ、とはにかむようにミィちゃんは満面の笑みを浮かべた。
――ああ、あまりにも純粋無垢なこの娘は……。
こんなに忙しいのに、私の誘いを無下にせず大切にしてくれて、純粋な好意で時間を作って招いてくれたんだな。と、そう思った。
……邪悪な己に心が少しチクリとする。
ええ、裏心が丸出しでしたとも。私の心は決して清らかではありません。ミィちゃんに合う清楚な勝負下着を選び抜いてきた程度には、やましさダダ漏れでしたとも。
香ばしいパンをシチューに浸して口に運ぶ。とろりとした口当たり、野菜の甘み、鶏の旨味がじんわり広がる。
……おいしい。いや、おいしすぎる。
フィオルで色々食べてきたけれど、美味しくてこんなに心まで温かくなる味は初めてだった。きっと私は――彼女が作るものなら、何でも美味しいと感じてしまうのだろう。
食事が少し落ち着いた頃、私はふと疑問に思ったことを切り出した。
「ねえ、少し気になったんだけど……」
「はい?」
「実家のカフェとギルドを掛け持ちで、こんなに忙しそうに働いてるじゃない?大丈夫?何か理由があるの?」
「えっ……?えっとぉ……、その……」
楽しそうに笑顔を見せていたミィちゃんが、顔を曇らせる。しばらく逡巡した後、彼女は小さな声で打ち明けてくれた。
「……実は、家に借金があるんです」
「ええっ?」
ぽつりぽつりと語られた事情は、こうだった。
家のカフェの運営資金が必要になって、ミィちゃん家は知り合いの信頼できる金貸しから借金したみたい。その際にはきちんと借用書も交わしていて、とても良心的な条件だったという。
問題はその後。その知り合いの金貸しが、悪名高い商人に店ごと潰され全て奪われてしまい、ミィちゃん家の借用書もその時に持って行かれたそうだ。
そして問題なく返済できる金額だったのに、理不尽に借金がとんでもない額になっているようで、困ってるみたい。
更には、金を返せないならこの店か、ミィちゃんを嫁に寄越せと言い始めた。それでミィちゃんは外からも収入を得るために最近ではギルドでも働き始めたらしい。
ビキっと額に青筋がたった。
……嫁?あぁ??……俺の女に手を出すとか、いい度胸してんじゃねえか。
「この食堂は亡くなった父との想い出の場所で……、でも好きでもない人のお嫁さんには……絶対になりたくなくて……」
「それで、こんなに頑張って働いていたんだ」
こくりと俯いた拍子に、彼女の綺麗な目からぽろりと涙が零れ落ちた。
「……よく頑張ったわね」
私は食卓越しに手を伸ばし、そっと彼女の亜麻色の髪を撫でた。
「もう、大丈夫よ。私がどうにかしてあげる」
「えっ……??」
驚いて顔を上げたミィちゃんの大きな瞳が、まっすぐ私を見つめた。私はにっこりと、安心させるように慈愛の微笑みを浮かべた。
――その裏で。胸の奥ではどす黒い憤怒が、静かに渦巻いていた。
その悪い商人に、地獄を見せつけて生まれてきたことを後悔させてから――この世から消せばいいだけよねぇ!?
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