第10話 さようなら
パチリと目を開くと、心配そうに覗き込むセラフィナの瞳があった。
「大丈夫? 急に意識が途切れたから……本当に、心配したのよ」
いや、あなたがとんでもねぇ爆弾を落としたからなんですぅ。
俺はゆっくりと身を起こし、周りを、神都を見渡した。
澄んだ空気、白塔が立ち並ぶ静謐な街並み。
そして最後に、ピンク色の光を放つ大宮殿を忌々しく睨みつける。
怠惰で、ぬるま湯で、夢のような時間が終わりを告げた。
「セラフィナ。私は……始祖の元になんて、絶対に行かない」
「えっ……?」
「行かない。行けない。行くわけがない」
セラフィナは小首を傾げるだけ。本当にわからないんだ、彼女であっても。
感情が少ししかないから、この悍ましさは分からないのだ。
「あんな悪辣な奴を愛せるわけがない。アイツは、邪神よ」
セラフィナの瞳がわずかに揺れた。
「……やっぱり、あなた。感情が、生まれたのね」
「ええ、そうよ」
「最近、よく私に絡んでくるから……始祖さまに似てるなぁって思ってた」
「似てるとかやめてくれぇ!……反省する…」
「“愛”が分かるようになったのね」
……セラフィナ……ママ。
前世を思い出してから、この世界で唯一の友人。
優しくて、美しくて……俺が甘えられた、今世の母親。
「エリュ……?」
寂しい。
胸が締めつけられた。肩が震える。
涙が落ちた。止められなかった。
セラフィナの両手をぎゅっと握る。
「セラフィナ……今まで本当にありがとう。私を生んでくれて、ありがとう」
彼女は茫然と目を見開く。
「私は遠くへ逃げるわ、この神都から。始祖の手が届かない……遥か彼方へ」
「え……ちょ、ちょっと待っ――」
「さようなら、セラフィナ。できることなら……また、あなたに会いたい」
「……愛してるわ」
バサァッ――
翼を広げ、一気に跳んだ。
空気が弾け飛び、世界が置いていかれる。
「エリューーー!!?」
もう振り返らない。振り返れない。
――急げ。
――あいつが気づく前に。
鼓動がバクバクと暴れ、肺が焼けるほど息が苦しい。
だが止まれない。
逃げろ!
でも、鐘の白塔が視界の端で揺れた瞬間――俺は急降下した。
我が城だ!これは絶対持っていくぅ!!
空間収納を大きく展開。空間が歪み、地面ごと白塔を丸っと捻じ込んでいく。
人間世界に行こうとはしたけど、片道切符になるとは思わんかったわ。
そして自分へ強力な魔力遮断や気配消失などの、隠蔽魔法を何重にも叩き込んだ。
準備は完璧。
覚悟も、全部整ってる。
――よし、行ける!
翼を広げ、地を凹ませ、再び空へ跳び上がった。
急げ!急げ!急げ!急げ!急げ!急げ!急げ!急げ!!!
神都の空が遠ざかる。
胸が裂けるほど苦しいのに、速度をさらに上げる。
逃げろ!逃げろ!逃げろ!逃げろ!逃げろ!逃げろ!!!
風が刃のように顔を叩く。
光輪が唸り、翼が空を叩き、全身が光り輝く。
全力で飛ぶんだああぁあ!
キィィィイイイイイイィィイン――
高音が空気を裂き、世界が流れ去る。
初めての全力飛行、視界が白くちぎれそう。
その中で、涙が光の中へ溶けて消える。
さようなら、セラフィナ。
さようなら、堕天使たち。
さようなら、神都ニフル。
――俺は、運命から全力で逃げるんだ。




