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第8話 中村さん

 博士からは「3日後に会おう」という連絡が来た。その日はまるであたしのスケジュールを知っていたかのように非番の日だった。つまり、3日後までにあたしはアヤノの私物と体液を手に入れないといけない。


 体液……それはつまり血とか、唾液とか、そういうものだ。アヤノの血、アヤノの唾液。唾液。キス。

 考えていると変な想像をして頭がおかしくなりそうだったので、これ以上考えるのはやめておく。


「というか、体液……血はもう手に入れちゃってるんだよね」

 ポケットに入っていた血染めのハンカチ。ケイ先輩に殴られて、出た鼻血をふき取ったものだ。博士曰く、体液は時間がたっていても大丈夫らしいので、最難関に思えた体液の確保は完了している。

 これがなかったどうすればよかったことか。さすがにあのケンカの後だ。強くなりたいからと、アヤノにも事情を打ち明けにくい。最悪、アヤノの歯ブラシを盗むことも考えたほどだ。唾液確保のため。


 血の付いたハンカチをうっかり洗濯しないようにジップロックに入れておいた。やってることが、かなりやばい変態仕草であることからは目をそらす。

「問題は、アヤノの武器をどうやって手に入れるか、かぁ」


 博士が言うには、ただの道具ではなく、アヤノの魔力を帯びたことのある武器であることが重要らしい。それも、何度も帯びたことがあるもののほうが好ましいらしい。

「とすると、いいのはナイフとかだよねー」


 アヤノがススを払うときによく使うナイフ。確か4、5本は持っていたはずだ。

 ソファの上でうんうんうなる。キッチンでは、アヤノが手際よく料理を作ってくれている。醤油の匂いが漂ってきておなかがすく。


 歯ブラシと違うのだ。盗むわけにはいくまい。歯ブラシと違って。


 なら、正攻法でいくしかないか。

「――配膳はさすがにやらせて」

 アヤノが作り上げた料理をテーブルに運んでいく。甘鯛の煮つけに、本格派なだし巻き卵。具材たっぷりの筑前煮に、炊き込みご飯。デザートに白玉ぜんざいまでついている。どれも時間のかかる料理だ。


 午後、訓練の後は任務もないからと、アヤノが腕によりをかけて作ってくれた。

「あのとき、結局昼食を一緒に食べられなかったからな。少し遅れたが退院祝いだ」

 とアヤノは言っていた。あたしがケガする前の会話を覚えていてくれていたらしい。


「いただきます」

 まずは、甘鯛の煮つけから。ふんわりとした魚の身に、醤油と出汁がよく染みこんでいる。優しい味だ。

 二人とも無言で、食事を食べ進めていく。どれもものすごくおいしい。おいしすぎて泣きそうだ。


「そういえばさ、アヤノはどんなナイフを使ってたっけ?」

 ある程度おなかもいっぱいになってきたところで、口を開く。

「ん? 突然だな」

「あー、いやまぁうん。ちょっと気になって」


 アヤノのナイフを手に入れる。盗んだり、すり替えたりが無理な以上、アヤノから多少強引でも受け取るしかない。

「そうだな。私のナイフは、桐山家――実家から渡されているものを使っている。戦闘で使うことはないから、手入れをしながら長年使えているな。こういう言い方は皮肉になるかもしれないが、いいものだよ」

「そ、そうなんだ」


 いいものなんだ。アヤノの実家は機関の中でも指折りの名家。その彼女が「いいもの」というからには、さぞいいものなんだろう。

「あたしも、戦闘でナイフを使うことがあるからさ、うん。やっぱり気になって」

「ハナの主な武器は銃じゃないか」

「え、あーそれはそうなんだけど」

「それに、ヨシノ叔母様から言われているように、訓練は禁止だぞ」

「わーっかって、ます、よ?」

「ん?」


 会話の流れに違和感を覚えたのだろう。……当然だ。アヤノは首を傾げている。

「ふむ。もしよかったら、使ってみるか?」

「え、いいの!?」

 渡りに船とはこのことか。なんとアヤノの方から申し出てくれた。


「でも、いいものなんじゃ……」

「いいものではあるが、宝物というわけじゃないよ。同じものは何本か持っているし。食後に渡すよ」

「あ、ありがとう!」


 ミッションコンプリート。あたしはアヤノの体液と武器を手に入れた! 


「なぁハナ」

「何」

 喜び、心の中で浮かれるあたしにアヤノは言った。


「もし、心配なことや悩んでいることがあったら、私に相談してほしい。私はハナの力になりたいんだ」

「……ありがとう」

 そういうアヤノの顔は、びっくりするほど真剣で。あたしは隠し事をしていることがもっと後ろめたくなる。


「困ったことがあったら、アヤノに言うね」

 博士のこととか。強くなりたい理由とか。いろいろ。




「お。おぉ……」

 ちなみに、アヤノからいただいたナイフは、まさしく「いいもの」だった。刃の色とか、グリップの握った感覚とか、全体的な重さみたいなものとか、あたしの普段使っているナイフとか全然違った。


 なんか、とても、すごい。


「ふ、ぐへへ」

 深夜、アヤノが寝付いた後にあたしのナイフと、アヤノのナイフで交互に素振りして違いを実感していたのは、秘密にしておこう。


 *


 翌日、桐山さんは宣言通り、あたしの訓練への参加を禁止し、別の仕事を送ってきた。午前中はアヤノとパトロールをした後、この前あたしが負傷したN地区に来ていた。

「ちょっと早かったかな」

 車を近くのパーキングに止めて、待ち合わせ場所に指定していた駅に行く。

 待ち合わせは14時で、今は13時50分。案の定、駅の前にはまだ来ておらず、見知らぬ人が行き交っている。人通りはけっこう多いように思う。

 候補生の制服を着ているあたしを見て、顔をしかめる姿ももう慣れっこだ。


 その時、ブオンとバイクのエンジンがうなりを上げる音が聞こえた。遠くから大型バイクが迫ってきていた。

「あ、来た」

 バイクに向かって手を振ると、バイクに乗っているフルフェイスヘルメットに皮ジャケットの人は片手をあげて応じる。

 バイクはあたしのちょうど前でピタリと止まる。


「お待たせして申し訳ありません」

 ヘルメットを取ると、長い黒髪がたなびいた。バイクのスタンドを立て、凛とした雰囲気の女性があたしに頭を下げた。


 彼女は毎度、あたしたちにこういう態度をとるけれど、10も年上の人にそうされるのは気が重い。

「頭上げてください。中村さん。全然待ってませんから」

「かしこまりました」

 中村さん――あたしたちアヤノ班小隊の頼れる補佐官はさっと頭を上げ、薄く微笑んだ。


 かっこいい。


 *


 聖女機関はカゲと戦う組織だ。そして、カゲを倒すことができるのは、魔力をもつ聖女や候補生だけ。だけど、当然、聖女たちだけで日本全体を守る大きな組織を運営できるはずがない。

 聖女機関を運営する事務の人や、施設を守る人たち。それに加えて、候補生の小隊には、補佐官と呼ばれる人がつく。

 20歳未満の聖女候補生4人に、監督役の聖女が1人。そこに数名の補佐官を入れたひと集まりを、機関は“小隊”と呼ぶ。小隊名は、一番階級の高い候補生の名前を付けるのが習わしだ。だからあたしたちは、アヤノ小隊と呼ばれている。

 年少者の多い小隊には、メンタル安定のために多めに補佐官がつくけれど、あたしたちアヤノ小隊は年齢層が高めだ。だから補佐官も一人だけ。

 その人が中村さん。戦闘以外はおおむね適当な桐山さんと違って、ちゃんとしっかりした大人の女性だ。


「今回の任務は、逃げた目撃者の発見と検査になります」

 バイクを同じパーキングに止めた中村さんと一緒に歩く。目的地は、駅近くの中学校だ。


「あたしがあの時、守った女子中学生を探すんですよね」

「はい」


 あたしが魔法持ちのカゲと戦っているときに、背後にいた女の子。彼女はあたしの負傷でごたついているときに姿を消した。入院中、あたしの見た制服の証言から学校は特定できたけど、誰かまでは機関も特定できなかったらしい。

 もしあたしが割って入る前に、カゲと接触していたらその子は魔力を得ている可能性がある。


「機関としても、強制で中学校に捜査に入って、無駄に市民感情を高ぶらせたくないのでしょう。この地区は機関に対する反感が小さくないようですし。手間ですが、ハナさんに下校途中の女子中学生を観察していただき、本人を特定してほしいとのことです」

「了解です。……ちゃんと見つけられるか、あんまり自信はありませんけど」

 戦闘中のことだったし。養成学校で人相覚えの勉強はしているが、覚えようとして顔を見ていたわけではない。そもそも、背中にいたから顔を見たのも一瞬だ。


 ひとまず学校裏手、塀の向こうにある公園に到着した。

「どうぞ」

 と中村さんは薄手のパーカーを手渡してくる。候補生の制服は目立つから、これで少しでも隠せということだろう。相変わらず細かな気配りのできる人だと思う。ありがたく受け取っておく。


「ところで、ここは人通りが全然なさそうですけど」

 校門から正反対の公園だ。学校と外を遮る高い塀が間近にある小さな公園。あるものといったら古びたベンチとブランコ、砂場くらいで、今時子どもがよりつきそうな場所ではない。

 住宅地も反対側で、捜査するには効率が悪そうだ。校門近くで見張っていた方がよさそうなのに。

 聞くと、中村さんは気まずそうな顔をして答えてくれた。

「桐山一聖の指示です」


 あー、つまり捜査はするけど、あんまり早く見つかってほしくないと。

 あたしをフリーにすると勝手に訓練を始めると思われているっぽいな。だから、あえて効率の悪い場所から探させると。

「……信用ないなぁ」


 しょうがないけど。


 公園の柵に体重を預け、初夏の風を感じる。まだ中学生たちが下校するまでにはまだまだ時間がありそうだった。

「ハナさん、ケイのことをあまり責めないでやってもらえますか?」

 しばらく二人でぼーっと空や街並みを眺めているとき、ぽつりと、中村さんが言った。


「ケイ先輩をですか」

 多分、この間のケンカのことだ。

 中村さんは大人だから、小隊の誰とでもいい関係を築いているけれど、一番仲がいいのはケイ先輩だ。というよりケイ先輩が中村さんをすごく慕っているように見える。

 あたしたちに隠れて、二人で長く話しているところも何度も見たことがある。


「あの子もハナさんとは違った意味で、大きなストレスを抱えているんです。彼女は19歳。そろそろ、分岐点が近づいていますから」


 桐山さんはケイ先輩の気持ちが分からないと言った。だけど中村さんは、

「私はケイの焦りや不安がよくわかります。私自身、聖女のなりそこない、ですから」

 そう、つぶやくように言った。


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