第4話 カゲ と セイジョ④
あたしを殺すはずの槍は全て、あたしの目の前で地面に引き寄せられるようにたたきつけられていた。
こんなことができる人を、あたしは知ってる。
『もう大丈夫です!』
頭の中に声が響く。“共鳴”の魔法による意思の伝達。つまり。
「下がってろ」
乱暴な、だけど力強い声が聞こえた。
槍をたたきつけられ、困惑するように揺らいでいたカゲの集合体は、トラックにはねられたかのようにまとめて横凪ぎに吹き飛ばされた。吹き飛ばされた方向には、あたしと同じ制服を着た人が一人。
「ケイ、先輩」
「雑魚は無理するんじゃねぇよ。死にかけてんじゃねぇか」
いらだちを隠す様子もない。あたしを助けてくれた人、ケイ先輩はカゲをにらみつけて忌々しそうに舌打ちをした。ギラギラ輝く赤髪と黄金の目はこの人の気の強さを証明しているようで。
カゲはターゲットを完全にケイ先輩に切り替えたらしい。6体のカゲは集合したまま一度球形を作る。元の形に戻ったと思ったら槍を引っ込め、ケイ先輩をめがけてすぐに射出した。
「うぜぇ」
ケイ先輩はブンと右腕を上に振り上げた。腕の動きに引っ張られるように、槍がそれて上空に突き出される。それどころか、槍に引っ張られてカゲごと空に浮いた。ずるずるとカゲが持ち上がっていく。槍の穂先には、透明な魔力の球が見える。
“引力”を操るケイ先輩の魔法だ。カゲが槍を消すのと、ケイ先輩が腕をふり下ろすのはほぼ同時だった。
べしゃりと、カゲは地面にたたきつけられ、トマトのように飛び散る。カゲはすぐに集合したけれど、ぶるぶると怯えるように震えた。
「あとは任せる」
カゲが先輩から距離を取ろうとする。縫い留めるように、数本の光の剣がカゲに突き刺さった。
「崩れろ」
突き刺さった聖剣が爆ぜるのと、怒りをにじませたアヤノがカゲに飛び込んで一刀両断するのと、早いのはどちらだったんだろうか。
確かなことは、あたしがまともに痛手を負わせることすらできなかった魔法持ちのカゲは、あっけないほど簡単に消滅したということだった。
「ハナ!」
「ハナ先輩!」
アヤノが駆け寄ってくるのと同じタイミングで、小柄な候補生が駆け寄ってきた。さっき“共鳴”の魔法を使ったナオだ。
「おわっ……た?」
限界だった。倒れかけたあたしをアヤノが支えてくれた。ダメだよ。今のあたし、血まみれだよ。制服が汚れちゃう。そんなことを言いたかったけれど、もう口が回らない。あぁ、目の前が暗くなってくる。熱いような、冷たいような。体中の感覚がぐちゃぐちゃだ。
「ハナ! ハナ! しっかりしろ! ……すまない」
「先輩! 大丈夫ですか!? すぐに治療しますから! 死なないでください!」
苦しみをこらえるようなアヤノの声と、ナオの慌てた声を聞きながら、あたしは意識を失った。
*
――9名。それが、今回あたしたちが解決にあたった魔法災害で発生した死者の数だった。第2種魔法災害の被害としてはとても少ないといえる。それでも、死者が出たことに代わりはない。
あたしの怪我は結構な重症だったようで、病院に運ばれてからすぐに手術をすることになったそうだ。しかもそのあと丸々3日眠っていたと。
あたしが目を覚ましたときには、後始末も被害者のお葬式も全部終わったあとだった。
「いやはや、今回はひどい目にあったねー」
事の顛末を教えるついでにと、病院のベッドで眠るあたしを見舞いに来てくれたのは、ナオを連れ立った桐山さんだった。棒付きキャンディーをくわえた彼女は籠に入ったフルーツをテーブルに置き、果物ナイフを取り出すと、シュルシュルと慣れた手つきでリンゴの皮をむき始めた。
それを横目にちょこちょことナオがベッドの反対側に回り込んだ。ナオのちっちゃな手があたしの手を包み込む。触れあった手からじんわりと暖かいものを感じた。
「ありがとね」
「いえいえ、わたしはこのくらいのことしかできないですから」
ナオの魔法は“共鳴”。今はあたしとナオの魔力と体力を共鳴して強化している。こうすることで、失った体力と魔力の回復が速くなる。そして、魔力の回復が早まると傷の治りも早くなる。意思の伝達から、回復の補助までものすごく応用の利く魔法だ。
ナオはあたしが眠っているとき、時間があるときはずっと共鳴を続けてくれていたらしい。いくら感謝してもしたりない。
「ナオちゃん優しいねー。お姉さんにもその優しさという名の愛を分けてよー。ほら見てー。葬式に聖女機関を代表していったら遺族の方に思い切りぶん殴られちゃってさー。痛くて痛くて泣きそうなんだよー」
桐山さんは頬をナオに見せるけど、頬が腫れている様子はない。34歳とは思えないツルツルお肌だ。だけど、殴られたことは事実なんだろう。聖女機関は魔法災害で起きた被害者の葬式には毎回出席している。そして、遺族から罵声を浴びせられたり、暴力を振るわれたりすることはよくあることらしい。
候補生に行かせるところもあるようだけど、桐山さんは必ず自分ひとりだけで行く。
『雑で適当な人だけど、あの人は私たちに甘くて、優しいんだ』
アヤノがそうぼやいていたのを思い出した。
「なぐさめてよー。頼むよー」
「えーと」
ほらほらと甘えた声を出しながら頬を指さす桐山さんに、ナオは困ったように苦笑いをしている。
「桐山さん、ナオが困ってます。からかうのはやめてください」
「からかってるつもりはないんだけどなー。ほいリンゴ。いっぱい食べて、早く元気になりなー。睡眠と食事は大事なんだぜ」
皿にウサギさんの形に切り分けたリンゴを置く。遠慮せずに一つもらうと、みずみずしい甘さと酸っぱさが口の中に広がった。おいしい。これ、けっこういいリンゴかも。
「ナオちゃんも食べていいからねー。なんなら、お姉さんが食べさせてあげてもいい」
「い、いえ自分で食べます!」
ナオは生真面目に返事をする。
「そっか……ハナちゃん。今回はごめんね」
しばらく、あたしとナオの様子を眺めたあと、桐山さんは深々と、申し訳なさそうに頭を下げた。
「桐山さんに謝られることなんて……」
「君の怪我は、君たちの監督役のお姉さんの責任だよ。出動命令では、お姉さんは第3種だと言った。でも実際は第2種だった。その想定が甘かった。間違いなく、お姉さんの……私の失敗だよ。下らない私の失敗のせいで、君を殺しかけた。本当に、本当に反省してる」
違うと言いかけたあたしの言葉を遮るように、桐山さんは言い切った。どうやら本当にへこんでいるらしい。ズーン、という効果音が聞こえてきそうなほどだ。
だけど、と思う。桐山さんは自分の判断ミスを言うけれど、問題はそこじゃないと思う。
「頭を上げてください。そもそも、あの場を一人で切り抜けられない弱いあたしが悪いんです」
そう、桐山さんが悪いんじゃない。あたしが悪い。弱いあたしが、悪い。
もし、あの場にかけつけたのがアヤノだったら、カゲが魔法持ちだろうがそうでなかろうが切り捨てておしまいだったはずだ。
もし、あの場に駆け付けたのがケイ先輩だったら、槍ごと引力で押しつぶしてしまっていたはずだ。
あの場にいたのがあたしだったから、こんな怪我をする羽目になった。
「お見舞いに来てくれたケイ先輩も言っていました。候補生をやめたらどうかって。自分の魔法を分かっていないようなやつに背中を預けたくないって」
「ケイのやつ……それは」
いきり立つ桐山さんに首を振って応える。ケイ先輩の言葉は全て事実だ。聖女候補生でありながら、あたしは魔法が使えない。魔法があるのかどうかも分からない。
普通、聖女や候補生は魔力操作による肉体や武器の強化のほかに、個々人が使える固有の魔法がある。
アヤノなら“聖剣”。ケイ先輩なら“引力”。ナオなら“共鳴”、という風に。
そんな中であたしは魔法を使えなかった。魔法を使う感覚が分からない。魔力はある。魔力を使った肉体強化や、武器への魔力付与もできる。
でも、魔法の行使だけができない。それはカゲと戦う者として致命的な欠陥だった。単純な話、魔力を付与した武器で攻撃するより、魔法の方がずっと効果が高い。
だから鍛えた。養成学校にいる頃から、今までずっと。体を鍛え、射撃の腕を磨き、魔力による身体強化を続けてきた。魔法が使えないから他のところで補って、時間はかかったけど、養成学校を卒業できた。並みの候補生よりもはるかに努力をしてきた自信があたしにはある。
だけどその結果がこれ。おなかの傷に手を当てると、ずきずきと痛みが走った。ケイ先輩が来るのが数秒遅かったなら、あたしは死んでいた。あまりに無様で笑えない。
「……なら」
眉をハの字にした桐山さんが言う。
「なら、君は候補生をやめるのかい。君は――」
「やめませんよ。あたしは、候補生を絶対にやめません」
言葉は自然に出てきた。魔法が使えないのは、候補生としてあまりに致命的だ。だから、無理だ。やめろ。あきらめた方がいい。そんな言葉はこれまで何度も言われ続けてきた。
『大丈夫だ』
まだ幼かったアヤノから差し伸べられた、あの手を。あたしは決して忘れない。
8年前、大事な人をみんな失って、カゲに殺されかけたあたしを、アヤノは救ってくれた。
自分も傷だらけだったのに、苦しくてしょうがなかっただろうに、それでもアヤノはあたしを、あの地獄みたいな場所から救い出してくれた。だから、
「たとえ、出来損ないと言われても、役立たずだと言われても、無能だ、無価値だと罵られても、あたしは候補生として食らいつきます」
そんなのは自分が一番よくわかっている。それでも、進み続けるんだ。
アヤノの隣にい続けるために。
「そうかい」
桐山さんは背もたれに体を預け、ふーっと長い息を吐いた。
「ならいいんだよ。聖女機関の聖女はいつだって人手不足。辞められると困るのってのが、お姉さんの本心だよ」
ニヒヒ、と桐山さんは笑った。
「ところで、話は変わるんですが」
「なんだい」
「あたしたちが最初にカゲに接敵したとき見たんですけど……」
「あー。生き残りの女の子のことだろう」
母親にすがって泣き叫んでいた女の子がいた。何度も何度も「お母さん」と叫ぶ姿は昔の自分を思い出させるものだった。
あの子はカゲに囲まれながら泣いていた。カゲがあの子に触れないわけがない。ということはつまり……
「あの子はカゲに触れて生き残った。見たら魔力の揺らぎが見えたよ。よってあの子も聖女候補生……養成学校に転校することが決まったよ」
それが幸せなことだとは、とても思えないけどね。
桐山さんは苦々しい顔でリンゴをかじった。
次でエピローグになります。本日中に投稿します。
ブクマ、感想、評価等いただけると嬉しいです。