第28話 エピローグ、魔女
深夜、とある山奥の廃工場。
人の立ち寄らぬその場所で、残虐な行為が行われていた。工場からは絶え間なく助けを求める悲鳴が発せられ続け、その声に応えてくれる者は誰もいない。
だだっ広い工場の中心にいる、高価なスーツを着た中年の男が悲鳴の主だった。
「もうやめ、助け――」
大の字になって汚れた床に寝転がる男は、絶叫しつつ身もだえするばかりで逃げ出そうとはしなかった。いや逃げ出せなかった。
彼の体のいたるところに透明なガラス板のようなものが貫通して、体を拘束していた。
彼の手足の先は、まるで強酸でもかけたようにどろどろに溶けて、原型をとどめていなかった。
男のそばには少女が一人、立っていた。白と黒の制服。見る人が見れば、それは聖女候補生の制服であると気づけただろう。
無表情のまま、彼女は男を見下ろしていた。
少女の瞳は、鈍い銀色をしていた。
どれくらいの時が経ったのか。男の口から悲鳴が聞こえなくなった。両肘と両ひざが溶け切った時点で、ついにショック死をしてしまったらしい。
「ちっ」
あっけなく死んでしまったことに、少女は大きな舌打ちをした。いらだちを表すように男を蹴りつける。その拍子にポケットから財布がずり落ちた。そこに入っている保険証には「灰村」という名前が記されていた。
ガラガラと、工場の扉が開く音がした。月明りが凄惨な殺人の現場を照らした。
少女は男から視線をそらして顔を上げる。
その顔が、激しくゆがんだ。
「やぁ、ルイくん。元気にしていただろうか」
緑色の髪をもつ少女――博士がそこにはいた。
*
博士は軽い足音を響かせながら、工場の中へと足を踏み入れる。
目の前にいるのは、自分に激しい憎悪を向ける見覚えのない顔の少女。その目が鈍い銀色をしていることを確認して、うんとうなずく。
「乗っ取りは無事成功したみたいだね。観測してはいたけれど、やっぱり、大事なイベントは直接この目で見たいものだからね」
灰村カサネの死体は、博士の指示で即座に手傷の少なかった聖女候補生に回収させた。そのとき、何も知らない候補生はカサネの体に触れた。魔法因子の“継承”を応用した肉体の乗っ取りについては、以前ルイと接触した際に伝えていた。
聖女が死んでも、しばらくは魔法因子が肉体に残る。カサネの精神は死んだが、もともと精神だけの存在だったルイは意識が残っていることを博士は観測していた。そのルイが、体の乗っ取りに躊躇しないことも。
そこにルイに体を乗っ取られた候補生への情はない。
博士が桐山佳乃に話したことには、いくつかの嘘が混じっていた。
灰村カサネは死んだ。
だが、灰村ルイはまだこうして生きている。
全て、博士の思惑通りに。
「殺す」
感情の抜けきった声とともに、ルイから不可視の斬撃が放たれる。カサネが佳乃の首を切断した一撃、その劣化版を。
「君には無理だ」
カサネであれば、博士のいる座標に斬撃を直接発生できただろう。だが、“分割”の本来の魔法の使い手ではないルイには自分を起点に発生させることしかできない。
これまでガラス板の形をとっていたのは、カサネが魔法の行使に不慣れだったからだ。本来、この魔法は物質の形状を取らずに、なんでも切断できる。
博士は右のポケットから取り出したナイフを振り上げた。甲高い音を立てて、“分割”の魔法が消滅する。
博士が手にしていたのは、桐山アヤノの所有していたナイフだ。“疑似継承”、ルイの魔法に対して、“聖剣”の魔法で対応した。
続けざまに博士は左手を前に突き出す。手首には腕時計が巻かれていた。そこから赤い血が染み出て細い槍の形状を作る。“血槍”の魔法、鋭い音を立ててルイへと放たれる。
槍はルイへたどり着く前に消滅した。蜃気楼のように工場の景色がゆがんだ。ルイを中心に、球状に“溶解”の魔法が広がる。ルイの足元をのぞいて、床が、壁が、男の死体が、屋根が、どろどろに溶けていく。
“溶解”の熱波とも言うべき攻撃が、博士を襲った。
「ふむ」
博士は右手につけた指輪に魔力を流す。
瞬間、博士の姿がその場から消えた。
「どこに」
「ここだよ」
“転移”の魔法。博士はルイと背中合わせになって立っていた。耳につけていたピアスに魔力を流す。
「がっ」
“強化”の魔法。博士の裏拳がルイのあごを打ち抜いた。そのまま、自ら溶かした工場の床へと倒れこむ――寸前にガラス板を作って底なし沼へ沈むのを回避した。
再びルイは斬撃を放つも、“転移”の魔法で逃げられる。
「魔法、魔法とそればかりじゃないか。ルイくん。君はもっと君の力を知るべきだ」
“浮遊”の魔法。空中にぷかぷか浮かぶ博士は呆れた表情を作って、ルイを見下ろす。
「どういう意味だよ」
ルイは博士のいる方を向いてにらみつける。その息は軽く上がっていた。
ルイはカサネの肉体のときには無尽蔵に魔法を使える気がしていた。だが、それはカサネが特別であっただけらしい。乗っ取った肉体は、カサネの時ほど万全に魔法を使うことができないでいた。
強く魔法を使えばすぐ息切れする。不便なことこの上ない。だから、頭を使って戦うべきだと思った。
この女の目的はわからないが殺さなくてはならない。ルイを罠にはめ、カサネを破滅に導いた張本人。
生かしておいていいはずがない。
「君は灰村カサネの生み出した副人格にして、“分割”の魔法が反転した“溶解”の魔法をもつ魔女だろう。ならば、魔女らしくこういう戦い方をすべきではないかな?」
ルイはカサネの記憶から、目の前の存在が使っているものが“疑似継承”のことに気付いていた。だから、ルイのように大規模な魔法の攻撃はしてこないと勘違いしていた。
それ自体は間違いではなかった。けれど、
「なっ」
宙に浮かぶ博士の背中から、黒いものが吹き出てきた。それはまるで翼のように大きく広がり、実体をもつ。
「こうやって、カゲを生み出して戦うとか」
翼から飛び出してきたのは獣の形をとったカゲ。ルイは“溶解”の魔法でもってそれを消滅させる。
博士の翼から、どろどろとこぼれるようにカゲがあふれ出てくる。多種多様な形状を取りながらルイに襲い掛かるカゲたちの群れに、ルイは何度も魔法を浴びせるが、きりがない。
激しい衝撃がルイを襲う。カゲの相手に手間取っている隙に、博士が翼で直接ルイを殴りつけたのだ。無様に地面を転がるルイに、
「まだまだ弱いな」
と言い捨て、上からカゲでルイを押さえつけた。ルイの体がカゲで埋まる。その上に博士は着地した。
「な、なんなんだお前は!」
ルイは叫ぶ。状況はすでにルイの理解を超えていた。ルイはカゲについて詳しく知らない。だが、聖女はカゲを生み出さないということは知っていた。
「魔女だよ」
短く、博士は答えた。
「ボクは魔女だ。それで、君には強くなってもらわないと困るんだ。……使い方が分からないなら教えてあげよう」
「んご――」
ルイの口に博士の翼がねじ込まれた。そこからカゲがルイの中に流し込まれる。
思考が白熱する。どす黒い何かがルイを侵食する。
カサネを失い、ルイは無力感に覆われていた。そのぽっかり空いた穴を博士のカゲが埋めていく。
「いいかい? 魔女はね、カゲを生み出し、そしてカゲを取り込むことで強くなるんだ。君は魔女だ。それも肉体と精神を崩壊させた魔女じゃない、ボクと同じ特別な魔女。魔女は魔女らしい戦い方を身につけないとね」
博士はルイの口から翼を引き抜く。ゲホゲホとえずくようにルイはせきこんだ。
「お前、何が目的だ! 俺に何をさせるつもりだよ!」
「おや、ずいぶんいい目をするようになったじゃないか」
博士の生み出したカゲが、闇に溶けるように消える。ドロドロに煮詰まったような憎悪と嫌悪の視線を博士に向ける。
「ボクが君にしてほしいことなんてないよ。君はただ、君のやりたいことをやりたいようにやればいい。それで、目的だったね。最近よく聞かれるんだけどさ」
空には大きな満月が昇っていた。月明りが妖しく博士を照らす。
にやりと笑って、博士は告げた。
「世界平和。ボクが望んでいるのはただそれだけさ」
文庫本1冊程度、これにて終わりとさせていただきます。ここまで読んでいただきありがとうございました。
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