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第24話 この関係に名前を付けるなら②

 音もなく、ガラス板が消滅する。


 ナイフを突き出した姿勢のまま、あたしは固まっていた。


「……え?」

 心臓を一突き。ナイフはカサネの薄い胸を貫いた。


 肉を突き刺し、骨を貫く嫌な感触がする、はずだった。



 はず、なのに。



「――ひどいじゃぁ、ねぇか、よぉ」

 肉を突き、骨を貫いたナイフは、心臓に達することなく消えていた。……違う。


 ぼた、ぼたと溶けた金属が、あたしの足元に垂れ、煙を上げた。あたしが手にしているのは、刃の中ほどから溶けたナイフ。


「カサネはさ、お前のこと、信頼してたんだぜ?」

 カサネの口から、まるでカサネと似つかない声が聞こえる。その顔は、あたしを心底憎たらしそうににらみつけていた。


 押しつぶされそうな、殺気がした。


「――っなんで」

 とっさにカサネから離れる。間欠泉から水が吹き上がるように。水のような形の魔力の奔流がカサネの目の前で突き上がった。それは天井を貫き、その先、校舎の屋上まで昇っていったようだった。


 魔力が消える。シュー、と天井から煙が漂う。濃厚だった血と硝煙の臭いが、空いた天井から流れ出ていく。天井の板は、強酸で溶かされたようになっていた。


 溶かす魔法。なんで? カサネの魔法はガラス板で物体を切る魔法じゃ……


「死ねよ」


 低い、怨嗟の声。分からない。何も分からない。カサネから広がるように、ガラス板が津波のように広がった。それは床も天井も関係なく、生者も死者も関係なく、その場にあるものすべてを飲み込み、破壊する。


 世界が揺れたようだった。足元が刻まれ、教室そのものが傾く。いや、


 教室そのものが崩壊した。


「ハナ!」

 目の前まで迫りくるガラス板の前にアヤノが躍り出た。聖剣でガラス板を相殺。密着したあたしとアヤノのすぐそばを、ガラス板の群れが通り抜けた。


 一階へ落下。床に倒れこむ。下の階もまた教室だ。ただし、天井は消え、代わりにどんよりと曇った空が見える。カサネは真下にあった机に着地し、あたしたちを見下ろす。


「なんだよ。まだ生きてんのかよ。気分わりぃな」

「あんた……誰」


 表情も、話し方も、やっぱりカサネじゃない。纏う雰囲気も、虚ろな感じが一切消え、獰猛な凶悪さが増している。

 カサネじゃない誰かは、顔を憎悪にゆがませる。


「は? カサネも、ハナさんには俺のこと話していたと思うけど? それとも何か。もう忘れちまったか? しょうがないよなぁ。カサネのこと、殺そうとするくらいだしなぁ。なんなんだよお前は。カサネのことが大事じゃなかったのかよ。クソが、クソクソクソ! なんで何もかもうまくいかねぇんだよ! あいつの言った通りにしたからか!? 俺が、俺が悪いのかよ! 違うだろ。悪いのは全部だ。何もかもが人間が、全部全部全部――」


 話しながら、わずかばかり残っていた冷静さが失せていく。独り言のように漏れ出る言葉の憎悪は深く、聞いているだけで気が狂いそうになる。

 ……カサネが話していた。その言葉で、ピンときた。


「あんたが、ルイ……?」

「気付くのが……おっせぇんだよ!!」


 濃密な魔力の気配。見上げると、カサネ――ルイの頭上に魔力でできた巨大な水球があった。それは今にも崩れそうにぶるぶる震えている。


「あああああああああああああああああッ!!」

 絶叫。ルイの叫びと同時に、水風船が一層激しく揺れた。あれにさっきの溶かす魔法が込められているなら。


「逃げ――」


 あたしとアヤノはみっともなく背を向けて走り出す。水風船は曇り空に打ち上げられ、弾けた。それは学校の敷地全部を覆うほどに広がり、すぐに全てを溶かす水の槍が、あたしたちを巻き込んで、校舎の全てに降り注いだ。


 *


 降り注ぐ雨を全て避けられる人はいるだろうか?



 いるはずがない。



 せめてもの幸運は“それ”が雨ほどの密集具合ではなかったということと、聖剣すら相殺するガラス板ほど理不尽な破壊力は持っていなかったことだろうか。


 不幸だったことは、それを雨と形容するにはあまりにも破壊力がありすぎたことだ。


「はっ……はっ……」


 3階建ての校舎の教室棟は完全に倒壊していた。もともとカサネの魔法で校舎の一部は刻まれていた。その上で、“溶かす水の槍”がまんべんなく降り注がれて、耐えられるはずもなかった。かろうじて特別教室棟だけが、穴まみれになりながら残っている。


 あたしとアヤノはギリギリのところで生きていた。走って逃げる。降り注ぐ雨はアヤノの聖剣で振り払った。振り払えない部分は、崩壊していく校舎のがれきを盾にしてどうにかした。


 今もがれきの山に隠れて、ルイの目から逃れている。


 遠くからルイの独り言と、何かを破壊する音が聞こえている。あたしたちを探しているのか、また自分の世界にこもっているのか。急にこっちに近づいてくる感じじゃない。

 時間はまだある。


「アヤノ、怪我は」

 無傷でやり過ごすことは到底不可能だった。溶かす水の槍から身を守ってくれたがれきは、同時にあたしたちを襲う凶器にもなった。


「……あぁ、どうにか、生きてる」

「痛みは」

「まだ、戦える……」


 会話がかみ合っていない。意識がはっきりしていない。アヤノの大きな怪我は二つ。右足の膝から足首の真ん中にかけて巨大ながれきに打たれての骨折。足が曲がってはいけない方向に曲がっていた。


 右胸上部、鎖骨の下付近を溶ける雨の槍をくらってできた傷。貫通はしていないけれど、大きくえぐれている。肉が溶けて煙が上がっている。それ以外に全身にカサネから受けた裂傷。


 応急処置をしなきゃ。右胸上部の傷は、酸のような性質の魔法だったからか、溶けた肉が傷口をふさいで今以上の出血はなかった。その代わりにゆっくりとだが溶ける肉の範囲が広がっている。放置すれば、溶けた箇所が広がって……死ぬ。生理食塩水で傷口を洗い流す? それとも溶けている肉をえぐり取る? とりあえず、対処が分かっている方から。骨折の方が先。足が曲がった状態じゃ、動くこともできない。


 腰のポケットから緊急時用の包帯を取り出す。近くに折れた箒の柄があったので使わせてもらう。箒をつかむあたしの手が痙攣している。激痛に目がチカチカして意識が飛びそうだ。


 左肩に槍をくらった。肩からひじの部分の皮と肉を溶かされて、骨が一部外に露出している。そのせいで、左腕が動かない。動かしたくても言うことを聞いてくれない。

 あたしの方が軽傷なのは、アヤノが自分の身よりもあたしを優先してくれたからだ。


「舌、噛まないでね」

 アヤノを地面に寝かせて、舌をかまないように口にハンカチを押し込む。曲がった足が空に向く形にする。まだ使える右腕をアヤノの足に沿え、一気に体重をこめた。


「――っ!! ――っ、――っっ!!」

「ごめん。我慢して」


 ゴキン。鈍い感触がしてアヤノの足をまっすぐになった。アヤノは苦しそうにばたばたと暴れている。目から涙がぼろぼろこぼれている。どうにか箒の柄を添えて、包帯を急いで巻く。


「こんなんじゃ足りないよ」

 緊急用の包帯では、足全体をカバーしきれない。柄が半分くらいむき出しの状態で固定を終える。


 アヤノは意識を失っていた。今にも途切れそうな浅い呼吸をしている。いつこの呼吸が止まって、死んでしまってもおかしくない。

 いや、このまま放置したら、アヤノは確実に命を落とす。


「アヤノ……」

 絶対に、死なせない。


 あたしの左手は溶けたナイフを固く握りしめていた。筋肉が硬直しているのか、ナイフが左手から取れない。右手を添えて疑似継承を試す……魔力が入っていく感じがしない。ナイフそのものがダメになってる。


「借りるね」

 アヤノの腰から別のナイフを取り出す。あたしがもらったものと同じ形のものだ。こっちは魔力が通る。

 それを右手で固く握りしめる。


 ルイの声が近づいてきている。さっきのアヤノの声を聞かれたのかもしれない。

 アヤノを生かすためにできること。



「守るんだ」



 昔、アヤノは魔女からあたしを守ってくれた。あの時みたいに。



「守るんだ」



 ケイ先輩から託されたんだ。仲間を守れって。



 手が震えた。痛みだけじゃない。怖い。ルイの魔法は、けた違いだ。

 切り裂く魔法も、溶かす魔法も。あたしの知るどんな魔法よりも強力で、理不尽。今あたしが生きているのは、単に運がいいだけ。


 できるのはせいぜい時間稼ぎくらい。……時間を稼いだところでどうなるの。それで何かが変わるわけじゃ――


「戦え!」


 今は弱音を吐く時間じゃない。あがけ。あがけばその分、アヤノが生き延びる時間が増える。そう信じてあがいて、戦え。

 弱気になるな。それじゃ見損なわれてしまう。


「カサネに」

 あの子の、可愛い笑顔を思い出す。


 立ち上がる。ルイの足音はもうすぐそこまで来ていた。

「カサネは、あたしを、信頼してくれていたんだ。ヒーローだって、言ってくれたんだ」

「カサネが、なんだって?」


 がれきの向こう側から、ルイが現れた。


 *


「あーまだ生きてたんだ。ハナさんもしつこいね」

 妙に落ち着いた、冷静さを取り戻した声だった。ルイはあたしと、後ろで寝ているアヤノを交互に見やり、骨の見える左肩を見て、最後に右手ににぎりしめたナイフを見た。

 冷めた顔で、ルイは深いため息をつく。


「今ので死んでくれてたらよかったんだけどなぁ。結局、俺の思い通りにはならないってことか」

「……聞きたいことがあるの」


 あたしに怒ったり、自分の世界に閉じこもったり、冷静になったり。ルイはあまりにも情緒不安定だ。けど、出会い頭に殺しに来ないなら、会話ができる、かもしれない。

 右手に持ったナイフをさらに固く握る。会話ができるなら、時間も稼げる。


「なんだよ」

 カサネの身なりでスカートのポケットに手を突っ込む姿は違和感を覚える。

 会話に応じた。なんでかは分からないけど、話すつもりはあるらしい。


「あんたの名前はルイ、でいいんだよね」

「そうだよ。俺はルイだ。この名前はカサネがつけてくれたんだぜ。自分の名前の『累音』から読み方を変えてな」


 カサネという名前を出したとき、ルイの表情はゆるんだ。でも油断は厳禁だ。薄氷の上を歩くように、ルイの怒りを買わないように会話を続けるんだ。


「……あんたはいつからカサネと一緒にいるの?」

「いつだったかな。カサネが2年生くらいの頃からか? 俺も俺の自我がはっきりするまで時間がかかったからな。いるのかいねぇのか分かんねぇ頃は長かったよ」


 2年生? きっかけは……いじめ? 


「次の質問。あんたはそもそも何?」

「俺はカサネの魔法が生み出した存在だ。最も、あいつは魔法を使ってる自覚はなかったけどな。……なぁ知ってるか? ハナさんよ」


 ルイの声が低くなる。穏やかだった表情が次第に険しくなっていく。


「俺ってやつはな、カサネが切り分けた気持ちの集合体なんだ。痛くて、苦しくて、辛くて、寂しくて、死にたくて、消えたい。そんな弱いあいつが生きていくためのおまじないの果てに生まれたんだ。あいつが普段、どんな気持ちで過ごしていたか。そして、あんたに会って、どれだけカサネが救われていたか。なぁ、分かるか?」


 ルイのにらみつけるような視線にたじろぐ。

「分かんないだろうなぁ。どうしてか、あいつは人から嫌われる才能ばかりがあったからなぁ。分かんねぇんだよなぁ。カサネはいい子だ。俺はそう思うんだが、どうしてだか他のクソみてぇな連中はそう思わねぇ。クソみてぇな目にあわせて、クソみてぇなことをして、クソみてぇな気持ちにカサネがなるんだ。そんなの、そんなの許せねぇよなぁ! ありえねぇよなぁ! 全部、全部全部全部全部全部っ! ぶっ壊して、ぶっ殺してもいいよなぁっ! あぁっ!?」


 だめだ。目玉がこぼれるほどに開いてルイは叫ぶ。怨嗟を、憎しみを、怒りを――カサネへの愛情を。

「許せねぇんだよ。カサネを傷つける全てが。だから、あんたも殺す。あんたはカサネを傷つけた。一等傷つけた。だから殺す」


 また。また、ルイは空気が抜けたように冷静になる。

「殺して、殺して、全部ぶっ殺したあとに俺も死ぬ。それで終わりだ」

 ルイがすっとあたしに手を伸ばした。魔法の起こり。溶かす魔法があたしに向けられる。


 発生と同時にかわす……だめだ。背後にはアヤノがいる。避けたら、アヤノに当たる。

 疑似聖剣。受けなきゃ。アヤノのナイフに魔力を通す。


「あ」

 不発だった。アヤノのナイフはわずかに光を放って、その光をすぐ失った。もう一度挑戦する時間は、もうない。


「じゃあな。ハナさん」

 ルイの手から魔法が放たれる。あたしの全身を包み込むように拡散する魔法。触れれば体が溶ける。

 死ぬ。今度こそ。何もできずに。そんな現実から逃げるように固く目を閉じる。


 なんで。なんであたしはこんなに弱い。なんでこんな役立たずなんだ。

 魔法を使えなくて、教わった疑似継承も失敗して、カサネも大事にできなくて、アヤノを殺させてしまう。


「魔法が」

 あたしがちゃんと魔法を使えたら。もしかしたらこんなことにはならなかったかもしれないのに。もっとあたしが強かったら。もっと――


「あれ?」

 訪れるはずの痛みが、死がいつまでたってもこない。目を開いた。

 赤。あたしとルイの間を遮るように、赤い壁が立っていた。血だ。ここに来るまでにさんざん見た血で、できた壁だ。


「ぎりぎりセーフ……いや、アウトかな。さすがに」

 壁の上から声がした。気の抜けたような、どこか安心する声。

 腰が抜けてへたりこむ。血の壁が消えて、あたしの前に立ったのは。


「桐山、さん」


「助けに来たよん」


 血の槍を手に獰猛に笑う桐山佳乃だった。


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