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第21話 スス被りの少女

 てっきり遊びから帰ってきたハナはご機嫌なものと思っていた。


 ハナが遊びに行ってしまった日。注意力散漫な一日を過ごしたアヤノは、ハナの帰りを待っていた。


「遅い……」

 時間はもう夜の11時になる。10時ごろスマホに連絡を入れたが、「そろそろ帰る」と短い連絡があったのみで、以降連絡はない。

 女性が夜に一人出歩くというのは危険ではあるが、ハナは候補生だ。悪漢数人に囲まれたところで、返り討ちにしてしまえるだろう。だから、一緒にいるのはハナと遊びにいったはずの誰か。


 いつもはとっくに寝ているはずのアヤノは、それが気になりすぎて眠れなかった。

 もう一度連絡をしてみるか。それとも、探しに出てみるか。ソファでスマホとにらめっこしながらうなっていると、玄関の方から鍵の開く音がした。


「帰ってきたのか。よかった」

 この家の鍵を持っているのは、アヤノとハナの二人だけ。ハナが帰ってきた。一度深呼吸をする。ハナに格好悪いところは見せたくない。


「あぁ、おかえ――」

 遅かったじゃないか。心配したんだぞ。そんな言葉を言おうとして、アヤノはとどまった。

「ごめん。遅くなった」

 帰ってきたハナの表情はひどく暗く、落ち込んでいた。


 *


「まずは体を洗ってくるといい」

 何があったのか聞きたい気持ちを抑えて、ハナを風呂に押し込んだ。ハナはアヤノの言われるがままだ。ふと、ハナの腕にブレスレットがついていることに気が付いた。ハナはアクセサリーの類は滅多につけない。朝もつけていなかった。


 何があったのかは分からないが、体を清めれば、気持ちも少しはリセットできるかもしれない。

 水の流れる音が聞こえ始めたことを確認して、キッチンへ向かい、ハーブティーを用意する。


「ほら、これでも飲んでくれ」

 お茶の準備をし終わった直後くらいに、ハナは風呂から上がってきた。もともと長風呂する質ではないが、それにしても早い。無言のまま、テーブルに座り、用意したハーブティーに口をつける。


「……おいしい」

「それはよかった」


 ハナの手にはブレスレットがついたままになっていた。わざとそうしているのか、それともそこに気が回らないくらい別の何かに気を取られているのか。

「以前、話したことを覚えているか?」

「話?」


 ハナの表情は暗いままだ。これまでは聞くまい、聞くまいと思っていたが、さすがにそれを続けるわけにもいくまい。

「もし、心配なことや悩んでいることがあったら、私に相談してほしい。私はハナの力になりたいんだ。私はハナに、そう言ったはずだよ」

「……そう、だったね」


 ティーカップを包み込むように持って、ハナは力なくつぶやく。水面に映る自分の顔を見つめた後、「うん」と頷いて言った。

「話すよ。最近、あたしにあったこと、全部」

「聞かせてもらうよ」

 長い話になりそうだ。アヤノは自分用に入れたハーブティーに口をつけた。


 *


「――そうか。そんなことがあったのか」

 話を聞き終える頃には、お互いカップの中身は空になっていた。博士との秘密の特訓のこと、カサネとの出会いのこと。いじめられないための特訓や親しみのこもった交流のこと。


 そして、ハナがカサネを傷つけてしまったこと。

 2杯目は甘いものにしよう。そう思ってココアを入れる。粉にお湯を入れて、隠し味にミルクを入れる。簡単仕様だ。


「……甘いね」

 ココアを飲んで、ハナはつぶやく。落ち込んでいるのは変わらないが、いくらかすっきりした様子でもあった。

 アヤノもまた、最近のハナの行動に合点がいっていた。博士の秘密の特訓とやらも気になるが、そちらについては詳しい内容までは聞かなかった。


 優先すべきはハナとカサネのことだ。

 ハナがカゲからかばった、中学生の女の子。もしかするとハナは無意識のうちに、いろいろなものとカサネを重ねてしまっていたのかもしれない。


 アヤノはハナに起こった事情は把握している。


 例えば、ハナの亡き弟。守りたかった弟の姿を年下のカサネに見ていたのかもしれない。

 例えば、アヤノとハナの関係性。8年前、アヤノはハナをかばった。それはアヤノが意図したものではなかったが、そこもまたハナとカサネの出会いと重なる。


 あるいは、とアヤノは思う。そういったもの抜きで、ハナはカサネという少女に心惹かれていたのかもしれない。

 チクリと胸が痛んだ。アヤノは自分の胸の中に、小さな嫉妬心が芽生えていることを感じた。ハナに対する独占欲。黒い感情を、アヤノは静かに押し殺す。


「失敗した。もっと丁寧に、カサネが傷つかないように話すべきだった」

 机に突っ伏して、今にも消えそうな声でハナは言う。


「ハナは、そのカサネとどうしたいんだ?」

「……やり直したい。仲直りしたい」

「まるで子どものけんかみたいだな」

「……かも」

 とはいいながら、実のところアヤノも同年代相手に激しくけんかをしたことはなかった。


 聖女候補生としての義務、桐山家という血筋はアヤノを人から遠ざけた。

 だからだろう。アヤノはハナに執着している。同年代の、気軽にいろんなことが言えるかけがえのない友人として。嫌われたくないから、アヤノはハナにいいところを見せたいのだ。


 けんか。友達同士のささいなけんかだとアヤノは思う。ハナとカサネがお互いの関係を表すうえでその言葉を使っていないことが不思議なほどに。


「また明日会えるだろう。そのときにもう一度話せばいいさ」

「……うん」


 けんかしたなら仲直りすればいい。簡単な話だ。そう言ってアヤノはハナを慰める。ハナはそんなアヤノに小さくうなずいた。

「また、明日」



 もう、そんな機会は失われてしまったのだと全く気付かずに。


 *


「行きたくない」


 翌日、ハナの前から逃げ出したカサネは重たい体をどうにか起こした。服装は昨日のまま。夜の街をめちゃくちゃに逃げ回って、帰ってきてからはそのままベッドに倒れこんだ。起床を告げるアラームはとっくに止めていて、急がないと学校に遅刻する。


 遅刻をすれば、また目をつけられる。先生にも、いじめっ子たちにも。だから、カサネはこれまで学校をさぼったことはなかった。


「ハナさん、どうして?」

 カサネの頭の中はハナからの言葉でいっぱいだった。ハナが自分の前からいなくなってしまう。告げられた言葉が何度も繰り返されてカサネの心を苛む。

 昨日はおまじないをする余裕もなかった。今からでもやろうか。机に置かれた鏡を見る。鏡には真っ青な顔の自分が見えた。


「ルイ、起きてる?」

『……』


 返事はなかった。ルイはいつも意識があるわけではない。むしろ、夜の時間を除けば意識があることの方が少ない。だから、返事がないことは何もおかしくない。

 一人でも感情を切り分けて、ルイに押し付けることはできる。


「でも、何を?」

 何を切り分ければいい? いじめで沸き上がった感情は一つ一つの出来事を終わったこととして切り分けられた。だけど、ハナとのことは終わったことじゃない。これから始まることだ。


 切り分けても、同じ感情がまた出てきてしまうんじゃないか?

「それに、ハナさんとのことを切り分けたくない」


 大好きな、大切なハナへの感情を切り捨てたくない。ぐちゃぐちゃな心で思う。

 習慣だろうか、気づけば体は勝手に制服に着替えていた。食事をとるためにリビングへ向かう。


「あ……」

 リビングには母がいた。カサネに背を向けて洗い物をしている。


 幼い日のことを思い出す。まだ両親ともにカサネを見てくれていた日のこと。カサネの思いを一心に受け止めてくれていた母のこと。

 何を話しても笑ってくれたお母さん。父の仕事が忙しくなり、両親が不仲になって消えてしまった家族の絆。

 カサネは母にいじめのことを話したことはなかった。



 だけど。



 もしかしたら、



 いつもであれば、決してやろうなどとは思わなかったこと。乱れた感情はあふれる寸前で、誰かに話さなければこらえきれそうになかった。

 だから。



「ね、ねぇお母さん。話したいことがあるの」



 今にも消えそうな、泣きそうな声で、カサネは救いを求めた。



「あとにして」



 返ってきたのはそんな、背を向けたままの冷たい母親の声だった。



 目の前が真っ暗になるような、プツンと糸が切れたような、そんな感覚。


 *


『人はね、苦難を乗り越えて成長するんだ』

 実のところ、ルイの意識は覚醒していた。カサネの内側から、カサネをずっと見ていた。


『カサネくんは周囲の人間より精神が幼いとは思わないかい?』

 決して信頼できないと思った人間の言葉を思い出す。


『それは彼女が、自分にとって苦しい感情をずっと切り分けてきたからだ。本来そういう苦しみを乗り越えて人は成長するものだけど、幸か不幸か彼女には魔法の才能があった。そのおかげで守られてきたことも事実だろうけれど、成長できなかったことも事実だ』


 ルイはカサネよりも精神年齢は高い。少なくともルイ自身はそう思い込んでいた。それがよくない感情を自分がずっと飲み込んできたからだと思えば、納得がいった。

 納得が、いってしまった。


『ほんの少しずつでいい。ほんの少しずつカサネくんによくない感情を流すといい。一気に流してはいけないよ。ほんのちょっとだ。それが苦難になってカサネくんを成長させてくれる』


 博士の助言をルイは聞きとどめるに納めていた。実行するつもりもなかった。ルイの中にため込まれたどす黒い感情を、大事なカサネに渡すなんてこと、できるはずがなかった。



 だから。



「あとにして」

 その言葉にカサネは反射的に魔法を使った。真っ暗な絶望を切り分けて、自分の半身に送る。


『人はね、苦難を乗り越えて成長するんだ』


 その言葉に納得がいってしまっていたルイは、その絶望を受け取らなかった。感情を流しこむのではなく、受け取らない。つまり、

 ルイはカサネを拒絶した。



 ――ルイはあくまでカサネの感情を切り分けて生まれた副人格だ。一つの人格としては未熟でいびつな存在だ。



 人との関わりがあまりにもなさ過ぎた。



 それゆえに、ルイはタイミングを間違えた。間違えるように誘導されて、見落とした。



 ハナの存在、ルイの存在、母親の存在。これらから全て突き放されたカサネの心情を、カサネの限界を、見極めることができなかった。


 *


 ハナから離別を告げられ、母から突き放され、ルイから拒絶された。


 プツンと何かが切れる音がして、真っ暗な絶望に堕ちる。


 ぐにゃりと、世界がゆがんだ。


 ジャー、水道から水の流れる音。母は娘に関心を抱く様子もなく、淡々と洗い物を続けている。テレビから流れる芸能人の笑い声が聞こえる。げらげら、げらげら、無節操で耳に響く。



 うるさい。



 そう思ったら、テレビの音が消えた。振り返る。

 大型のテレビは、斜めに真っ二つになっていた。ガシャン。倒れたテレビが大きな音を立てる。


「え?」

 母の間抜けな声。それでようやく母親の顔がカサネの方を向いた。



 ――それってつまり。



 ――カサネはテレビ以下の存在ってこと?



「お母さん」

 カサネは母親の方へ向き直る。母親はカサネを見た。何が起こっているのかまるで分っていない、そんな顔で。


 カサネの苦しみを一切理解してくれない、そんな顔で。


「さよなら」


 カサネはダランと力なく垂れ下がっていた腕を振り上げた。


 カサネの母親はきっと、何が起きたか理解する暇もなかった。


「ぇ」

 それが最後の声だった。母親の全身に赤い線が走る。失敗したジェンガみたいに、ばたばたとぶつ切りされた体が床に転がった。


 広がる血だまりを避けるためにカサネは後ろに下がる。

 しばらく母の死体を無表情に見つめていたカサネだったが、やがて興味をなくしたように視線を逸らす。自分の部屋に戻ってかばんをとる。


「学校に、行かなきゃ」

 頭のどこかから、誰かの叫ぶような声がした。カサネを心配する声。うるさい。そう思うと声は聞こえなくなった。


「あは」


 気づけばカサネは笑っていた。心が軽い。初めての感覚だった。


 学校に行くのが楽しみだなんて思うのは、いつぶりだろうか。


 微笑みを浮かべるカサネの体からはうっすらと黒い煙が、ススがこぼれてきていた。


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