第2話 カゲ と セイジョ②
始まりは1868年。長い江戸時代が終わり、明治時代が幕を開けた頃なのだという。
いや正確には、それよりずっと昔から“カゲ”と呼ばれる存在はいて、当時は呪術師や山伏、あるいは神社やお寺がその役割を担っていたということだ。
ただ、日本でカゲが爆発的に増えたのが、1868年だった。それを第一次魔法大災と呼び、災害を鎮圧したのが、昔の“聖女機関”だったということらしい。
そこから明治政府と機関がつながって、もともとあった組織と合体して、名称を変えながら今に至る、とはあたしが機関の養成学校の頃に聞いた話。今のあたしたちには縁遠い話だ。
家を出たあたしたちは、1時間弱の運転の後、今日パトロールする地区まで来ていた。国家からお墨付きをもらっている超法規的組織である“聖女機関”は様々な特権が与えられている。まだ16歳のあたしが車を運転しているのもその一つだ。お酒だって飲んでもいいらしい。飲んだことないけど。
職務のためなら、大っぴらに武器の携行を許されている。
「いつも悪いね」
「いいってことよ」
運転はあたしの仕事だ。許可自体はアヤノももっているし、あたしの階級が下だからというわけでもない。
ただ、アヤノは運転が非常に荒い。できれば、アヤノの運転する車には乗りたくない。……アヤノ自身は自分の運転の荒さに気付いていないけれど。
「今日はN地区のパトロールか。初めての場所だね」
「あぁ」
N地区は学校や背の低いビルの多い、人通りの多い地区だ。交通の便もよく、道行く人は多い。
聖女候補生の仕事はカゲの討伐だけではない。カゲの発生の前兆である“スス”を見つけるためのパトロールも、大事な任務の一つだ。
上の方で配置換えがあったらしく、今日回る場所は今まで回ったことのない地区だった。
道の向かい側から、聖女候補生ではない普通の学生たちが登校しているのが見えた。数人で連れ立って楽しそうにおしゃべりをしている。周りにまるで注意を払っていない。隙だらけな姿を、あたしはぼんやりと遠くから眺めた。
「うらやましい?」
「ん?」
あたしの視線に気付いたのか、機関専用の地図アプリを開いていたアヤノが声をかけてくる。
「うらやましいって?」
「あの子たち。さっきからずっと見てるから」
「いや、うらやましくはないよ。ただ隙だらけだなーって」
「それは当然だろう。あの子たちは私たちと違って、候補生じゃないんだ。カゲと戦うための訓練なんてやっていないんだから」
分かってはいるはずなんだけど。なんだか今日のあたしは少しおかしい。いつもはあんな子たちのこと、軽くスルー出来るはずなのにな。
その時、学生たちの一人があたしたちの姿に気付いた。彼女はアヤノに一瞬見とれて、それからすぐあたしたちの制服とつけている腕章、物々しい武器を見た。
「ひっ」
短い悲鳴とともにその子は他の子たちに耳打ちをする。彼女たちの顔には恐怖が浮かんでいた。そそくさと道の端によって、あたしたちと目を合わせないようにする。
そんな対応には慣れているはずなのに、冷たいものが胸に入りこんでいくような気持ちになった。拳をぐっと握りしめて、あたしも自然に見えるように彼女たちから視線を外す。
彼女たちが通り過ぎてからしばらくして、アヤノが口を開いた。
「どうやらこの地区は、聖女機関や聖女に対する偏見や恐怖が根強く残っているらしい」
あたしたちを避けるような反応は、別に彼女たちだけではないし、珍しくない。大人も、子どもも半数以上の人があたしたちから距離を取り、目を合わせないようにする。
これはあたしたちが物騒な武器をもっていることだけが原因じゃない。
「みたいだね。当然、そうじゃない人もいるけど」
一握りだ。ごく少数のお年寄りが、あたしたちを見て深々と頭を下げている。
聖女機関に対する世間の反応は、遠ざけるか、敬うかのどちらかだ。
「あー、そっか。アヤノ、ここは先月第2種魔法災害――カゲの被害が出たところだよ。死者も出てる」
「そういうことか」
アヤノの開いていた地図を横から覗き見る。地図には、カゲやススの発生予測や過去の発生事例がのっている。
N地区の3月の被害に、一般被害6名、聖女候補生被害1名とかかれていた。ここにおける被害は、怪我や負傷のことは指さない。被害イコール死者だ。
「頑張ったんだね」
第2種魔法災害が起きて、一般人が6人しか死んでいない。とても少ない数字だ。きっと死んだ候補生や仲間たちが奮戦したんだろう。
「ていうか、この地区で死傷者が出てるなら、教えておいてほしいよね。桐山さん、ちょっと雑すぎ」
あたしたちの監督役を務めている聖女を思い浮かべる。いつもやる気のなさそうな顔でゴロゴロしている変人34歳だ。名前を桐山佳乃という。
「……誰が死んじゃったんだろ」
「さすがに、私たちの知っている候補生ならあの人も伝えてくるだろう。桐山一聖はそこまで適当じゃない。大方、私たちを試しているのか、変な気の使い方をしているのだろう」
「ありそう」
養成学校時代に仲の良かった子を何人か思い浮かべる。養成学校を卒業したあとは全国いろいろなところに派遣されるから、この地区を担当するような子はいなかったはず。最も、仲良しだった子たちのうち、半分くらいはすでに死んでしまっている。
どうしてあたしはまだ生き残っているんだろう。ネガティブな思いを、首を振って振り払う。
「とにかく、今はススを探そう。目撃情報もかなりある」
「りょーかい」
ススはカゲがカゲになる前のものだ。カゲは人の負の感情が寄り集まって生まれると言われていて、ススはカゲが生まれそうなところでよく見られる。
特に薄いススは、聖女か候補生にしか見えないことも多いから、あたしたちがこうやってパトロールをする必要がある。
しばらくあたしとアヤノは無言で町を歩いた。スマホの地図を見ながら目撃情報の多かったところを探す。
「あった」
「どこだ。……あぁ、大丈夫だ。私にも見えた」
30分に1回くらいの頻度でススは見つかった。ススは真っ黒な塵の集まりのような形をしていて、空気中をふらふらと飛んでいたり、建物の隅にこびりついていたりする。
ススは見つけ次第、排除が基本だ。ススは害があるものではないけれど、集まるとカゲに変わることがある。
「さすがだな」
アヤノはそう言ってほほ笑む。ススを見つけるのはたいていあたしが先だ。同じ聖女や候補生であっても、気付ける力には差が大きい。目の前を飛んでいても、気付けないときはどうやったって気づけない。あたしがアヤノに勝てる数少ないものがこのススの探知能力だった。
最も、同じ小隊で後輩のナオの方が、この探知能力は高いんだけど。
「私がやろう」
今回、見つけた場所はコンビニの壁だ。薄いススがびっしりと張り付いている。
アヤノが腰のナイフを抜いたのを見て、あたしは店内に入る。
「すみません。聖女機関の者です。ススを見つけたので、除去をさせてください」
「えっ……あ、わ、分かりました」
バイトらしい男の人はコクコクを頷いた。店長とかに聞かなくてもいいのかな。まぁ、聞いて断られたところでやることは変わらないけど。
聖女機関の活動の妨害は犯罪である。
「許可もらったよ」
「ありがとう」
アヤノは抜いたナイフに魔力を走らせる。ナイフが薄い光を帯びた。その刃を壁に向かって軽く振るう。
すると、ナイフの刃から光が広がり、薄いススは蜘蛛の子を散らすように消えていった。こびりついたススがまだ残っていたので、1回、2回とナイフで切りつける。
「よし。こんなものだろう」
アヤノはススが完全に消えたことを確認して、深く頷いた。
「あ、終わりました」
「え、もう?」
あっけなく終わったスス退治に、バイトの人はあっけにとられている様子だ。
「相変わらずすごいね」
「慣れてるだけだよ」
とアヤノは謙遜するけれど、あたしが同じようにやろうとすれば、アヤノの5倍はナイフを振らないといけないだろう。最も簡単なスス退治ですら、あたしとアヤノの間には越えられない差がある。
「そろそろいい時間だけど、どうする? もう少しパトロールを続ける?」
スマホの時計は11時45分を指していた。さすがに歩き疲れて疲れた、なんてことは普段から体を鍛えているからないけれど、おなかは空いてくる。パトロールは午前中までだし、どこかでお昼ご飯を食べてから戻ってもいいかもしれない。
「そうだな。朝はトーストだったから和食が食べたい。せっかく初めて来たところだから、おいしいお店を探して――」
おなかが空いていたのはアヤノも同じらしい。肩の力を抜いて、スマホでお店を調べようとした時だ。
ビービービーと、あたしとアヤノのスマホが同じ音を鳴らした。瞬間、アヤノの目が鋭くなる。そしてそれはたぶんあたしも同じ。
『F県N地区にて、第3種魔法災害発生。詳細な位置は下記を参照せよ。対応はアヤノ小隊とする。アヤノ一補、ハナ三補は速やかに事態の鎮圧に向かうべし。ケイ二補、ナオ二補もM地区のパトロールをやめ、速やかにN地区へ向かうべし』
第3種魔法災害。カゲが発生した。素早くくわしい位置を調べる。
「どっちが速いと思う?」
車が速いか、走った方が速いか。N地区内といっても広い。車を取りにいく。タクシーを探す。走っていく。大事なのは最短で現場までたどり着くこと。地図を見つめて数秒考える。
「上を走ろう。ここからなら10分でいける」
「同じ考えだ」
発生場所は頭に叩き込んだ。そこへ向かうための道筋も。スマホをしまい、魔力を励起して、下半身に集中、脚力を高める。
姿勢を低くして、飛んだ。重力の抵抗を振り切って、空中にあたしとアヤノが二人。アヤノが無言のまま、進行方向を指さす。
ちらりと下を見ると、今度こそバイトの人が腰を抜かして倒れていた。そんなバイトの人も随分小さく見える。
混み入っていて、曲がり道の多い下の道を走るより、上を走った方が圧倒的に速い。まずは道路の向かいのビルの屋上に向かう。屋上が傷つかないように、魔力で保護しながら着地。またすぐ高く飛ぶ。
「急ごう」
「うん」
短く言うアヤノに、あたしもまた短く頷いた。
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