第12話 あって当たり前であるべき幸福な話
夕方の公園。カサネは公園にあるベンチで数学の宿題を解いていた。よく集中していて手は止まっていない。
あたしも。
カサネの隣に座ったあたしは、膝に置いたナイフに触れて目を閉じる。あたしの中にあるアヤノの魔力の波長を感じ取る。……できた。あたしの魔力をアヤノの魔力の波長に合わせる。……多分、できた。次。波長を合わせた魔力をナイフにそっと流し込む。
目を開ける。ナイフに変化はない。
「残念」
また失敗だ。目を閉じる。もう一回。
――博士からの説明の後、あたしはアヤノの血を飲み込み、疑似継承の練習を始めた。それで分かったことは、あたしは今まで魔力をものすごく大雑把にしか操っていなかったということだ。
養成学校の頃から今に至るまで、魔法が使えない分、魔力そのものの操作には時間をかけて取り組んできたつもりだった。だからこそ、他の候補生たちよりも魔力操作には長けている気になっていた。肉体強化にかかる速度や強化度合い、弾丸への魔力付与なんかにはかなり自信もあった。実際、アヤノは規格外としても他の候補生たちより魔力の扱いは上手だったし、桐山さんからもそこは評価されていた。
しかし、魔力の波長を合わせる。これはあまりにも次元の違う難しさだった。これまではボールを正しい場所に投げろと言われていたのに、突然精緻なジグソーパズルを組み立てろと言われているような。そんな感覚。
それでも博士に言わせれば、あたしは飲み込みが早い方らしい。実験で他の聖女にさせたことはあるけれど、波長をつかむことすらできなかった者がいるくらいだと。
それから1週間。アヤノをはじめとした他の人たちから見つからないようにしながら練習を続けている。カサネと会いに公園に行くのも、疑似継承の練習にちょうどいい用事になっていた。
失敗。集中。波長を合わせて、魔力を流す。失敗。集中。波長を合わせて、魔力を流す。失敗。集中。波長を合わせて――
博士はトライアンドエラーで繰り返しやることが大事だと言っていた。これまでの魔力操作のやり方をゼロから見直すつもりで、繊細に、慎重に。
ずっとやっていると、魔力の細かな動きがだんだんと見えてくる。閉じていた目を開くように、理解できていなかった、理解できていないと気付いてさえいなかったものが理解できるようになる。
「ハナさん?」
「――あ、宿題終わった?」
「はい。見てください」
隣からカサネが顔を覗き込んでいた。差し出された宿題のノートを受け取る。
疑似継承の練習という目的があるとはいえ、なんだかんだでカサネとは毎日会うようになっていた。学校の終わった放課後から日が暮れるまでの時間だ。自分を変えたい。そう言っていたカサネは、手近なもの。勉強や運動から変わろうとしているらしかった。
「……うん。全問正解。ちゃんと教えた通りにできてるよ」
「やった!」
ノートを抱きしめ、にっこりとほほ笑む。カサネも初めて会った時と比べると格段に表情がよくなった。あたしの前だけかもしれないけれど、表情豊かになったと言うべきか。
カサネを最近見ていて思う。
「カサネは要領が悪いわけじゃないんだよね」
「ん? どういうことですか?」
こてんと、首をかしげるカサネ。きらきら光る髪がさらりと揺れる。
「勉強も一度教えたことはすぐに理解してできてるし、運動だってセンスあると思う」
正直な感想だった。カサネは真面目で優秀な生徒だ。あたしの言うことを素直に聞いて、そのまま実践する。自分の中で消化しきるまで自己流のアレンジを加えないし、できていないと分かったことはすぐに修正できる。
運動だって同じ。筋力が足りなさはどうしようもないけど、それ以外のセンスの部分で十分カバーできてる。あたしもあんまり詳しくないけど、これなら何かの運動部に入ってもレギュラーになれるように思える。
愛嬌だってある。顔立ちも整っているから、正面向いて堂々とするだけで受ける印象はがらりと変わる。言いどもる癖も、あたしの前ではほとんどなくなった。
あたしの教え方がいいのだ、なんてうぬぼれるつもりはない。カサネは間違いなく「できる子」だ。
「だからこそ、腑に落ちない」
こんなに飲み込みのいいカサネが、なぜできない子扱いされていじめられるのか。
「今更だけどさ、勉強とか、運動とか。あたしに教わる前はどうしてたの」
「それは……」
カサネの表情が一気に曇る。本当に、表情がコロコロ変わる子だ。抱きしめるノートの端がくしゃりと曲がる。
「学校の授業は、いじめられてるせいで集中できなくて。それで分からないことが出てきても、聞きに行けなくて」
「先生からは来てくれなかったの?」
「ずっと他の子ばっかりで。カサネには、全然。友達も、いなくて。だから勉強、ハナさんが教えてくれるまで一人で、どうにか」
「じゃあ運動も」
「はい。いじめてくる子の目が怖くて。見られてるって思うと体がうまく動かなくて」
つまり、いじめっ子の目が気になって、つまずいた。そのつまずきをこれまで誰にも相談できなかったと。
負のループだ。いじめられて、自信をなくして、できるはずのことができなくなる。それが原因でまたいじめられて、自信をなくす。
カサネはこんなにいい子なのに。
「カサネはもっと自分に自信をもっていいと思う」
「自信……カサネに持てるでしょうか」
うじうじ。こういうところは変わらない。
「持てるかどうかじゃなくて、持つの。まーあたしが言えた義理じゃないけどさ」
「そんな!」
「おぉう」
カサネは過去一大きな声を出す。頬を赤く染め、あたしにまっすぐな視線を向ける。
「ハナさんこそ自信をもつべきです! カサネ、ハナさんと出会って本当に良かったって思ってるんです!」
「そっか。そうかな」
カサネのまっすぐすぎる純情が、胸を打つ。ド直球な言葉が恥ずかしいというか、照れるというか。いけない。あたしの顔も赤くなってる気がする。
「よ、よし! じゃあ気晴らしにちょっと遊ぼう。バレーボール持ってきたんだ」
パンと手を打ち、バッグからビニールのバレーボールを取り出す。空気を吹き入れて膨らませ、ポンとカサネに向かって放り投げた。
「ほーら、カサネちゃん、取っておいで!」
「ちょ、ちょっと待ってください! まだ準備が! というかカサネは犬じゃないですよ!」
宿題のノートをバタバタと片付けているうちに、ボールは公園の隅へ転がっていく。楽しそうに笑いながら、カサネはボールを取りに行く。
「仕返しです! えい!」
見様見真似でカサネは、ボールを下から打ち上げる。遠くに飛ばすつもりだったのだろうが、ボールはあたしの手前右側にそれて飛んでいく。
「あれ?」
「ボールの当て方がおかしいんだよ。あたしがやるのをよく見ておいて」
昨日ネットで調べ、早朝アヤノがまだ寝ているときにこっそり練習したアンダーサーブをやって見せる。成功。ボールはカサネの手元に飛んでいく。
カサネは打ち返さず、ボールをキャッチした。
「そこは返さないと……まーいいか。じゃ、サーブの練習ね」
「はーい」
数回やれば、カサネはすぐにコツをつかむ。レシーブのやり方も一緒に教えていく。
「じゃあ今度は二人で何回続くかしようよ。50回続いたら、ジュースおごってあげる」
「頑張ります!」
日がだんだん沈みかける公園に、ボールを打つ音とあたしとカサネの笑い声が響いた。
あたしは候補生としてカゲと戦う使命がある。カサネは学校でのひどいいじめがある。けれど今だけは全てを忘れてボールを追いかけることに夢中になっていた。
*
「約束のジュース、どれがいい?」
ところどころ危ういところがありつつも、ラリーはなんと100回近く続いた。いい汗かいたと、近く自動販売機へ向かう。
「カサネはこれで」
カサネが選んだのはカルピス。あたしは目についた謎メーカーのスポーツ飲料を選んだ。
「なんですかそれ」
火照った体を冷やすため、カサネはおでこにカルピスを当てている。
「こういう謎の飲み物って、他よりちょっと値段が安いよね」
そう言いながら、謎のスポドリを一口。……変に甘ったるい。
「おいしくない」
「変なの選ぶからですよ」
ごくごくごくと、カサネはカルピスを一気に飲み干す。制服まで汗でぐっしょりだ。
長く遊んでいたから、日が傾いてだいぶ暗くなってきている。街灯もすでにつき始めていた。
「そろそろ帰ろうか」
「……はい」
カサネの表情が暗くなる。やっぱりこの子は分かりやすい。
「学校は無理かもしれないけどさ、家族とか親戚とか、近所の人とかで信頼できそうな人はいないの?」
せめて学校以外で、心安らげる場所はないのだろうか。カサネは眉をひそめ、むむむと考える。
「ハナさん以外で、ですよね」
「そりゃ、まぁ」
今は毎日カサネと会うことができている。傷のあるおなかに手を当てる。傷が治ったら、あたしはまた訓練と任務の日々に戻らないといけない。今は時間があるけれど、そうなったらこれまでのようにカサネとずっと一緒にいるわけにもいかなくなるだろう。
そのあたりの話をあたしはカサネにしていない。なんとなく、するのを避けてしまっていた。
「誰にも、言わないでほしいんですけど」
かなり悩んだ後、カサネは口を開いた。
「一人だけ、いるんです。ハナさん以外で、カサネにも信頼できる人」
「そうなんだ。それはよかったけど」
ひっかかる言い方だ。
「その人は、カサネの……なんていうんでしょう、姉、みたいな人で。カサネのことをすごく大事に思ってくれていて、いつも守ってくれるんです。カサネも、その人のこと大好きで。きっとその人もカサネのことを好きで、いてくれています」
「いい人だね」
なのにどうしてカサネの表情は、曇っているんだろうか。
いつも守ってくれているのなら、その人はあたしのようなことはしなかったのだろうか。
違和感はある。疑問もある。けれど、懸命に伝えようとしてくれるカサネに、踏み込んで聞き出すことはできなかった。
「もう暗いですね。カサネ、帰ります」
「うん。また明日」
「……っ! また明日、です!」
ぶんぶんと手を振ってカサネは帰路につく。その足どりはゆっくりで、この時間が終わるのが名残惜しそうだった。




