第1話 カゲ と セイジョ①
夢を、見ていた。
それが分かったのは、そこがあたしの知らない教室で、知らない二人が楽しそうにしている様子を、ただ見ていたから。
そこにいる自分がいるという実感のない空間。体はない。あるのは、目の前に広がる空間と、聞き取れそうでまるで聞き取れない二人の会話だけ。教室の端は不思議と揺らいで見える。匂いや、空気の動く感覚はない。
頭にぼんやり霞がかったみたいで。あたしがだれで、今まで何をしていたのか。思い出せない。
女子高生くらいの子たちだろうか。同じ制服を着ている。一人は長い黒髪で、もう一人はくせのある茶髪の子。スマホに視線を向けながら話している。きっと仲がいいんだろう。信頼しあっているんだろう。目があっていなくても、お互い気にする様子はない。時折、クスクスと笑っているのが分かった。
夢だからか、二人の顔はぼやけてよく見えない。だけど、あたしはこの二人に見覚えがある気がした。毎日見ている、大事な――とても大事だった誰かだったような気が。
夕日が窓から差し込む。たくさんの机と黒板を、夕焼け色に染めて、二人の顔も同じ色に染まる。
「――そろそろ出よっか。××が見回りくるかもだし」
「そだね。結局どこ行く?」
「んー」
不意に声が鮮明になる。何を言っているかが分かる。二人は立ちあがって教室の出口へ向かう。
「とりあえずご飯食べよ。××でいい?」
「オッケー」
待って。
そんな思いが胸にこみ上げてくる。ひどく苦しい。どうして? いやだ。行かないでほしい。まだ、この二人を見ていたい。出会ったこともない、夢の中の二人にそんなことを思うなんてどうかしてる。でも、でも、でも!
見えないあたしの手を伸ばす。当然、その手は二人に届かない。腕自体ないんだから、当たり前。焦りがあたしをせかす。この気持ちはなんだ? どうしてあたしはこの二人を――
頭の中が焦りと恐怖でいっぱいになって、おかしくなってしまいそうになる。
「いこ?」
二人は指をからめるようにして手をつないだ。夕日があたしをすり抜けて、照らされた二人が隣り合う。二人の頬がほんのりと赤くなる。見えていないのに、それが理解できた。
よかった。
いつの間にか焦りと恐怖はすっかり消えて、存在しないはずの伸ばした手をあたしはおろしていた。じんわりと目元が熱くなる。
『――』
何かをやり遂げた気持ちになって、安心した。見知らぬ教室で、あたしは出ていく二人を見送る。
『――ナ』
やり遂げた。
あたしは、何をやり遂げたんだっけ。あたしは、何をしていたんだっけ。そんな疑問が頭をよぎる。でも、そんなものは外側からぼろぼろ崩れるみたいに消えていく。あたしをかろうじて組み立てているものが、壊れていく感覚がする。
二人はお互いに見つめ合い、口を開く。
「ねぇ、――」
彼女は、誰かの名前を呼んだ。
『――ハナ』
パチンと、幸せな光景は閉じて消えた。
*
「ハナ」
「ん――」
聞きなれた声がした。目を開けるとそこには一人の少女がいた。
長い艶のある黒髪があたしの顔の近くまで垂れている。透き通るような赤色の瞳が、寝ぼけたあたしを映している。
「……あー」
ぼんやりとしたまま、数秒、少女を見る。この子の名前は――それでようやくあたしの脳みそは覚醒した。
「あっ、お、おはよう! アヤノ!」
「うん、おはよう」
とにかく顔のいい少女――アヤノは返事をして微笑む。普段は凛々しいのに、笑うとこんなにかわいい。反則だ。
それに比べてあたしは……寝起きだったとはいえ、アヤノの顔を忘れるなんて。多分、起きる直前まで見ていたあの夢のせいだ。
今いる場所はあたしとアヤノの寝室で、夢のあの場所じゃない。うん、ちゃんと目は覚めてる。
「珍しいね。ハナが寝坊するなんて」
あたしが起きたことを確認したアヤノは、ダイニングスペースに行きコーヒーを入れる。沸騰したお湯が豆に注がれ、気持ちのいい香りがこっちの部屋まで広がる。
時計の針は7時15分を指していた。いつもの起床時間は6時30分。つまりたっぷり45分も寝過ごしていたことになる。
「起こしてくれたって良かったのに」
ついアヤノに恨み言を言ってしまう。
「昨日は遅くまで訓練していただろう? 疲れもあるだろうから寝かせておいたんだ。それに、朝食の準備は私一人で問題ない」
そう言いながらアヤノはダイニングテーブルにご飯を並べていく。程よく焼いたトーストにオニオンスープ、ソーセージにサラダ。テーブルの真ん中には数種類のジャムが置かれていた。
すでに朝食の準備が終わっている。今日の当番はあたしだったのに……
「うぅ、ありがと」
アヤノのやさしさと手際の良さが胸に染みる。好き。二段ベッドの下から降りて、ダイニングへ向かう。
「あれ?」
そこでアヤノが何かに気付いたと声を上げた。
「ハナ、泣いていたのか?」
「へ?」
あたしは目元に手を当てた。アヤノの言う通り、あたしの目から涙がこぼれていた。今も少しだけ涙が流れている。
「なにこれ」
「嫌な夢でも見たのか?」
「夢……」
あたしは夢を見ていた。何かとっても大事で、特別で、忘れてはいけないような。
でも、
「見てた、と思うんだけど。なんだっけ。忘れちゃった」
「なんだそれは。でもまぁ、夢だからな」
覚えていたはずの夢の内容は、思い出そうとすると溶けるように消えていってしまった。あたしはどこかにいて、何かを見ていた……はずなんだけど。
アヤノの言う通り、夢は夢だ。現実とは関係ない。
「それより、ごはんの準備ありがとね。明日はあたしがするから。まずは食べよう」
「そうだな」
両手を合わせていただきます。アヤノが作ったのだ。ごはんは当然おいしい。
「昨日は何時まで?」
食事中、アヤノが聞いてきた。
「夜の……11時過ぎくらいかな。それからこっちに戻ってきて、お風呂とか入ってたから、寝たのは12時くらい」
昨日は午後5時まで“機関”のスペースで、小隊4人で訓練をしていた。それから一度こっちの家に帰ってご飯を食べて引き返した時間が7時。大体4時間くらいは自主練習をしていた計算になる。
「根を詰めすぎじゃないか? 無理しすぎると体を壊すぞ。ただでさえ、通常任務もあるんだから」
アヤノはとても健康的な生活をしているから、夜は特別な任務がなければ9時には眠りにつく。睡眠と食事は体の資本、とはアヤノの言だ。
「……あたしは、アヤノと違って出来が悪いからさ。他の聖女候補生よりもたくさん訓練をしないと」
「それは……」
ちょっと無理して笑みを作るあたしに、アヤノは口ごもる。いつものことだ。アヤノはあたしのオーバーワークを注意して、あたしは自分の出来の悪さを語る。
アヤノはいつも正しく、正直だ。だから、嘘や安っぽい慰めの言葉は絶対に言わない。
アヤノはあたしの出来が悪いことを軽々しく否定しない。
それが嬉しくもあり、苦しくもある。
「何より、あたしが足を引っ張るのだけは絶対にダメだしね。アヤノやほかの二人を困らせたくないし」
「そうか」
ごまかすように、アヤノはトーストをかじった。
*
朝食の後、歯を磨くついでに鏡の前で身だしなみを整える。鏡に映るあたしは、アヤノと比べると地味な外見で、とんでもない美人のアヤノといても釣り合わない。くせのついた茶色の髪も、紫色の目も、特徴のない顔のパーツも、比べてしまってどうしても好きになれない。
顔を洗って、スキンケアと髪のセットを簡単にして制服に着替える。
セーラー服と修道服を足して2で割ったようなゴシック調の制服は、ただの制服に見えて実はすごい。動きやすさと体の防護性を兼ね備えたスペシャルな服らしい。それを身に着けて、最後に腕章をつける。白地に金の刺繍が施された腕章には、3本の線が入っている。
「準備は終わった?」
「うん。あと少し」
様子を見に来たアヤノも同じ制服と腕章をつけている。ただし、アヤノの腕章の線の数は1本だけ。誰が見たって分かるあたしとアヤノの差だ。あたしが三補で、アヤノが一補。ぎりぎり候補生として滑り込めたあたしと違って、アヤノは候補生の中でもエースの扱いだ。
制服を身に着けて最後。腰のベルトにナイフと拳銃を装着する。アヤノはそれだけ、あたしは追加で近距離用、狙撃用のライフルと刀を装備する。
「お待たせ」
アヤノは先に玄関で靴を履いて待っていた。おいていかれないようにすぐにあたしも玄関へ向かう。
今は2032年の4月。今年で高校2年生になるあたしとアヤノは、1年前からこの新築の1LDKの部屋で二人暮らしをしている。学校には行っていない。生活費も食費も何もかも、全部あたしたちは出していない。それはあたしとアヤノが聖女候補生だからだ。
“聖女機関”。
それがあたしたちの所属する国家組織。“カゲ”と呼ばれる人殺しの化け物から日本を守ることが目的だ。
「行こう」
そして、カゲと戦うのが聖女の仕事で、あたしとアヤノはその候補生。
命をかけてカゲと戦い、滅ぼすこと。それがあたしたち聖女候補生の使命だ。
1章(全5話)が終わるまでは隔日投稿します。
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