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第九話:真実と嘘

――テーマ:成長への苦悩


 月曜日の放課後、花音は校舎の裏にある小さな芝生の広場にいた。

 風が強く、桜の花びらがいくつか宙を舞っていた。


 もうすぐ、全校生徒に対する調査が始まる。

 黒田透の名前は、もはや校内の誰もが知る「火種」になっていた。


 


 そんな中、職員室の扉が開いた音がして、彼が現れた。


 スーツのジャケットは手に持ち、ワイシャツの袖をまくった姿。

 疲れてはいたが、そこにあったのは“逃げる者の背中”ではなく、どこか吹っ切れた表情だった。


 


 「……小山。話がしたい」


 彼は真正面から、花音に目を向けてそう言った。


 


 無言で頷き、二人は芝生のベンチに並んで座った。


 「俺が君に不公平な態度を取っていたのは、事実だ。

  気づいていながら、目を逸らしていた。教師として最低だったと思う」


 その言葉に、花音は目を細めた。

 自分が“求めていた謝罪”――けれど、思ったよりも何も感じなかった。


 


 「……先生は、私に“昔の子”を重ねてたんですよね?」


 「……ああ。あのとき、俺が怒鳴ってしまった子。

  きっと、彼女に似てるって、どこかで思い込んでたんだろう。

  君の強さを、責める理由にしてしまった」


 「……私は先生を“信じてた”んです。子どものころ。

  優しくて、正しくて、弱い子の味方でいてくれるって」


 「それは……ありがとう」


 「でも、その信頼を壊したのも、先生だった」


 


 黒田は何も言わなかった。

 ただ、頷いて受け止めるように、静かに目を閉じた。


 


 「私、復讐してたんです。

  ずっと“先生を壊すこと”が目的だった。

  でも、途中でわからなくなってきて……

  何を正したかったのか、本当に“壊したかったもの”は何なのか」


 


 風が吹いた。

 花音の髪が揺れ、ベンチの下に小さな花びらが積もっていく。


 


 「……君は、間違ってない」


 黒田がぽつりと呟いた。


 「俺は教師なのに、自分の感情を処理できなかった。

  過去を引きずって、生徒を“鏡”のように扱ってた。

  それを暴いてくれた君のほうが、ずっと“正しかった”かもしれない」


 


 けれど花音は、首を横に振った。


 「でも、“正しさ”って、誰が決めるんでしょうね。

  私は、誰かの痛みを見落としてきた気がする。

  さくらの優しさも、クラスのざわつきも……“自分の正義”に夢中で、何も見えてなかった」


 


 ふたりの間に、沈黙が流れる。


 それは、敵対でも赦しでもない。

 それぞれが、ただ「過ち」を認め合うような、静かな時間だった。


 


 「先生、これからどうするんですか」


 「辞職を考えてる。

  でも、それが“逃げ”じゃないと言えるようになるまで、もう少しだけ立っていたい。

  俺がどれだけ間違っていたか、ちゃんと自分で引き受けるために」


 「……そう、ですか」


 


 立ち上がる黒田の背中は、初めて“人間”らしく見えた。


 完全じゃない。正しくもない。

 けれど、不器用に、自分の罪を背負って歩き出そうとする人間の背中。


 


 花音はそれを、どこか清々しい気持ちで見送った。


 


 その夜。

 彼女は机の上のノートに、新しいページを開いた。


 そこに書いたのは、もう誰かの“観察記録”ではなかった。


 ――私は、正しさに酔っていた。

 ――でも、それは誰かの痛みの上に成り立っていたかもしれない。

 ――私は、愚かな大人になりたくない。

 ――でも、きっともう、子どもでもいられない。


 


 花音はペンを置き、深く、長く息を吐いた。


 


 自分は今、少しだけ“成長した”のだろうか。

 それともただ、少し“褪せてしまった”だけなのか。


 


 どちらにせよ――もう後戻りはできない。

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