美しき城とハイエルフ族
空を見やると、東には夜の始まりを告げるような藍色が、西には夕暮れの終わりを惜しむ紫色の空が広がっていた。たなびく雲はそれらをよく混ぜ合わせたような濃い紫、あるいは赤い色を混ぜ残したような紫色をして、何とも言えぬ風合いに染まっている。
その空の下には湖がある。
見渡すかぎり、という大きさではないが、目で簡単に一周できるという小さなものでもない。
一見すれば、静かな水面は鏡写しのように幻想的な空の色を映しているが、ときどき精霊が残した足跡を思わせるように、その湖水には美しい輪が幾重にも描かれて広がる波紋が所々で見受けられる。
――静寂さと、優美さと。
そうやってこれから夜を迎えるのか、それとも妖精や精霊、神獣たちが暮らす自然の静寂さに包まれたこの世界では、その空の色合いが日中なのか、うまく判然できない。
けれども、空には上弦を思わせるかたちの月が浮かんでいる。
月は不思議なほど目に見えて大きいが、一方で暮れたと思われる陽射しの残光も薄く伸びていて、世界はまだ闇に染まろうとはしていない。
それほどまでに、とても不思議な風景を見せていた。
――空の色を鏡写しにする湖には、ひとつの島があった。
大きさは町や何かの賑わいを形成するには幾分手狭だが、何かが住むには充分な広さがあって、森や林といった規模ではないが、傾斜状の地形には豊かな木々が随所にあって、もとは小山のような島だったのかもしれないと、そう思えるものがある。
島の形状は円形に近く、緑の木々もあるが、いくつもの建物が重なり合っているのも目について、統一された造りを見ると、島そのものがひとつの城のようにも見受けられた。
――そう。それは島を利用して建てられた「城」だった。
ただし、造りはヒトが好むような城壁や堅牢さ、あるいは荘厳や華麗に富んだものではなくて、城という象徴のひとつである高い塔が連立しているような造りでもない。島のなかに入って歩いてみれば、建物は以外にも個々として建てられているが、傾斜をうまく利用して建てられているので、遠目で見ると立体的に見えて、高さのある城のように感じられるのかもしれない。
ひとつひとつの建物は、幻想的な風景のなかにあるにしては質素に思える造りだった。
建物のほとんどが壁や窓で空間を塞ぐように建てられているようすがなく、やはりいまは夜を迎えているのか、藍色の空が広がるにつれて周囲も建物のなかも暗くなってきているというのに、外路にも室内にも灯るものがない。
――もしかすると、無人なのだろうか。
そうとも思えてしまうが、よくよく見ると建物からは淡い青、あるいは白銀のような灯りが浮かびはじめ、ここには誰かがいるというのを教えてくれる。
複雑なアーチ状に組まれた高い天井や空間には玻璃がめぐり、外からも彩光が取れるようになっていた。いまは建物内からの淡い光が外まで伸びて、建物から零れる光が重なり合って、まるで幻想的にかがやいているようにも受け取れる。
それが鏡写しのような湖面に反射しているのだ。
静寂ではあるが、美を惜しみなく纏っているようにも見受けられる。
対岸からその島を見れば、さぞや美しいだろう。
灯りは最低限の用意のようだが、「彼ら」にとってそれは不都合でも不自由でもない。
それを必要とする生活様式で過ごしているわけではないし、明るさが必要ならば、それに応じて光を纏う精霊を呼べばいいのだ。
むしろ静寂に澄んだ空気が心地よくて、どこかひっそりとした感じに心が落ち着く。
建物を繋ぐ回廊もアーチ状に連なった柱で構成されているか、あるいは庭園の木々や草花を眺めながら抜ける造りになっているので、この建物たちは自然との融和に富んでいるのがうかがえる。
建物内……城内の造りや装飾もそれに準じていて、ヒトがすぐに想像するような目に見えての金銀財宝、彩色に富んだ調度品や絵画が並んでいるわけではない。ただ、細やかなところに職人の匠の技が施されていて、絨毯の模様や、扉や柱、階段の手すりといった普段はあまり目に留まらないところにその細工は活かされている。
全体的に質素のようでありながら、内実はかなりの高尚さがうかがえた。
――この城にはれっきとした「主」がいて、それを支える者たちがいる。
城の主には、名前がある。
――名を、「白の皇帝」という。
白の皇帝は、この幻想的な世界を統治するハイエルフ族の長で、世界最高峰の証としてその名と位を冠している。
こちらには妖精や精霊、神獣があるがままのようすで暮らしており、それ以外の種族は存在していない。
一説によると、ハイエルフ族は世界を最初に創世した竜族の、悠久なる時代を経て誕生した末裔だと言われ、竜族が誕生させたこの世界の自然のすべてを継承し、久遠永久に護り継いでいるという。
竜族、というのがどのような姿をして、どのような叡智を持って世界を創世したのかは、彼らが末々の果てに姿を消してから誕生したハイエルフ族には直截知ることはできないが、竜族は大地に生きるすべてに自然と恩恵を与えてくださった「神」というふうに伝承歌が残っているので、ハイエルフ族は竜族を自然そのものと捉え、「神」としていまも尊崇している。
その竜族の末裔とされるハイエルフ族だが、外見はヒトに近しいようで、まったくの別個体種。
一見する姿形はヒトのようでもあるが、彼らは容姿や体型美に特化していて、陶器のような白い肌、あるいは乳白色の肌が特徴的で、気配は静寂清浄に澄んでおり、物静かな彼らの本性は自然とあるがまま。
この時点で、ヒトは比べものにもならない。
背丈は成人男性であっても一七〇センチ前後で、ヒトの感覚でいえば小柄な種族にも感じるが、彼らだけの世界で何もかもヒトの物差しで測るのは浅はかというもの。ハイエルフ族に不都合は、何ひとつない。
――何より特筆するべきは、ヒト、ではない証の耳。
彼らは総じて耳に特徴があって、長く、美しく、先端にかけて尖っている。
――そして。
生まれはすべて、いくつかの自然が融合した属性を持って光の珠として誕生し、個人差はあるが、しばらくはそのまま、やがて人化と変じて、個々それぞれで成長が止まる。
――平均して過ごす寿命は、数千年。
見た目が子どもであっても、じつはかなりの長寿であったり、反して老熟しているようで日々を過ごしている時間はまだわずかだったりとさまざまであるが、そのようなことにこだわる者は一族にはいない。
彼らハイエルフ族は、自分たちをこの世に誕生させ、慈しみ、多くの恵みを与えてくださる自然をこよなく愛し、歌や楽器の演奏を好み、つねに感謝の心を持って、諍いと穢れをこの上なく厭うている。
――ほんとうに、幻のような世界にふさわしい、幻のような種族であった。