94.父親ではなかったのか:side.メルベル
「それで?アーク・メルベル殿だったかな。平民出身、エステマリア領の騎士所属。勤務態度も至って真面目で実力もさる事ながら。休みの日は筋トレや街を歩いた先でトラブル解消をしてくれると。文句のつけようもないね。ここに趣味が賭博やらなにやら書いていれば、私は秒で君を解雇できたのに。実に残念だ」
先程まで娘に拒否られてわんわん喚いていた男とは思えない平坦で感情の見えない声音だった。王族なんて、平民で下っ端騎士をしていれば見かけることなんてない。街で肖像画が配られていたくらいだ。なんだったら、今目の前にいるリドクリフ・ソングライン公爵閣下は、5年前にエステマリアを解放した英雄として随分と顔を知られている。当時流行った肖像画には、今の彼を随分と若くしたものが出回っていたが、そうか5年もすればここまで端正に色気のある顔になるなと納得できるようなものだった。
特徴的なミルクティー色した柔らかな髪色に、若草色の瞳。人好きしそうな顔には常に笑みを浮かべて言葉を発していると言うのに、どうしてか背筋が伸びる。
眺めていたのは、騎士団長から提出された俺の遍歴だろう。それに冷めた視線を落としながら、零した言葉からは実に残念だと言わんばかりに感情が見えない。
「まあ、君のことなんて別にどうだっていいんだ。君はどうやらどこかに飼われていたようでもなさそうだしね。リアラもよく君に懐いている。スヴェンダ殿から報告を受けた時は、リアラの傍にいられない嫉妬でついつい報告書は破いてしまって、君のことをきちんと確認できてなかったけれど、改めて見ても悪くは無かった。ただし、リアラの護衛になるについてひとつだけ約束しなさい。例え、君の家族が人質にされても領民が人質にされても、君は一番にリアラを守るということを誓いなさい」
人を支配する目を何度か見たことがある。上に立つ者は自ずとその目をしているものだ。上からものを言う階級の人たちである。こんなに優しい声で言われていると言うのに、発せられるのは命令だ。肯定以外の言葉は許されないのだろう。
「はい。誓います」
自然と出てくる言葉は本当に自分から発しているのだろうか。
声は自分のだと言うのに、自分の声だと認識できない。しかし、その言動に満足したように、綺麗な笑顔を向けてくる相手からは、逆らってはならないものを感じる。力で負ける気はしないと言うのに、何故か勝てないと思えてしまう。これが、支配階級の人達の威圧というものなのだろう。自然と喉を鳴らしてしまった。
「そう怖がらなくたっていいよ、私からはこれ以上は特にない。今日は邪魔させてしまってすまなかったね」
「いえ、そんな――」
「ただ、彼女は私の婚約者でもあるんだ。あまり体を密着させてしまえば私からしたらいい思いはしないのは当たり前だろう?浮気はよくない。リアラを罰するつもりはないから自ずとその報いは君に向かうのは当たり前だと思わないかい?」
――ん?
俺はとんでもない言葉を聞いて次に出る言葉を飲み込んでしまった。あの幼女の婚約者が目の前の色男だと言われてしまえば固まらないはずがない。貴族というのは時折そういうこともあるとは遠くで聞いたことはあるが、こんな間近で見るとは思わなかった。騎士職に就いてるとはいえ、ただの平民だった俺は、殆どが街の警備だったので貴族邸に出向くことも多くなかったのだ。無知では無いが実際に見るとかなり心の中で叫びたくなるものがある。
目の前の男はどう見ても女にモテる容姿をしている。そこに加えて元王族で、かつ公爵閣下だ。引く手数多だろう。それだというのに、あんな幼い子を婚約者にすると言うのは――
――幼女趣味なのだろうか
一気に目の前にいる、この街の英雄で色男である雇い主の株が下がってしまった。先程まで畏怖の念を持っていたと言うのに、一気にお嬢様を哀れんでしまう。年端もいかないというのに。彼女はそこら辺にいる普通の子どもよりもかなり大人な思考をしているからかきっとその件もと飲み込んでいそうだ。それでも哀れに思えてならない。そして、そのような爆弾発言をされてしまえば、俺はどうしたらいいのだろうか。何かを口にするべきなのだろうか、下手なことは言えない。お嬢様は俺の護衛対象だが、雇い主は目の前の色男だ。
目の前の男は、娘兼婚約者であるお嬢様のことをたいそう可愛がっている。今日が初対面だが、それが分かるほどにはべったりしていた。だからこそ、彼女の我儘は出来るだけ叶えたいと思っている節がある。お陰様で、俺は難なく彼によるお嬢様の護衛という職を辞めずに済んだのだが。だからと言って、不要なことを言えば首の皮一枚で繋いだこの職を追われかねない。こういう時は、無難な言葉を発するに限るのだ。
「そうですね」
問いに対して肯定で返す以外の言葉が見当たらなかった。言外に、今後お嬢様に触れ、目の前の御仁が浮気と捉えれば途端に罰を与えると言われているとしても。底辺騎士に選択なんてあってないようなものである。就職先を間違えたと思っても、もう遅かった。
俺は、空気が冷え切った室内で、その主が退室許可を出すまでただ肯定をするだけの人形となっていた。




