90.ずっと隠していた感情
エミリアお姉様が去る日は思ってたよりあっさりと来た。それに合わせて祖父母もアルテンリヒト領へと戻る。
たった数ヶ月しかいなかったと言うのに、あっという間に荷物は増えていたらしい。荷馬車にぎゅうぎゅうに詰められた木箱を見ながら、いつの間にこんなに……と少しだけ驚愕したのは内緒だ。
エミリアお姉様は私と行動していたから買い物をしていたのは知っていたが、お爺様とお婆様はいつ頃買い物をしていたのか。驚きだ。それくらいに、2人と過ごしていた時間は多くない。むしろ、後から来たエミリアお姉様の方がずっと一緒にいたように思える。
そしてそれだけお互いを知れた気がする。まだ幼いエミリアお姉様の初恋は気を狂わせるくらいに熱狂的だったのもよく理解できた。きっと、目の前に現れるとダメなのだろう。
時折、恋は人を狂わせると言う。私も経験があるからわかる。それがストーカーになってしまっただけだ。そんな簡単に言って片付けられる事では無いだろうが。だが、この日まで婚約している方の話をしてくれたエミリアお姉様の横顔はとても穏やかで、リドクリフ様に向けた熱いそれではなく、優しい感情だと言うのは私でも分かる。客観的に見たその婚約者の立ち姿に、エミリアお姉様自体は好感があり、また相手もエミリアお姉様を大切にしてくれているのがわかるので、聞いていてホッコリした。
お姉様の婚約者様はこの地よりもさらに南にある、砂糖を栽培している領の時期領主。こじんまりとしているが、穏やかな空気と海の香りと、そして人がいい領民たち。領主家族も穏やかではあるが、得られる資産は大きいため下手な貴族と結婚ができないらしい。だからこそエミリアお姉様が嫁ぐことで、アルテンリヒトの家が牽制できると言う。爵位は子爵と高い地位では無いが、持っている財産は国を傾かせるほどに多いとのこと。ここの子爵家は爵位を上げようとすると毎回大きく反発するので、子爵で止まっているとのこと。その分、税金はしっかりと払い、領民を豊かにさせているので、腕も人柄もいいとよく分かる。
そんなコイバナ等をエミリアお姉様としながら、時折、今後の領地経営のお話をして残りの日付を過ごした。
「リアラ、領地会議が終わったらすぐに、すぐに戻るからな」
門の前でお爺様がとてもとても不安に私を見つめていた。それもそうだ、この邸に子どもひとり――使用人は外す――は、流石に心配だろう。ゼビエ侯爵元夫妻も戻らなければならないと言って先週あたりから屋敷を不在にしたので、マナーの授業もお休み中だし、家庭教師の皆々様もお里帰りしている。流石に私もそればかりは帰るべきだと、帰るのを渋っていたお姉様方を帰路に立たせたのはつい最近だ。エステマリア領は思っているよりも他の領地から離れているのだ。早めに帰らなくては、辿り着いた頃には年を跨いでしまいかねない。
「そんな慌てなくても問題ありませんわ。邸にはちゃんと警備はいますし、使用人の皆様もいますもの」
「それでも心配よ。貴女、家庭教師の方々まで家に帰させてしまったじゃない。貴方の保護者は今不在なのよ?嗚呼……こんな可愛い子を置いて帰るだなんて」
帰るべきだと話した時からお婆様の調子はずっとこうだ。
「お父様も、お母様もあまりリアラを困らせてはなりませんわ。見て、この可愛らしい眉が下がってるじゃない」
エミリアお姉様が背後から私を抱き寄せると、祖父母から少しだけ距離を取らせた。心配の文字がしっかりと書かれた祖父母の表情から、連れて帰ると言い出しそうだと思ったのだろう。流石に、マルエル叔父様がいる邸に長く滞在させられないというのは、4人の共通認識によるもので、だからこそ迂闊に一緒に行くとも連れて帰るとも言えないのだ。
それでも孫可愛さに手放せないでいる祖父母に、エミリアお姉様が深く深くため息をついた。
「それに、そろそろ来ると思うわよ?」
その言葉に、キョトンとしたのは私だけではない。一体誰が?と祖父母も私もエミリアお姉様を見上げた時だ。
遠くから馬の蹄の音が近づいてくる音がする。
来訪者は今日はないと思っていたが。
そう思って音のする方に顔を向けると、私はぎょっとした。
艶やかな青毛にしっかりとした体躯の馬が駆けてきているのだ。しかも、その上に乗ってるのは、よく見知ったミルクティー色の髪をした男の人。私は驚きて目を丸くすると、エミリアお姉様は穏やかな笑みを浮かべた。
「まさか、単騎で来ると思いませんでしたわ」
小さく苦笑いを浮かべては、お姉様は少し羨ましそうに言葉をこぼした。
エミリアお姉様は私を解放すると、スカートの裾をつまんで頭を下げた。それを合図かのように、走らせていた馬は急速に速さが落ち着き、私たちの前でしっかりと止まる。
「お久しぶりでございます、ソングライン閣下」
馬上にに居たリドクリフ様が飛ぶように降りてくると、エミリアお姉様の挨拶に「ああ、ありがとう」と言葉を投げる。その言葉を聞いて、エミリアお姉様は頭をあげると同時に、リドクリフ様が私を抱き上げた。
私はそんな状況が追いつかないでいる。ただポカンと、されるがままにリドクリフ様に抱き上げられ、その綺麗な顔を上から見つめる。
優しいペリドットの色。柔らかいミルクティーの色。少しだけ垂れた色気の放つ目元。薄いくちびる。ずっと伸びた鼻筋。整った輪郭。きりりっとした柳眉。私は小さな手で、追いかけるように頭をてっぺんから順に触れていく。
「ただいま、リアラ」
唇に触れた際に紡がれたその言葉に、触れた先々に感じたその温もりに、目の前にいる彼が本物のリドクリフ様だと理解する。
馬で駆けてきて息が上がってるのか肩を上下にさせて息をしているし、体温がいつもより高い。汗をかいたのか、その肌からは少しだけ熱気を感じ、服からは風を切った匂いがした。
全身でリドクリフ様の存在を主張されてしまえばこれが現実だと受け止めざるおえない。冬は王都にて彼の仕事を進めなくてはならないはずだと言うのに、なぜか彼はここに帰ってきた。年末のパーティーもあると言うのに、彼は私の元に現れた。これが何を意味するのか流石の私でもわかる。それでも、嬉しい。嬉しいと同時に、感情が込み上げてくる。
その感情はずっとひた隠しにしていた寂しいという感情。その感情を自覚してしまえば、込み上げてくる感情は加速する。込み上げた感情は喉をつまらせて、息を上手くさせてくれない。目頭が熱くなって、それを抑えさせてくれない。目の前の景色が歪んで、止まらない感情は腹の奥底から押し上げて、私を支配する。
「リド……クリフ……さまァ……うっ……うぅ、うぁああああぁぁぁぁああぁぁぁんんん……リドクリフざまぁぁあああぁぁぁ」
そうして気がついたらぷっつりといつの間にか切れていた理性は戻すことも出来ず、堰を切ったように涙と嗚咽が溢れた。
私はこの邸に来て、はじめて5歳児らしい泣き顔を見せた。
エミリアは克服したのかと思うと、おそらくリドクリフを前にすると初恋が疼いてたまらなく好きなのは変わらないが、リアラの手前ぐっと唇を結んで感情を落ち着かせています。




