09.緑の話
結局4分の3はのんびりと庭を歩くこととなった。改めて、庭の花壇がとても綺麗だと、この広さで整備するのは大変だろうなと思いながら、今の時期の花たちが綺麗に咲いていた。それに心が癒されながら残りを歩いていると、ふと花壇の向こう側に人の背中が丸まっているように見えた。好奇心でそれに近寄ると、ふたりの影が土をいじっていた。
ひとりは初老の男性。もうひとりはまだ若く、奉公に来たばかりに見える少年だった。初老の男性が、その少年に庭のことを説明をしているのを見て、どうやら庭師の新人教育中らしい。教育熱心なのか、私が近づいたことに気が付いていない様子。私は悪戯心に二人のそばにゆっくりと近寄ると、その少年の隣に腰をかけてその手元を見つめる。
何を植えているのかは分からないが、何やら真剣に話を聞いているので私も真似して聞いていたら、横から流れていた言葉がぴたっと止まった。気になって隣を見ると、少年を介して初老の男性が私に気がついたらしい。ニコッと私を見て愛想のいい笑みを向けるので、私も返すと、さすがに少年も異変に気がついたのか初老の視線を追って私を捉えた。
「えっ?!あ、お嬢様?!先程まであちらで走っておられたではないですか」
少年はとても驚いたように声を上げる。そしてあちらと指を指した方を見ると、私がひぃひぃと息切れし始めたあたりだ。それから随分と経ってる。
「ふ、ふふ……瞬間移動だよ。何植えるの?」
冗談を混じえながら、今はなんの作業の話なのかと尋ねる。すると、初老の男性は手招きしてくれたので素直にそっちにに近づくと、男性の脇には既にある程度成長させている株分けされたものが置かれていた。
「こいつは、薔薇です。株分けしたものを植えようと思いまして」
私はそれを聞いて目を輝かせた。薔薇を植えるという一大イベントだ。私も好奇心というものがある。
「……っ!私も一緒にしていい?」
目を輝かせて聞いてみると、男性は目をきゅうっと細めると、嬉しそうに「いいですよ」と素直に返してくれる。まぁ、屋敷のお嬢様からお願いされたら断れないだろう。
「あ、でも、いま運動してる最中なんだ。終わって、しっかり休息したら戻ってくるから、残作業はそのまま継続しておいて。私の分だけ残してくれると嬉しいな」
それを聞いた男性は「分かりました」、と丁寧に答えてくれた。その返答を聞くと、残りをしっかりと終わらせようと立ち上がって、後ろに手を振りながら私は残りを歩き出した。
すっかりと体を休めてルーナを連れて元の場所に戻ると、ふたりは私が植える分の株だけを残して他の作業に徹していた。
「二人ともお疲れさま。お待たせ」
私が声をかけると二人は作業を中断してくれる。そんなふたりに近寄ってふと思い出した。
「そういえば、私。二人の名前をちゃんと確認していなかったね。使用人が多くて身近な人しかまだ覚えられていないんだ。この期に教えてもらっていいかな」
「おお、それは大変失礼しました。私は庭師をしております、アイゼンといいます」
「お……ぼ……私はエルガーといいます」
初老の男性がアイゼンで、少年がエルガーと名乗った。年下でも立場が目上の人に挨拶するのはまだ慣れていないのか、エルガーは一人称が彷徨っており初々しさを感じる。
「もうちょっとしゃきっと自己紹介してください。お嬢様の前ですよ」
私が微笑まし気に笑っていると、私の背中からルーナがエルガーに訝し気な表情で苦言を呈していた。その言葉に不服そうな表情をするエルガーだが、アイゼンがルーナとの間を取り持つ。
「ご姉弟仲がいいのは宜しいですがそれこそお嬢様の前ですよ」
優しい表情を浮かべるアイゼンに、ルーナもエルガーも顔を合わせるとぴったりとした息で私に頭を下げる。
「「失礼いたしました」」
さらりと吃驚発言を聞いたが、そのぴったりな動きと発言の二人の様子に、そんなことどうでもよくさえ思えて、自然とくっくと喉を鳴らして笑う。
「ふ、ふふ……ルーナにご兄弟がいるとは初めて聞きましたけど……ふ、ふふ……おふたりともそっくりで仲良しなのね」
さっきまで、あれほど近い位置に顔があったというのに、気が付かなかった。よく見ると瞳の色が一緒だし、髪の毛の色だって一緒だ。ルーナを男にしてまだ幼さの残る顔つきにしたらエルガーになる。ただでさえルーナはとても整っているのでエルガーも大変整った顔をしていた。これで、商家の息子だったのだからとてもモテただろうなと思う。
私はひとしきり笑えば、久しぶりに沢山笑ったと満足してふぅっと大きく息を吐く。そしてふと思ったことを口にしてみる。
「ルーナが侍女になったけど、なんでエルガーはフットマンにならなかったの?そこから研修積み重ねてしまえば執事にもなれたでしょ」
私は無邪気に聞いてしまった。私の問いに、少しだけ複雑そうな表情を浮かべるルーナとエルガーにもしかしたら聞いてはいけない内容だったのではと、心の中で冷や汗をかいていれば、となりでアイゼンが小さく笑いだした。
「お嬢様、そんなに心配なさらなくてよろしいですよ。彼は将来薬師になりたいんですと。それで植物に触れる庭師の仕事を通して、まずは植物の事をよく知って、そこから自分で作った薬草で薬を作っていきたいんだとのことです。エルガー……、2人してだんまりとしてしまったからお嬢様が困惑してしまっただろう。素直に俺に向けた熱量で語ればいいんだ」
「でも、お嬢様から見たら商家の息子が薬師なんてそんな夢物語だと思うだろ」
「あら。なんで?」
「……、普通薬師っていうのは貴族の次男や三男とか、勉強に恵まれた環境の人間が多いんです。平民でもいるんですが、国家試験がものすごく難しくて。受かるのもやっぱりひと握りなんですよ。貴族学園の卒業レベルだとは聞いているので、その学園に入らないと、まず取るのは難しいという話です」
少しだけ言いづらそうに答えるので私はまだよく分かってない顔をする。私は目をぱちくりとさている。うーん、と顎に手を当てて少し考える素振りをしたあと、私はまずアイゼンに視線を向けた。
「アイゼン。この屋敷って温室あるよね?」
「はい。ございますよ」
「私まだ見たことないんだけど、そこって何か植えていたりする?」
「いえ、お嬢様の好みを聞いてから整えようと思いまして、未は何も植えずに綺麗に土肌を整えておりますよ」
「ありがとう。なら、その温室を薬草園にして欲しいな。エルガーにどんな薬草を育てたいかは確認してね。一応、閣下とも相談するから全てを叶えてあげられるかはわからないけど。温室を研究所として使用していいよ。あと、この屋敷の書庫、小さな図書館状態だし、私、1人で読み切れるとは思えないの。独り占めももったいないから使用人たちには解放しようかなって思ってたところでね、中に薬草に関する本もあると思うから、汚さない、破かない、失くさない、返さない、さえなければ持ち出し可能制度にしようと思う。これで少しでも勉強できる?あとは、うーん、研究専用の薬師さん呼んだりしたいけど、そこは実現難しそうだなぁ。閣下と相談してみる」
駆け足にまくしたてては、納得した私は、うん、とひとつ頷いてエルガーを見ると、少しだけ顔色を悪くして私を見ていた。
一口メモ:庭師その1
名前:アイゼン
年齢:60歳