89.触らぬ神に祟りなし
あけましたおめでとうございます。すっかりと年末も新年も吹っ飛ばしてしまいました。今年ものんびりと更新掛けていきますので、引き続きよろしくお願いします。
「私、そろそろここをお暇しますわ」
エミリアお姉様から突然告げられたのは、エミリアお姉さまがエステマリア領に来てからだいたい2週間が経った辺りだった。
お姉さまが来て2週間。心配していた以上に充実していたし、色々とあった。例えば、お姉さまの人間性の再認識は一番のイベントだろう。頭の良さもさながら。私が経営している領地を巡り巡った。それはもう隅々まで。ブーゲンビリアもライラックも好奇心旺盛にあちらにそちらに引っ張り回されたが、お姉さまは思っている以上に人への配慮が出来る人だからか、時折幼い私の体力を気にしてカフェなんかにも入った。そういう時間に、他の領やお姉さまが今通っている学園の話やらを聞いた。基本は王都にいることが多いお姉さまだから、ライラックを回りながら、王都と違うものを見つけると目をきらきらとさせてそれに飛びつく。その姿は、普段大人びているお姉様でも年齢相応で見ていて愛らしいと思ってしまうほどだ。
そうして本日も、私の案内で街を回ったり、エルヴィンを紹介したりと、そうした、私の身の回りを案内した日だった。
幼い私に合わせて少し早いディナーの時間帯。
祖父母やお姉さま方はお客様ではあるが、この邸では私が主なので、大人の方々もそれに合わせて食事をしてくれている。大きな食堂に、広いテーブルには、4人がそれぞれ向かい合うように座っていた。そして、テーブルの上には、この地域でよく採れる魚介類をふんだんに使われている食事。これらはいつも美味しくて、しっかりと平らげたあとのデザートを堪能していた時だ。
それは突然と言える言葉であまりにもびっくりした私は、デザートをスプーンから落としてしまっていた。
「ふ、ふふ、あなたも何だかんだでまだ5歳なのね」
楽しそうにエミリアお姉様が笑うと、いつの間にか頬に付着していたのか汚れを今度は拭ってくれる。私が5歳に見えないのは致し方ないが、それはそれで失礼ではないだろうか。
「なんだかんだで長居してしまったもの。そろそろアルテンリヒト領に戻って年末の報告会に備えなくてはならないですし。お父様も、お母さまもそれを理解しているはずですわ」
そうして、告げられた言葉にそうかと思い出す。年末に行われる王都のパーティーと領の報告会。アルテンリヒト家はこの広い領地を全て取り仕切っていることもあってその長である、伯父様もお爺様もお忙しいのだろう。冬の間は基本ここにいるとは聞いていたが、流石にアルテンリヒトが監視している領主たちが一同に集まって行う報告会には出ないとならないだろう。私はまだ幼いし、お爺様とリドクリフ様が治めているということもあって、そういう報告会に私自身が出る必要はないだろうが、将来的には参加するようにはしていく予定であるし、参加しないとならないことだろう。今のうちに年頭に入れておく。
そして痛いところをつかれたと言わんばかりの祖父母に視線を向けた。どうやらここでの生活は思っていたよりも心地よかったのだろう。のんびりと暮らしていた祖父母は帰るのを渋っている様子だ。
「いや、そうだな。エミリアの言う通りなんだがな……」
「マルエルもしっかりしているし問題ないと思うのよね」
おっとりとお婆様がお爺様を擁護する。しかし、その言葉をため息ひとつでお姉さまは片付けると。優雅に紅茶を一口飲む。本日のお茶にはオレンジの皮を乾燥させて薄切りにしたものが入っているため、爽やかな柑橘系の香りが鼻の奥を通り抜ける。食後の少しだけもったりとするお口の中を爽やかにすっきりさせるこの一杯が私は意外と好きだ。
「お父様、お母様。それだけは控えた方がよろしいですわ。マルエル兄様はリアラを本気で軽蔑されていらっしゃる。親も憎ければ子もまた憎しを体現しているのです。ただでさえ嫌悪しているというのに、ここに残りたいから報告会を後回しにすると、要らぬやっかみをリアラに向けられるのですよ」
ぴしっと背筋を伸ばして言い切ったエミリアお姉さまに心の中で歓声を送る。普通は、親も含めて目上の人にしっかりと物事を言える人はそう多くはない。それをお姉様はやってのけた。私に被弾する前の対処によるものらしい。こういうしっかりとした上司がいればぜひとも欲しいものだ。
話がそれてしまったが、確かに初めてお会いしたマルエル叔父様は表面上では私に対しての敵対心は出していなかったが、近寄っただけで背筋がそわっとするような感覚はした。笑う瞳から感じる冷たさに、体が反応したのを覚えている。
出会ったその日に癇癪起こしたり、私を貶めようとしたお姉様の方がまだわかりやすくてよかった。
触らぬ神に祟りなしというではないか。下手に刺激をしないほうがいいのは幼い私ですらも分かる。というか、一度しか会っていない人でもわかる。お姉様みたいに私へわざわざ会いに来るほどでもないので、あちらも私と関わりたいと思っていないのだろう。むしろ、あれだけ敵意をむき出ししていて、こうやって改めて私に和解しに会いに来るのはお姉様くらいだろうとも思う。ここで数日間過ごして分かった。お姉様は思っている以上に行動力が高いのだ。その行動力の高さが言動にも表れているところもある。他人には貴族特有な物言いになるが、身内に対しても率直な物言いがその行動力をよく表している。
そんな率直な正論をきっぱりと言われてしまえば威厳のある祖父母も言葉を詰まらせてしまうのが実情だ。事実にマルエル叔父様は私に対しての印象がよくないのは本人たちもよく理解している。父と母であるお爺様とお婆様に対して不平不満が出れば普通は直接言うが、そこに嫌いなものが要因だと分かればそちらに攻撃することは手に取るようにわかるというもの。私に下手な攻撃が向かないようにぜひとも祖父母には帰っていただきたいところだが。そうなると完全にこの屋敷は静かになるのだろう。使用人たちはとても多いのでにぎやかだと言われてしまえば賑やかではあるのだが、基本使用人たちは住人に仕事をする姿を見せないようにしている。だがこの邸では幼い私を気にして使用人たちは意外と私の周りに現れることが多い。だから寂しさを紛らわしてくれているけれど、それでも主人と従者の関係もあるので、それなりに一定の距離を離れて話すから寂しさを完全に拭われることはない。
家庭教師の先生たちもしかりである。彼女たちの方が爵位が上だったりしても家庭教師として雇われているからか、しっかりとそこは私に敬意を表してくれる。とてもしっかりとした女性たちだ。
だからこそ、物理的な距離間は近くあるが静止的な距離間は一定の距離をとられている。子どもの我儘で振り回せることも恐らくこの年齢と見た目で可能だろうが、私自身があまり乗り気ではない。ルーナと一緒に寝たいとか言ったら困らせてしまうだろう。
そんな私を横に、祖父母はエミリアに言われて年甲斐もなく肩を落としていた。
「マルエルは確かにリアラに矛先を向きかけないな」
「リアラひとりにするのも忍びないけれど、マルエルのことも気にかかるものね」
結局はエミリアお姉さまに説得されたスヴェンダお爺様もミステリアお婆様もおっとりと頷くことしかできなかった。




