05.香る潮風
揺れる馬車の中で、目の前に白いハンカチが差し出された。
「さっき、あの女の子に自分のハンカチを差し出していただろ?」
閣下から差し出されたハンカチを私は恐る恐ると受け取った。
「ありがとう存じます。こちら、洗ってお返しします」
ハンカチで涙をしっかりと拭うと落ち着いた。
まさか、兄の声を聞いただけでホームシックが爆発するとは思わなかったが、私はまだ5歳児なのだ。むしろ、こんな思考回路を回してる時点でなかなかに特筆はしてるが、体は5歳児なのだから精神が引っ張られても仕方ないだろう。全然引っ張られていない気もするけども。
私は白いハンカチを丁寧に畳んで懐にしまう。今は、揺れる馬車の外を眺めていた。農業と酪農が盛んだと言わんばかりに、農業区域と酪農区域としっかりと別れている。春の心地良い空気だが、農夫は忙しそうに畑を耕していた。馬車が道を通ると、納付は鎌を下ろして私たちに手を振ってくれるので、甘えて手を振り返すと彼らは嬉しそうにしてくれる。
「先程の少年はどういう関係だったんだい」
楽しく手を振って、気分を持ち上げていれば突然閣下が私に声をかけてくれた。私は、手を振るのをやめて閣下に向き直ると真っ直ぐに目を見つる。
「兄です。私を育ててくれたご両親の息子さんで、私を本当の妹のように接してくれた、慈悲深い兄です」
4歳までを思い浮かべながら、丁寧に彼のことを告げると閣下は少しだけ複雑そうな表情を浮かべる。
「家族が恋しいかい」
その言葉は罪悪感に見舞われているようで、落とす言葉はすごく静かだった。私はここで嘘を吐いても仕方ないと思うと、自然と首を縦に振る。
「恋しくないと言えば嘘になります。でも、今の生活で使用人の皆さんも、先生の皆さんも私のことをとても良くしてくれています。家族では無いですが、そこにはまた別の絆があるんだと思っています。私は私の立場をしっかりと理解しているつもりです。過去を恋しくなることはありますが、だからといって、その現実はなかったことにはなりませんから。それに、兄が来てくれると言ったのです。例え、家族じゃなくなっても、兄はきっと私の元に来てくれる。そう思えます。もし、来なかったら来なかったで、私の育ててくれた家族が幸せに暮らしているのなら、それは喜ばしいことですよ、……ね。閣下」
すっかりと元気を取り戻したように私が笑うと、閣下は申し訳なさと安心とが混ざりあった表情を浮かべて、「そうか」とひと言告げる。
私たちを乗せた馬車は、もう間もなくして港街、ライラックへと到着した。
「う、海だァーー!!」
私は、到着早々に目に見える1面に広がった青の水平線でテンションがとても上がっていた。潮の香を乗せて4月でも強い海風が、私の髪を乱していく。
街はとても賑わっていて、露店や商店、食事処と所狭しに並んでいた。人がとても多く、人と屋台とで道を埋めてしまっているので、馬車で通ることは出来ない。代わりに街の入口に馬車を置く駐車場があったので、そこにお馬さんたちは待機だ。
先程までのしんみりとしたテンションはどこへやら。今まで見せなかった子ども部分を存分に見せてはしゃぐ姿に、閣下は安心したような笑みを浮かべてくれる。
「閣下すごいですよ!!あそこの屋台!お魚焼いてます!あ、貝のバター焼きですかね、お腹すいちゃう。あ、向こうでは大道芸をしてますよ!!おっきい船ですね。こんなに遠くにいるというのに見えます」
私がはしゃいで閣下の周りをあちらこちらに走り回る。それを閣下が手を繋いではぐれないようにしているが、いつはぐれてもおかしくない位にはしゃぐので、閣下は楽しそうに笑って私を抱き上げた。
「君は、本当に不思議だね。あんなに大人っぽい対応をしておいて、こういう素直な時は爆発するのか。今日は、気晴らしだから沢山見ていこう。はぐれたら危ないから、私が抱えるね」
高身長の閣下の高さから見る景色はまた素敵で、この景色を見れて感動してしまう。
「閣下……」
「ん?」
「私、この景色が見れて幸せ者ですね……私がまだ幼いから、閣下がこの景色を守ってくださってるんでしょ?まだ見た事ない、お爺様とお婆様と閣下と3人で。私もそれに恥じないように頑張りますね」
閣下はその言葉に目を見開くと、くしゃっとした成人男性にしては可愛らしい笑顔を向けてくれた。
「そういう発言が子どもらしくないんだよなぁ」
なんて言いながら、人混みの波に私たちは進んでいく。
屋台は賑やかで、食べ物もあるし売り物もある。港街で海外からの輸入品も多く、珍しいものが溢れている。人も多いのはそ、れに伴って海外の人の出入りも多いからだろう。港街はここ以外にもあるとは思うが、ここもまた活気づいていてとてもいい。
それに伴って治安が少し怪しいところもある。閣下の身長の高さも相まってとても良く見えるのか、脇道などはあまりいい雰囲気には見えなかった。孫雰囲気を確認すると、私は、更にはぐれないようにしなくてはと閣下の服をきゅっと握った。閣下もそれを察したのか安心させるように背中を撫でてくれる。それだけで安心出来てしまうのだから閣下はすごい。
そんな私と閣下ははたから見たら金持ちの親子だ。商売人が私たちを呼び込みたくて必死に手招きするが、必要のないものは要らない。ここの街含めた領民が稼いだお金で私は生活させてもらってるので、必要最低限でしか顔を覗く気はないのに閣下は素直にふらふらっとお店の中に入る。見た目がイケメンで身なりも良いので、入る度に女性従業員が顔を出すが、私を見るとあらかさまにガッカリしているのでさすがの私も苦笑いだ。
そりゃ、子持ちだと落ち込むよね。ごめんね、私、閣下の本当の子どもじゃないんだ。
だけれど、それを否定する理由もないし、閣下はあえてそれをしているようにも見える。地位と名誉と見た目が伴って、かつ独身ときたら、世の女性は放っておかないに決まっているので、モテる男は大変だね。
何でもお店ではサラリと冷やかしをして、次へと進むが私がなにひとつお強請りしないので、閣下は少しだけ肩を落としていた。もう少しワガママを言ってほしそうなその姿に、私は更に苦笑いを濃くする。
そんな調子で、街を歩いていた時だ。視界の端で見つけた。外国の輸入したものを売っているお店らしい。店先に並ぶ物に私は胸を高鳴らせる。
「か、閣下。閣下」
普段興奮するようなことも少ない私が、あまりにも興奮した様子で閣下の肩を叩くと、少し気落ちしていた彼が持ち直す。
「私、私あれ、あれが見たいです」
そう言って指を指した先には並んでいたのは、かつての相棒。アコースティックギターだ。
一口メモ:専属メイドその1
名前:ユリア
年齢:16歳